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驕りとは何ぞや
- 驕りとは、自己中心的な思考や自己陶酔の状態を指し、自分を過大評価し、他人を見下す態度を持つことです。
- 驕りから解放されるためには、謙虚さを身につけることが重要です。他人の意見や批判に素直に耳を傾け、自分自身を客観的に見つめ直すことが必要です。
- 驕りによって才能や魅力が損なわれることもあります。自身の優れた点を認めつつ、謙虚さを忘れずに生きることが大切です。
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>頭の良い方(できれば東大、京大生) たったこれだけの言葉で貴方の未熟さがにじみ出ています。その未熟さに驕りが重なったら目も当てられず、刹那的な錯覚はいざ知らず、深みのある幸福感は一生味わえないでしょう。ですから、 >たぶんこれまでの人生にとても怒りを覚えることでしょう。でも人生ずっとこのままよりはいいかと思います。 という言葉に同感です。 でもご心配無く、貴方が余程業の深い方でない限り、成長と共に目から鱗が落ちる経験をして、今あなたのいる未熟な段階から抜け出せるものです。そんなときに自然と驕りも消えて、それに悩まされなくなりますから。 蛇足ですが、東大生や京大生が他の方と違う一番大きな点は彼等がそこの学生になってみて、そうなったからと言って自分が他の人達と比べてみて特別に異なった人間になったわけではないと言うことを知っていることなのです。博士然り、政治家然り、授賞経験のある学者然り、事業の成功者然りです。その方たちがそうならなかった方と違う一番大きな点は、上の東大生や京大生の例と同じで、彼等がそうなったからと言って、自分が他の人達と特別に異なった人間になったわけではない、実は皆と同じレベルにいる人間だと言うことを知っていることなのです。別な言い方をすると、所謂成功者達とは、自分の実力にではなく、自分の幸運さに素直に感謝できる人間になれた人達のことです。
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- littlekiss
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こんにちは、summerwintさん。 驕りとは何ぞや? うーん…なんだろう? 先の回答に‘欲’ってひとつことばがあがってましたよね? わたしも‘欲’が何か関係しているような気がするんです。 もう夏休みに入って数日、いつの頃でしたかね 終業式を終え渡された通知簿(あゆみ)を開けば下の方に [1学期]担任の先生からのことばが記されてあります。 ――――――――なんたらかんたら…云々―――――――― 学習面であともう少し欲がでればと、夏休みを大事に過ごしましょう。 欲って、生命エネルギーのひとつ 驕りたかぶる―――――何くそう-!と いままでピクリとも動かなかったものが動く 内に眠っている何かが 荒療治と恨めしく思えたことがときに必要なこともある
- owlsjp
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補足 意味が解らないようでしたら http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5129664.html こちらを御覧ください。
- owlsjp
- ベストアンサー率18% (23/127)
で、結論を言ってしまえば、驕りか、驕りでないかの違いは程度の問題ではなく 質 の問題であるわけです。 単なる、分不相応の自負であれば驕りであり、実感と経験と、出た結果による客観的な分析に基づいた自負であれば自身であるわけです。 少しの驕りでも、驕りは驕りであり、多すぎてもそれが単なる無知と傲慢さから出たものであれば、驕りです。 少しの自信でも、強い自信でも、それが上記のような客観的見方によるものであると「仮に判断する」なら、それは自信です。 これは、言葉の解釈で言えば、そうです。 「自信とは言っても客観的でないかもしれない、思い込みであるかもしれない」という主張をするなら、それはそれでまた別の問題であることは、先に言っておきます。 でも、これって言うまでもない、当たり前のことなんでは... やはり、相手の意図思惑の奴隷となり、脳の中枢神経に取り付かれ、ヤラレてしまった人間に言っても、解らないかな?
- owlsjp
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驕りとは分不相応の自負心を持つことであって、経験と実感における自身、自覚ではない という意味において、 程度の問題ではないのは明らかなのだが、それを程度の問題であるとして嘘偽り、欺瞞に満ちた見解を示す人間が驕りに満ちているということなんでしょう。 さーて腕の見せ所です などと相手から、いかにも自分が上位にいるという姿勢を見せ付けられたことにより、その相手の意気込みに飲まれてしまい、相対的な相手の意図思惑を受け入れてしまったことで 変わりに絶対的な視点、判断力を失ってしまった人がいるとすれば、それは残念に思います。 ○~~~ ●~~~ このように相手の言ったことと自分の言ったことを並べて論じることにより自分と相手を同格におき、場合によっては相手の文章を切り取り、一字一句を分解して述べることで相手を貶め、相手に取り憑き、エネルギーを吸っているんでしょうね、養分を吸われて気づかないのは、寄生されている人間のみか。 『とりあえず何でも言っておけば、相手は自分が該当するかもしれないと思うことを勝手に思いつき、勝手に解釈して論じてくるだろうから、その中で矛盾していると思われるところを適当に指摘すれば、相手は 「なるほど、そうなのか」と勝手に自分で納得するかも知れないから、なんでもとりあえず思いついたことを言っておけ、それで私の信奉者が増えればラッキーだ、増えなければそれで もともと、しょうがない』 と考えている精神分裂病者に対して、真摯にマトモに取り合う必要はあるでしょうか? 究極的には、他者との分別をつけるのが人間としての存在意義ではないですか... 卵が先か、鶏が先か、どちらでしょう。どちらでもないのです。自分の思考、意思によって変えた環境や、食生活が精神に影響を与え、精神、思いがまた環境や自分の行為振る舞いを変えていく。 そういう意味で 順序がぎゃく とはいえないのは明白です。 環境論のみに偏っている人間に対しては確かに ぎゃく と言えなくもないですが、少なくとも精神論のみに偏っている 精神異常者の言うことではないわけです。
