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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:おくのほそ道、「卯の花に」は良い句?)
おくのほそ道、「卯の花に」は良い句?
このQ&Aのポイント
- おくのほそ道読んで感心する平泉の場面。詠まれた曾良の句「卯の花に兼房見ゆる白毛かな」の良さがわからない。
- 卯の花揺れる風景、兼房の白髪を連想させる。風景が心霊写真のようになる句の良さを知りたい。
- 俳句は風景の写真と考えられる。この句の良さと芭蕉の意図を教えて欲しい。
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こちらを参考にされてはいかがでしょうか。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1421212244 私は趣味で俳句を嗜んでいます。 私見になりますが、「テレビアニメで登場するの俳句人のイメージ」でしょうか。案外と一般の多くの方が、俳句というと、実際に見た風景や花などを詠むもの。とのイメージがあるようで、なるほど。もっともだと思います。 が、(ど素人の私のような自称俳句師もどきであっても、)実際には、目前の原風景のみならず空想であったり、理想、妄想、回想等、人の心に介在するものは、おしなべて「俳句」となりえます。短歌や小説、絵画等と同様です。 芭蕉や楚良などであれば、古文や漢文、短歌などへの傾倒も半端なものではないでしょうし、尊敬する人物への思いは相当なものでありましょう。 そう考えると、芭蕉、楚良には当地に於いて、双方の共通の意識感覚に「兼房」への思いを強く揺さぶられたのだと想像します。そんな時は「形にしたい」そんな意識の衝動が起こります。それが自然と形になったのだと思います。 ご指摘のとおり、「心霊写真」のようなもの。素晴らしい!!! そのとおりだと思います。短歌、俳句、漢文、文学。。。。時空間を瞬時に移動できるタイムマシンのようなもの。(そう私は思います。) その「心霊写真」のようなもので、芭蕉も楚良も兼房への対面をされたのでしょう。(もちらん心の内で。) ところで、良い句かどうかは、良くわかりません。この句の背景がわかれば良いと思えてくるかもしれませんね。私もこの句を調べてみようっと。
お礼
ありがとうございます。URLも参考になりました。卯の花の中に見える兼房の様子も、なるほど、奮戦中の忠義の臣としての雄雄しさ・たくましさを見ればよいのですね。討ち死に直前の苦悶のみを見ようとしていました。なるほど、少しわかってきたような気がします。というのは少々、思い上がりかもしれませんが。 ありがとうございます。