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武田信玄の貨幣制度はなぜ4進法か。

武田金の単位は1両=4分=16朱です。 武田信玄は、なぜ4進法の単位を採用したのでしょうか。 家康も、4進法のまま受け継いでいます。 日本は、十・百・千・万のように数の概念が中国から入ってきた当時から十進法だと思うのですが…。 武田金発行当時、中国かそれとも他の外国から4進法の考え方が入ってきたのでしょうか。 それとも、信玄独自の考えで、「4」にこだわったのでしょうか。 こだわったとすれば、それは何でしょうか。 よろしくお願いします。

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  • tanuki4u
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回答No.2

考えの基本として「秤量貨幣」である。 というのが必要かと思います。 重さを量ってナンボ。 きれいに10分の一にするのは至難の業です。 秤量貨幣なので、一両を分けるときに、天秤で、左右均等にすると、きれいに半分になります。んでそれをさらに半分にすると1/4になります、さらに・・・とすると1/8になりますが、面倒になったんじゃないかな。 4等分くらいで、まぁいいや、って感じ。

goo-par1732
質問者

お礼

そうですね、「秤量貨幣」が出発点ですからね。 実際の取引においても1/2、1/4、1/8に分割していくのが自然ですね。 私は、「四」は「死」に通じるというマイナスイメージを、逆に「四天王」というプラスイメージを想像して質問したのですが、そんなことより、製造上の問題や実際の取引のし易さを考慮すべきでした。 まだ少し疑問点があるので調べてみます。 ご回答ありがとうございました。

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  • gungnir7
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回答No.1

金貨の希少価値が非常に高いため、主に加工面の利便性を考慮してのことです。 銀よりも更に価値が高いですから、重さの違いには敏感です。 綺麗に等分する関係上、容器を田型にして4等分した方が計測がし易かったのです。 10進法ですと容器も工夫しなければなりませんし、1/4の重さで丁度いいのに 1/10にすると金の保有量を減らされて鋳造されたときに、手持ちでは見分けもつきにくいと思われます。

goo-par1732
質問者

お礼

なるほど! これは、すばらしい考え! よいヒントをいただきました。 加工面の利便性を考慮しなければなりませんね。 気づきませんでした。 そこでちょっと調べてみたのですが、小判の製造工程は、直方体のインゴットは鋳造ですが、その後、叩いて延ばして、規定の重さに切って、成形しています。 1分金、1朱金の作り方はまだ調べていませんが、おそらく延金して寸法切りすれば、所定の重さに近似の素材を得ることができるのではないでしょうか。 1朱金ほどの小さな貨幣を作る技術をもっているのですから、10進法にできたはずだと、やはり思ってしまうのです。 ご回答ありがとうございました。 金座と小判の製造工程 http://www.boj.or.jp/type/pub/data/nichigin14-7.pdf 甲州金 秤 http://www.imes.boj.or.jp/cm/pdffiles/07kosyu.pdf

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