- Y Y(@yy8yy8az)
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追伸 驕る気持ちが薄まると、新たによい方向への力がつくのではないでしょうか。 ‘驕り’は‘自信’に変換できるのかもしれません。 brgelonneさんの回答はこのことを言っているようです。
お礼
素朴なアドバイスですがありがとうございます。 bragelonneさんの回答は私は簡単に解釈しただけですがもっと大きな意味があるんでしょうか 驕りは自信に変換できる…わからないので考えてみます。
- Y Y(@yy8yy8az)
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‘欲’というものは薄めることが出来ます。努力しだいで。 ‘驕る気持ち’ これも、消すことは出来ませんが薄めることは出来そうです。 知的な事柄については、自分より頭がよいと思われる人と接して、自分の劣っている部分を自覚すること。 また、自分より劣っていると思う人と接して、その人の優れた面を見て、認めること。 肉体的にも、自分より優れた面を他者に見るように、日ごろから努めること。 こんなことを心掛ければ、自分はそれほどでもないことを知り、他者に学ぶべきことが多々あるということを、知ることが出来るのではないでしょうか。 もっとも、驕る気持ちがよい方向に向くのであれば、brgelonneさんの回答も捨てたもんじゃありません。 でもsummerwintさんは自分の‘驕り’を、わずらわしく思っているようですね。 それならば試してみてほしく思います。 私自身もうぬぼれ家ですが、馬鹿にしていた人に、優れた面を見せられて、よく反省したものです。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 ○ 奢りとは 程度もんだいである。 ☆ と知るべきでしょう。 おそれて縮こまるのではなく 積極的にその姿勢をも採って突き抜けて行ってみてください。 * ゴーゴリを知らなくて澄みません。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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ちょいと言葉をならべてみましょう。 奢り、驕り、驕慢、傲慢、酒盛り・・・ 自己としての形態、皮膚、甲殻類、骨格。 これら親戚ですね。 あぁ、謙遜、謙虚、警戒心の不要、無心、・・・ これは上記の超克ですね。 人に典型的なのが、自分としても形を持ちたいということですね。 だから、人はみな齊天大聖(孫悟空)なんですね。 仕事をし、価値ある存在、価値あることをしている。とおもっていても釈尊とやらの手のひらを雲に乗ったつもりで、大飛行したつもりでいる。 殆どの人は、そうじゃなきゃ一瞬もいられませんね。 この、人たるの枠をどう超克するか。summerwintさんの教えを賜りたいですね。
驕り(自慢する)と同音異語の奢り(振舞う)は、どちらも虚栄心のな せる技ですね。そうはいっても、「おごる」ために苦労したり出費した ことが今後に生かせて投資となるのか、勉強代となるか、単に浪費で終 わるのかは冒険とか博打と同じことをしてる訳です。 私は学こそないものの、海外で働いたことがあって「チップ」の習慣や 概念(年季を積んだところで昇給や出世の見込みがない人から受けたサ ービスに対しての心づけ)がなくて、それも現地の人より日本人という ことで(物価が高いから?)奮発もされ戸惑ったことがあります。 日本人としてお返ししなきゃって恩義を感じてしまうものもあって。 日本人の硬直さは施す側からすると失礼だ!驕りだとイギリス人に説教 されましたが!?英語も得意ではないのですが、多分そういうことを怒 鳴ってたと思います。
まあしかし、あなたが真に驕るに足る人物であるのなら、大いに驕っていいのではないかと思いますがね。 しかし、「自分は『驕って』いる」 と見なすこと自体、まださらに目指すべき上の精神状態があるように思います。 「驕る」とは、結局、他人との比較における自己評価に過ぎない。 ま、確かに人生を他人との競争と考え、他人を打ち負かす或いは乗り越えることがその最大の目標であると考える人もいますが、 しかし、より精神的レベルの上位ランクにいる人は、自らの中に目標を設定して大きな野望や理想に向かって邁進しているのではないでしょうか。 そして、そういう人が下す自己評価は、その野望や理想に自分がいかに近づけたか常に検証してなされるように思います。 真に妥当な「驕り」とは、現在の自分が過去の自分に対して行なう自分自身に対する「驕り」ではないでしょうか。
お礼
自分が驕っていると見なすこと自体まださらに目指すべき上の精神状態がある、確かにそうですね。言われてそのことを自覚できました。 私も他人に勝ることばかり考えてきました。勝ることがひとつのアイデンティティとなってしまっているのかもしれません。 自分自身に目標を課す、という状態がわかりませんが、これからそうなっていけたらいいと思います。 ありがとうございました。
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お礼
初めての投稿なのでよくわからずお礼です 全体に関して、今回の質問に、本当はもっと哲学的な回答ーー驕りのメカニズムなどを期待していたのですが、予想外に説教的な回答でがっかりしました。 正直驕っている自分にははっと気づかされるなどはなかったですが、しかしこんな人間に何人も回答をくれたことがありがたかったです。昨日は(今日はまた消えてしまいましたが)少し視野が広がった(自分の小ささを快く感じた)気がしました。 そこで感じたのは、実生活で、幼稚な自分は見せられず大人ぶっているので、むしろそれが原因かもということです。閉じこもって悪が溜まっていくというか… 驕っていても本音で対話ができれば、視野が広がっていくはず。今回対話してくれたことが嬉しかったという感じです。 chototuさんの回答は一番適切で頭のよい方だと感じました。(またこの言い方幼稚なんでしょうね)驕らないっていうのも才能のひとつなんでしょうね。羨ましい いつかみんなの回答を見直してもっと意味がわかるといいと思います