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人間て“生かされている”と言いますが、どう言う事ですか?

人間て“生かされている”と言いますが、しっくり理解できません。 戦争や病気で亡くなる事なく運よく、生きながらえている事なんでしょうか? それとも、宗教的な意味なのでしょうか?

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noname#94455
noname#94455
回答No.11

No.10です。補足をありがとうございました。 もういちど、ご指摘の疑問点について考察いたしました。 質問者さんが満足行くように、きちんと答えられているかは解りませんが…。 「生かされている」ということは、自分以外の何者かの意志が働いていると言うことだとすると、人なり、生物なり、自然界なり、「何かと繋がっていること」と解釈できるのではないかと思います。 つまり、何らかの恩恵を互いに分け合って生きているということで、「相互扶助」、または、「共生」という関係がそこには成り立っていると言えます。 これに、積極的に関わりたいという意識が働くと、「生きたい」となり、関わりを絶ちたいという意識が働くと「死」を望むということになります。 「生きている」には、「生かされている」という受動性と「生きたい」という能動性と二つの性質があって、それぞれが絡み合っているのではないかと思います。 受動的になったり能動的であったりは、人生の中で移り変わり、どちらが優位に立つかは、その時々で変わるのだと思います。 赤ん坊や幼児の内はまだ受動的で、思春期や青年期は受動性・能動性どちらも兼ね備えていて、成年期に入ると仕事や家庭を持つようになり、能動性を求めたり求められたりして、壮年期では能動的であるのが理想だと言えると思います。 けれど、現実にはそうはならないことがあって、受動性も能動性も拒絶した状態が、「死」だと言えると思います。 「生かされている」というのは幼児や学童期の様に「受動的な立場」にあるときに適した言葉で、「生きている」というのは、自分が何者かであろうと強く自我意識を持って、自立しようという意志が強く働いている状態を言うのだと思います。 しかし、「生きている」という状態にあるときも、やはりそこには、「相互扶助」や「共生」という意識が関わっていて、「生かされているという意識を内包している」のだと思います。 何故かというと、全くの関わりを絶つと、人は生きてはいけないからです。 それは、「肉体的な死」であったり、「精神的な死」であったりだと言うことになると思います。 自ら「死」に向かっていく人は、「生きている」こと、即ち、「生かされている」などということが微塵も感じられなかったり、煩わしく思えているのではないでしょうか。 悩むことに疲れ果てて、絶望を強く意識すると、自分を取り囲む万物から縁を絶つ行為、「死」を選択するのだと思います。 それは、「相互扶助」も「共生」もない無の世界に入ることです。

maggio0831
質問者

お礼

たいへんタメになりました。 私は100%受動的に考えるものだと思っていました。 100%受動的に考えなくてはいけないのかと・・・ だから、しっくりいかなかったのだと思います。 ホントにありがとうございます。

その他の回答 (12)

回答No.2

支えあって生きてるって事です。

  • 15467980
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回答No.1

無人島にでもつれて行ってもらって「さあ、ひとりで生活してください」と言われれば理解できますよ。 ま、食べる物や水が豊富ならあなた一人でも生きていけるかもしれません。 でもそれって、「自然の恵み」に生かされてるって事ですね。