- ベストアンサー
驕りとは何ぞや
- 驕りとは、自己中心的な思考や自己陶酔の状態を指し、自分を過大評価し、他人を見下す態度を持つことです。
- 驕りから解放されるためには、謙虚さを身につけることが重要です。他人の意見や批判に素直に耳を傾け、自分自身を客観的に見つめ直すことが必要です。
- 驕りによって才能や魅力が損なわれることもあります。自身の優れた点を認めつつ、謙虚さを忘れずに生きることが大切です。
- みんなの回答 (13)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>頭の良い方(できれば東大、京大生) たったこれだけの言葉で貴方の未熟さがにじみ出ています。その未熟さに驕りが重なったら目も当てられず、刹那的な錯覚はいざ知らず、深みのある幸福感は一生味わえないでしょう。ですから、 >たぶんこれまでの人生にとても怒りを覚えることでしょう。でも人生ずっとこのままよりはいいかと思います。 という言葉に同感です。 でもご心配無く、貴方が余程業の深い方でない限り、成長と共に目から鱗が落ちる経験をして、今あなたのいる未熟な段階から抜け出せるものです。そんなときに自然と驕りも消えて、それに悩まされなくなりますから。 蛇足ですが、東大生や京大生が他の方と違う一番大きな点は彼等がそこの学生になってみて、そうなったからと言って自分が他の人達と比べてみて特別に異なった人間になったわけではないと言うことを知っていることなのです。博士然り、政治家然り、授賞経験のある学者然り、事業の成功者然りです。その方たちがそうならなかった方と違う一番大きな点は、上の東大生や京大生の例と同じで、彼等がそうなったからと言って、自分が他の人達と特別に異なった人間になったわけではない、実は皆と同じレベルにいる人間だと言うことを知っていることなのです。別な言い方をすると、所謂成功者達とは、自分の実力にではなく、自分の幸運さに素直に感謝できる人間になれた人達のことです。
その他の回答 (12)
- nrow01
- ベストアンサー率31% (6/19)
驕りとは・・・、ま、意味はネットで検索すれば出てきます(^^)。 冗談はさておき、あなたの質問文自体に「驕り」を感じます。 まあ、私も含めどんな人にも多少はそう言った部分はあるでしょうね。 しかし、行き過ぎている人は「みっともない」し、「こっけい」でもあります。 そう言った人は、自分を大きく見せたいのか「自分のことを他人に説明」します。 でも、誰にでも「人を見る目」はあるんです。 それに、驕りはその人の言葉をも無意味にします。例えば、「私なんか大した人間じゃありません・・・」と人に言っても、「心では逆を思っている」と見抜かれてしまい、驕っている人は、そう言った説明も無意味となります。 まあ、基本は「評価は他人がする」という事を知ることです。要するに、自分がどう見られているのか?どう見られたいのか?を気にしても結局他人の主観です。 人(他人)の感情を操作はできませんから、やるべきは自分磨きです。 誰だって、人から変な人間だとは思われたくないでしょうし、仮に誤解された場合など、放って置くと自分にはマイナスですよね。 でも、そう言ったことも含め、「時間軸を長く持ち」、誤解だったとわかってくれるだろうと思えるか。それが最後まで誤解で終わってしまっても、長い人生そう言うこともある・・・っと、寛大に受け止められるか、そう言うことです。 1番肝心な事は、自分自身が間違っていない事をやっているか?分かっているという事です。 あなたは、「頭脳明晰」だとか、外見や才能において人より優れている等と書いていますよね。これが驕りでなくて何でしょうか?正直、みっともないですよ。 これが事実でもです。 私の母や、ばあちゃんや田舎に住む叔母(共に他界しました)など、全くの無学で見た目も「・・・」です。しかし、親族の私だけでなく、誰が見ても「心が温まる」ぬくもりを持った人でした。常に「まんじり」とした寡黙な人たちです。 人は、どのように振舞おうが、結局は等身大の評価に収まるんです。その事が分かっていれば、驕っても仕方ありません。 不評をくらって、あらぬ苦情が出ても、見ている人は見ていますし、総スカンを食らっても、真実がそうでないなら、不評も一時的なものです。
お礼
私は人より優れているとか言っても事実なんだからいいじゃないか、と思っていましたが、事実でもみっともない、ということを言ってくださりありがとうございます。 私はもっと大切な何かを、人との関わりで見つけていく必要があるんでしょうね。直球で対話することがほとんどなかったので人の心に不敏感になっているようです。
学歴がないので恐縮ですが、他人より優れた才能や特性は他人のために活かしてこそ真価が発揮されるのだと思います。 人より恵まれた才能をただ鼻に掛けるだけなら他人を不快にさせる諸刃の剣になりますしね。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 自分自身に言い聞かせたい言葉ですが、驕って後ろへ反り返っていても転んでしまう。他者に活かされ、収穫されるような人間になりたいですね。
- 1
- 2
お礼
初めての投稿なのでよくわからずお礼です 全体に関して、今回の質問に、本当はもっと哲学的な回答ーー驕りのメカニズムなどを期待していたのですが、予想外に説教的な回答でがっかりしました。 正直驕っている自分にははっと気づかされるなどはなかったですが、しかしこんな人間に何人も回答をくれたことがありがたかったです。昨日は(今日はまた消えてしまいましたが)少し視野が広がった(自分の小ささを快く感じた)気がしました。 そこで感じたのは、実生活で、幼稚な自分は見せられず大人ぶっているので、むしろそれが原因かもということです。閉じこもって悪が溜まっていくというか… 驕っていても本音で対話ができれば、視野が広がっていくはず。今回対話してくれたことが嬉しかったという感じです。 chototuさんの回答は一番適切で頭のよい方だと感じました。(またこの言い方幼稚なんでしょうね)驕らないっていうのも才能のひとつなんでしょうね。羨ましい いつかみんなの回答を見直してもっと意味がわかるといいと思います