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自立語連続する際の文節の区切り方について
- 自立語が連続している文での文節の区切り方に悩んでいます。参考書では一文節に一自立語として扱う例と、一自立語のみで一文節を作る例があり、区切り方が異なります。
- 例文1では「日本人選手」や例文2の「昼ご飯」「食べ過ぎて」が一自立語として扱われていますが、例文3の「必ず最後まで」はきちんと自立語で区切られています。
- 文節は区切っても不自然でない文の最小単位とされていますが、なぜ「日本人選手」や「昼ご飯」「食べ過ぎて」を一つの自立語として扱っても良いのか疑問です。ご教示いただきたいです。
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はっきりいって、ややこしいです。 敢えて説明すると、一般的には「昼ご飯」も「日本人選手」も、そのまとまりで一語の名詞とみなされています。 名詞がいくつか並んでいるように見えても一語とみなされるのは、あいだに助詞の「の」が入っているかどうかでだいたい判断できます。 「お風呂の桶」は一語ではありませんが、「風呂桶(ふろおけ)」は一語です。 漢字熟語も同様です。 「日本人」も言い換えれば「日本の人」ですよね。 同様に、「お化け屋敷」「腕時計」「バスタオル」「年末謝恩大セール」なども一語ですので区切れません。 もし、例文が「昼のご飯」や「日本人の選手」だったなら、「昼の/ご飯」「日本人の/選手」と区切ることになります。 また、用言を連用形で活用して後ろの名詞と並べる場合も同様です。 「船着き場(ふなつきば)」「聞き手(ききて)」「言い争い(いいあらそい)」「汚れ物」「辛口」は一語です。 ややこしい話になりますが、固有名詞(地名、人名、本の題名、映画のタイトルなど)は一語とみなされます。 「学校の/図書館で、/「吾輩は猫である」を/読みました。」 また、もう少しややこしいことをいうと、名詞の間に「の」が入っていても、慣用句として使いまわされているものは、一語とみなされます。 「奥の手」「蚤の市(のみのいち)」「菜の花」「関の山」「宵の口(よいのくち)」など。 「必ず」は副詞ですが、副詞も自立語とみなします。 「きっと」「急いで」「ゆっくり」「もっと」「だんだん」なども同じです。 習ったこととは思いますが、文節の区切りは、「ね」などを挟めるかどうかで判断できることが知られています。 「日本人選手がね、/たくさんのね、/メダルをね、/獲得した。」 ただ、「チョーむかつく」「マジびびった」のような文の場合、「チョー」とか「マジ」は見たところ副詞のようですが、「チョー/むかつく」というように区切れるのかどうか、私には答える自信がありません。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに、「日本人」も助詞「の」を用いると「日本の人」と言い換えることができますね。 固有名詞や慣用句の場合を除いて助詞「の」がつく際の文節の分け方の説明には納得が行きました。 用言を連用形で活用して、後ろに自立語がつく場合も一つの自立語として扱うということも言われて気がつきました。 これで、例文2の「食べ過ぎて」を分けずに一つの自立語として扱う理由が分かりました。 文節の区切りには「ね」を入れるとわかりやすいということは、おっしゃられた通り、以前に習っています。 しかし、「ね」を挟んでも自然な文になるかの判断は個人の感覚に委ねる部分が大きいと思います。 実際、私は「食べ(ね)/過ぎて(ね)」と区切っても不自然では無いと思っていたので、その有用性に疑問がありました。 やや込み入ってるとは思いますが、文節に関する一般的なルールとして納得することにします。