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宗教の意義
こんにちは。 私の周りには宗教はインチキだという人たちが多いのです。そういう私も無宗教です。 ですが家には仏壇があり神棚があり庭にはお稲荷さんがいます。 お正月には神社に初詣にいきますし、法事はお寺で行います。結婚式は教会で挙げました。 本題に入ります。 その宗教がインチキだという人たちに意味のあるものだと思っていただけるようなお話を聞かせてください。 学がないもので難しい話はよく分からないと思いますがよろしくお願いします。 紛らわしい用語がありましたら区別ができるようにお願いします。 例)西洋の神(GOD)、中国の神(シン)、日本の神(カミ、迦微)
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こんにちは。 ★ 宗教の意義 ☆ これについては ご質問の趣旨に添えず ほとんど見つからないという結論を持っています。その点申し訳ないですが ただしその宗教の発生の過程についてどう捉えるかをしるして では何故曲りなりにも存続しているかを考えてみたいと思います。 人間には 広く《共通感覚 sensus communis / common sense 》とよぶべき人と人との関係性を この宇宙の中で持っていると考えられる現象が見受けられます。その昔 アイヌの間でこういうことが起こったそうです。 一人のアイヌの男が 山で遭難した。戻って来ない。 巫女が占なった。この山のどこそこあたりに倒れていると言う。果た してその通りであったが そのわけは こうだと説明した。 ――わたしが からだ全体で 山になる。その山の全体に わたし の体を重ねてみる。 そうすると 体の一部が 痛くなる。その部分が 山のどこに あたるかを考えてみれば そこに男は遭難しているはずだ。 おそらくこの現象は 非科学的であっても 反科学的ではないでしょう。 神体山であるとか神木とよばれた樹木 これらにひとが身心ともに寄り憑くというのは ふつうに素朴に 原始心性だと捉えます。その山の石や木が神との交流の依り代になっているということのようです。 人間の自然本性にそのような《交感 correspondance 》のはたらく余地があったのだと思います。アニミスムともよびますよね。 ところがこれをいいことに そこからは 自分でこの現象を操作しようとする動きが出ます。シャーマンです。 何か身のまわりのことでも或るいは広く共同体全体のことでも 揉め事があったり衝突なり戦争があったりすると もはや上のアニミストたちの素朴な対処法ではなく そうではなく このシャーマンの出番となる場合です。 何が何でも 自己の努力によって 自己の意識を突き抜けて 何ものかの世界――つまりかみがみのでしょうが――に身を置き さらにそこから 何らかの答えを得て戻って来るというのが シャーマニスムです。 さらに時を飛びます。 やがて あたかも初源のアニミスムの自然性を取り戻してのように しかも新たな心性を 人は獲得したと思われます。単純にそれは 時間の獲得によるものでしょう。 農耕をとおして・つまり麦なり稲なりの栽培の過程をとおし・つまりその種蒔きから穫り入れまでの時間の経過をとおして 自己も 時間的な存在であることを知ります。 要するに 自分たちは老いると ただ倒れるのではなく死ぬのだという認識を得たことがからんでいるはずです。時間的存在であることは 心性を高めて その精神および身体において 歴史知性を獲得したと考えられます。世界へ その時間的存在なる自覚において 入った。 ここまでの経過とその後の転回をも交えて 整理すると 次のようです。 -1:原始心性=《ヨリ(憑り)》:アニミスム&シャーマニスム 0 :歴史知性=《イリ(入り)》:世界への入り +1:超歴史知性=《ヨセ(寄せ)》:《ヨリ》を束ね 《イリ》をも 社会力学上(政治的に) 寄せる。 ヨリ→イリ→ヨセの順序を想定したのですが では なぜ 最後にヨセが 出て来たのか。ここでは これは 要らぬものという理解に立ちます。(人によっては 必要悪と言ったりします)。そして これが 宗教の始まりです。 言いかえると イリなる歴史知性においても ヨリなる原始心性におけるアニミスム自然本性のほうを備えているでしょうから(つまり むやみに捨て去ることはないでしょうから) その非科学的な――反科学的ではなく 非科学的な――心性として いわゆる信仰をも持っています。単純に 超自然のちからを かみと呼んだことでしょう。 さて ここから スーパー歴史知性とよぶべき《ヨセ》なる人間類型が出ました。 単純に言えば ヨリ・アニミスムを備えたイリ歴史知性は その信仰において 神との共生をふつうの社会的な(村の)人生としており 実際に或る種の儀式として 神との共食を持ちます。つまり 食物の収穫に感謝し供え物をして 共に味わうわけです。つまり《まつり(奉り・祀り・祭り)》です。 ヨセは このマツリを 一段高いところから(ふつうのイリ歴史知性を超えたところの精神において) 《まつりごと》として制度化したというものです。マツリゴトとは 個人の信仰を束ねる宗教であり政治です。 古事記には こうあります。 その(仲哀タラシナカツヒコ天皇の)大后 オキナガタラシヒメのミ コトは 当時(そのかみ) 神を帰(よ)せたまひき。 四百年ごろのことだと推測されますが 具体的には九州のクマソもしくは半島の新羅を討つというくだりで出て来ます。 これは あたかも その昔のシャーマンを思い起こさせます。