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だれにでもいい顔をしてしまう人ー加藤諦三
私の国語能力の問題だと思いますが上記の本でわからない箇所があります。 *転載します* ケンカを嫌うのはそういう人にエネルギーがないからである。今の人はエネルギーがない。だから「嫌われたくない症候群」になるのである。 お互いの信頼関係がない人たちは諍いを恐れて自分が折れることで問題を解決しようとする。 しかしそうした解決の仕方では問題の本質的な解決にはなってない。 「嫌われたくない症候群」の人たちはケンカをしないけれども相手にとっては近づきにくい人たちである。 長い間にはお互いに話すのが億劫になる。 ケンカをすると感情の中が空っぽになる。気持ちがすっきりとする。 「嫌われたくない症候群」の人は「器」の中にいつも何か残っている。そして器の「蓋」をして人と付き合うから人間関係が重くなる。 「嫌われたくない症候群」の人は人とあうときにはいつも感情に蓋をして会う事になる。 蓋をする人は両方から得ようとしている。 --------- この先は違う話になってます。 最後の「両方から得ようとしている」の両方とは何をさすとおもいますか? なぜか気になってしまって先に進めません。
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ケンカはしたくないし、問題も解決したい。 両方求めている。両方から、良い人間関係を得ようとしている。 この部分だけだと、そんな意味じゃないでしょうか。断定はできません。 私がフッと思った解釈です。 引用文の前後を広く読まないと分からないことも多いです。 ビールを自分で買いに行かないで、自己蔑視している子供に行かせようとする、 ズルいお母さんの話とかが出ていませんでしたっけ?(苦笑)。 違っていたらすいません。 サーッと一度最初から最後まで読んで、それで全部、隅から隅まで分かったら、 これはたいしたものだと思いますよ。 私は加藤さんの本を初めて読んだ時、サッパリ分からなかったというか、 ピーンときませんでした。多分10年近く放置していました。 又その後は熱心に読むようになりましたが、2~3ページ読んでは、うーんと考え… でもよく分からない(汗)。仕方ないのでそのまま、次を読む。 そんなことの繰り返しでした。2年位そんなことを繰り返して、やっと少しは分かったかな、 という感じでした。 中学の時とか、先生に教わりませんでしたか。 テストをやっていて、できない問題があればあまり執着せず、飛ばせ、と。 飛ばして他の問題をやっているうちに、分からなかった問題が分かったりするものだ、と。 読んで、何となく分かったことについて、自分の人生経験と照らしてみる。 しかしそれはすぐには浮かばない。何ヶ月か後に、「あーあれのことか」と気づいたりする。 そしてそれに気づけば、他の分からなかったことが芋づる式に分かったりもする。 そんなことの繰り返しだと思います。 一発で分かれば、貴方も加藤さんのように、今すぐ本が出せるはずですよ。 そんなに簡単には分からないと思います。 だから、それで落ち込んだりとかする必要など全くないと思います。 又、国語能力の問題ではないと思います。自分の人生経験に照らし合わせられるかどうか、 それにかかってくると思います。 加藤さんの言っていることが、自分の心に見出せるか、です。 或いは周囲の人の心に見出せるか、です。 苦しんで得るからこそ、価値があるものです。 苦しんで得れば、苦しい分だけ自分が大きく変る可能性がある。 一発で分かれば、あまり自分は変わらないことが多いんじゃないでしょうか。 ですからあせらず、分からないところは仕方ないのでそのままにし、まずはザーッと読んで、 それから少しずつ考えながら、最初から読み返して、と。時間をかけるのが宜しいと思います。 完全主義のことも書いてありますよね。貴方は完全主義的傾向が強いのかも知れません。 そんなことも考えながら読む。完全主義的にならないように、読む。 そんな心掛けも良いかも知れません。がんばって下さい。
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- vachico
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とてもわかりづらい文章ですね。 感情の中とかいたものを急に器といったり...。 内容に共感できないのでわかりづらいのかもですが 私は下記のよう思いました。 蓋をする人は、両方から情報を得ている、つまり 二つの目線でいつもみている。 1)今、自分が感情をむき出しにしたときの相手の反応 2)今、自分が感情をおさえて折れてしまったときの相手の反応 1)、2)を常に考え安易なほうに身を委ねる。 難しいですね なにかまだぱっとしないのですが。 しかし、探究心がつよくていいですね。
お礼
ありがとうございます。 二つの目線でいつもみている、という理解のしかたが正しいのかもしれないですね。 探究心つよいですかね?ちょっとうれしかったです!
>だれにでもいい顔をしてしまう人 これにヒントがあるのではないでしょうか。 A君:意見を異にする人→ケンカになる B君:意見が合うひと→ケンカにはならない 誰でも双方のタイプの知人を持っているはずです。 「嫌われたくない症候群」のひとはAのひととは自分が折れて中途半端な付き合いしかしない。Bのひととは当然付き合うけれど、Aのひとの友人関係も継続したい。 A,B両方からそこそこ成果を得たいという意味ではないでしょうか。 これは良い生き方ではないというようなニュアンスのようですね。
お礼
ありがとうございます。 そういう広い意味で捉えると「誰にでもいい顔をする」→「両方から得る」 ということになるんですね。 この本では自分の意見をもち、発言することが自己実現の第一歩ですよーと書いてありました。 なかなか私には難しいです。
- OKWaveGT5
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ケンカをする人がいます ケンカをする人は意見が食い違っています 例えば会社の組織の中でA案とB案があった場合 どちらが良い案かケンカをすればわだかまりがなくなるだろうと・・・ そこへ仲裁者が入ってー 「まあまあまあ」とけんかを止めればー 加藤さんは 「お互いが納得するまで黙って討論させろよ、この嫌われたくないA(C)が!」みたいなー? このパターンならわかりやすいですがー、 2人で喧嘩する夫婦げんかはー・・・??? 当てはまらないようなー??? まー無理矢理こじつけるとすれば 子育てでけんかする場合の一例として 「放任主義がよい」 「スパルタがよい」 この矛盾する意見をー 放任主義は自主性をスパルタは順応性を育むからどっちも良いとして 具体的方向性を見いだせない状態みたいなことですかねー?
お礼
ありがとうございます。 「どっちも良いとして具体的方向性を見いだせない状態」そんなニュアンスで考えるとしっくりきます。 要は自分が無い、ということなのですかね?自分がないからどっちからも得ようとするーそう解釈することにします。
お礼
そうです、ビールを買いに行かせる母親の話が出てきます。 私はこの本を読むまで何の疑問もなくビールを買いに行く子供でした。 よく「お母さんがかわいそうだと思わないの?」と言われるので・・・ 両方というのは広い意味なんですね、なにか固有のものなのか??とぐるぐる考えてしまってました。 ケンカはせず、問題は解決する。こう考えたら納得です。 やはり加藤諦三さんの本は難しいのですね、いま10冊くらい読みましたが 深いなぁーと思っています。 あたたかいお言葉ありがとうございます。完璧主義・・そうかもしれません。 自分に疲れるときがありますから。笑