• 締切済み

十二単、染めの袿について

 平安時代の装束について教えてください。  京都で行われる時代祭の平安時代の婦人の衣装で、紀貫之の女という女性の衣装がとても気になったので質問します。  資料には、袿…赤地菱模様 絞染 無地綾 とありますが、この時代の柄の表現は、唐衣や表着、小袿、袿は織物で出来ていて、染めの物は無い。染物は下着や裳などに使われる程度、という風な説明をよく見ましたので、絞染で袿の柄を表現しているものはとても驚きました。  これは身分によって織物が着れる立場の人と、そうでない人がいたということでしょうか?  染で柄をつけられた表着、というものもあったのでしょうか。    詳しい方がいらっしゃいましたらお願いいたします。 

みんなの回答

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.3

当時の染めは絞り染めか摺り染めで、染めで柄をつける事は無かったといわれています。     紫式部日記に「大海の摺りもの水の色華やかにあざとして、海の紋…」とあります。 絞り染めは高価で貴人のみ着れたのでしょう。

mumumumu_
質問者

お礼

御礼が遅くなってすみません。 ご回答ありがとうございました。 絞り染めの袿は初めて見たのですが、貴人女性ならきれたのですね。 参考になりました。 ありがとうございました。

  • sijya
  • ベストアンサー率45% (44/97)
回答No.2

>身分によって織物が着れる立場の人と、そうでない人がいたということでしょうか? 答えからいうとそういうことです。 現代の私達から見ると「平安の装束」特に 「十二単」などというのは豪華な織文様の衣を重ねて・・・ というイメージがありますが実際、そのようなものは 雛人形または現代の皇室から私達が受けとっているイメージが 強いと思います。 平安時代や江戸時代の公家女性が時代行列で 着ているような豪華な十二単などは本来かなり位の高い人 が重要な儀礼の時に着用するレベルですので彼女達の人生に おいても数えるほどしか着られなかった装束です。 平安時代の場合・・ 実際は帝やお后様に仕える女官達は常に礼装でしたけど 平織(つまり織文様がなにもない絹を染めたもの)の衣を重ねて 地味な織(せいぜい地紋があるかな~程度の)の唐衣や 裳 といういでたちだったようです (これは現代の皇室にも受け継がれてます)。 そして当のお后様達は というと 合わせている衣の織はたいそう豪華(中国製の織物かもしれない・・・)ですけど、高貴な身分ですので重苦しい十二単など 着る必要はなく、袿を何枚か重ねたり、せいぜいその上に「表着」や 「小袿」を羽織る程度・・といった軽装です。 女官達の服装の場合、これではあまりに地味ということだったのか 特に特別な時などには衣に絵を描いたり、ということも あったようです(後期頃には刺繍も・・?・・記憶が定かではないですが・・)。あと、女官のなかでもかなり身分の高い人はまた少し 違った待遇を受けていたはずです。 そのほかにも禁色 というものがあって お后以外にしか許されない色、高位の女官にしか許されない色 というのもありました。 どこで境界線を引いてあったか忘れましたが 紫(紫根を使って染めたもの)・赤(現代でいうと黒みがかったような赤)・青(現代でいうと青みがかった濃い緑色) あたりがそうだったと思います。 そういった身分的なこともあるでしょうし 紀貫之のむすめの時代は平安時代でもかなり最初の頃で まだ奈良時代の雰囲気が残っていた可能性がある頃なので 袿も絞り染めが盛んだった奈良時代の雰囲気になっているのかも しれません(もしかすると当時そんな袿があったという記録もあるのかも)。 いずれにしても平安時代当時の装束は今の日本には存在していませんし・・。 せいぜい鎌倉時代や室町時代に神様に奉納されたミニチュア装束くらいしか実物は残っていないようなので、かなり想像で作られている部分も ある ということもお忘れ無きよう・・・

mumumumu_
質問者

お礼

ありがとうございます。 参考になりました。  紀貫之の女の衣装は、縫い締め防染で、白場で模様を抜き出して、後は一色の無地染めという、完全な後染めの袿を着ていらしたので、どちらかというと奈良時代よりは室町時代?と錯覚するような雰囲気でした。    平安時代の装束といえば、豪華絢爛な貴族や皇室の衣装、儀式儀礼に用いられたような盛装にばかりスポットが当たっていて、平素の装い、特に中流階級の、となるとあまり詳しく知ることが出来ません。  奈良時代までは盛んだった絞りが、平安になっていきなり無くなる、ということは在りえないでしょうから、染物も多々あった可能性は高いですよね。  時代祭りで着ているということは、何か裏付けがあってのことでしょうが、出所が気になります。  詳しく書いて頂いて本当にありがとうございました。

  • sosdada
  • ベストアンサー率33% (265/792)
回答No.1

「現代の時代祭りできる着物」の、模様と染め方、という意味でしょう。 おっしゃるとおり、平安時代の女性の袿や裳にしても、原則無地でした。鎌倉時代に描かれた「源氏物語絵巻」などはあくまで想像図です。カラーの絵巻すらほとんどありませんでしたし。 襲色目にしても、現代のカラー印刷で説明されているような派手な色ではなく、ぱっと見、全体的に茶色でした。なぜそんなことが分かるか? 普通に草木染をなさってみてください。みな茶色になります。それをやや黄色っぽいのを「黄」とかややピンク色のを「桜」とか称しました。 鎌倉時代は、「過ぎ去った華やかな時代(だったはず)」の平安時代へのノスタルジーとして、或いは単にヒマだから、ああいう豪華な服が作られました。

mumumumu_
質問者

お礼

ご回答ありあがとうございます。 >「現代の時代祭りできる着物」の、模様と染め方、という意味でしょう。 というと、実際に何か文献などに残っている資料をもとに作成した衣装ではない、ということでしょうか? 確かに、紀貫之のむすめ役の女性の衣装は、 袿…赤地菱模様 絞染 無地綾 ですよ、といわれれば納得できますが、これでは時代祭の意味が薄れる気がします…。