そして 違いは すでに人びとは一般に イリ歴史知性なる有限な存在としての自覚を持ったあとだということです。かくて ヨリ・シャーマニスム+イリ歴史知性で ヨセなるスーパー歴史知性の誕生というわけです。鬼っ子かも知れません。 つまりは その昔のシャーマ二ストは まだ 人びと(アニミストの)と同じ地平に立っていたところがありますが このヨセなる超歴史知性は この同じ水平を嫌ったようです。 嫌ったので 強引に社会のいわば第二階に みづから上がって行ったのか それとも人びとが その新型シャーマンに辟易してこれを敬遠し 人びとの合意で これを社会の神棚に据えてまつろうということにしたか いづれとも推し測られます。(《国譲り》説は 後者です。社会が 二階建てになりました)。 要するに ここに 神の代理が 出現しました。見えない神との共食(供え物をしてのまつり)が 見える神との共食(貢税を伴なうまつりごと)になったという話です。これが 宗教の始まりを説き明かす一つの歴史事例(そのたとえ話)だと考えます。 * したがって 宗教の意義は ヨセなるスーパー歴史知性にとっては みづからの保守としてのそれがあるでしょう。一般に基本的にはないと言うべきでしょう。――ただし人は 習慣による生き物である部分が強いように思われます。 * この考え方に立つと 神の代理との共食――マツリゴトとしての共同自治の制度 つまりこれは国家という形態です――は やがて歴史的に しかるべく揚棄されていくことでしょう。わたしたちは 永く働き蜂に甘んじていたというわけです。イリ歴史知性の回復 万葉集いや億葉集のルネサンスということではないでしょうか。
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良く分からない事を棚上げにしておくためには便利な装置ではありますね。 人の運、不運ですとか、生まれながらに容姿や才能に差があるのは何故か?とか。 死んだ後はどうなるの?なんて、どんなに科学が発達しても人間が生の側にしか存在できない以上、分かりようの無い事ですからね。 中には死後の世界を見てきたなどと確かめようの無い話を仰る方もいらっしゃいますが。 そういう分からない問題や確かめようのない話を棚上げにしておくためには必要と言えば必要なんでしょう。 それ無しでやれる人には無用なものでしょうけれどね。
お礼
お返事ありがとうございます。 棚上げするだけでしたらいいのでしょうけど棚上げしたものを利用していることの納得がいかないようなのです。
- ESE_SE
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質問者様の周囲の方がおっしゃる「インチキ宗教」がどんなものなのか、 具体的に判らないと何とも言えませんね。 端的に言えば日本のカミを祀るのは祖霊崇拝や御霊鎮魂の類ですね。 仏教は日本のカミに対する裏付けとすべく当時の先進国・隋などから輸入した思想だと私は考えています。 御霊鎮魂は即ち災厄の原因が荒御霊であるのでこれに鎮まってもらうこと、つまり現代のように防災の科学が無い時代の「最先端防災技術」でした。 鎮魂された御霊は荒魂から和魂となり、我々に力を授けてくれます。 憤死して雷神と化した菅原道真が鎮魂されて天神様となったのが代表でしょうか。 これに対し祖霊崇拝は自らの祖先を祀り、現代を生きる我々を見守ってくださるようお願いする行為です。 これは現実的に考えると「自分達が死んでも後の者が自分を葬って祀り、家を継いでくれる」という安心感を生者にもたらすということではないでしょうか。 例えば日常の生活や言葉にも宗教の影響は無数に存在します。 例えば「ありがとう」という言葉でさえ「有難い(仏の御利益が滅多にないさま)」から転じています。 また何か事件が起きたときに「くわばら、くわばら」などと言う人がいますが、 これは先出の菅原道真の家が京都の桑原にあり、その地域だけは天神様の雷が落ちなかったことにあやかり 「ここは桑原ですよ、ここに雷は落とさないでください」という雷除けのまじないが起源です。 西洋的に「心のより所として積極的に崇める宗教」ではなく「日本の土着宗教としての『日本教』」ならば 我々は常にその宗教の影響を受けて生活しています。 妙に偏った思想のカルト宗教に引っかかる前にそういった日本人が受け継いでいる宗教を理解し、 仏壇に手を合わせるなりたまには墓参りに行くなりすれば良いんじゃないでしょうか。
お礼
お返事ありがとうございます。 とても滋味豊かなお話が心に落ちてまいりました。 一度近しい方にお話してみます。
- ferox
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宗教の意義は心の安定。 その昔人間には恐怖が多かった。だから恐怖を神にして、心の安定を求めたんですよ。 はっきり言って、いんちきと言えばいんちきで、のめり込むような価値のあるものではないです。神に祈って、誰が助けてくれるんですか?? 心の安定を宗教に求めたんだと教えてあげて下さい。
お礼
お返事ありがとうございます。 >神に祈って、誰が助けてくれるんですか?? このように仰られる方も多くいます。 そう言われてしまいますと返答に窮してしまいます。
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お礼
お返事ありがとうございます。 つまり宗教の意義とは搾取する側の既得権益を守ることであり、習慣というマインドコントロールされた人々を開放するのは難しい。そしてそれは時が解決する。 とても難しいお話で理解できているか自信がありません。