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子供のやる曲で技術的に以外に無理なもの
例えば、それほど難曲でなくても、解釈とか情操的にこなすのが難しいような「大人の」曲を子供がやるのは無理でしょうか? ピアノだったら「亡き皇女のためのパヴァーヌ」とかドビュッシー前奏曲の軽いやつとか。 あまり管弦楽は知りませんが、無調的な独奏曲とか。
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No.2の者です。 garcon2001さんが何を聴かれてその子供と楽曲がマッチしていると感じられたかは解らないのですが、やはり調性が曖昧になってくるということは、臨時記号を多く噛まし、さらに移調、転調を繰り返すということですから、その楽曲自体がそれなりに考えられたものである可能性が高いわけですね。当然その分難易度も増すでしょうし、内容も深まるということになります。 逆に、子供でも弾けたり、素人でも歌えるような曲を作ろうと思えば当然調性をある程度安定させる事になると思います。その方が難易度が下がりますし、心にすっと入ってくる曲を作ることが出来るからです。 また、全音ピースの中のCランク以下の曲というものはやはり調性は結構しっかりしたものが多いですね。先の回答で挙げた「花の歌」や「銀波」もそうですが、「クシコスポスト」「アルプスの鐘」等もしっかりしています。ただここにいう「しっかり」という言葉は、先に述べたこととの絡みで「ポジティブ」な意味合いを持つとは限らないと思います。また、Cランク以下の曲は、子供向けに書かれた曲が多く、子供が弾いても下手すると大人が弾くのとあまり変わらない(ちょっと言い過ぎですが)くらいの演奏効果をあげられるように書かれています。garcon2001さんもそのような曲を聴かれたのかもしれません。 ドビュッシーの「諧謔」などをどう表すのかというとやっぱり難しいのでしょうね。前奏曲や練習曲ならずとも、子供の領分の「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」を発表会で弾く子供も多くいます。この曲も秘められた諧謔が面白い曲ですが、大概(私の見た全ての)の子供は単純に指を回すので精一杯です(笑)。 また、諧謔といえば「サティ」を忘れるわけにはいかないでしょう。私の知っている中学生でサティをほぼ暗譜している子もいますが、まあ、ここだけの話、「グノシェンヌ」「ジムノベティ」とかなら結構様になるのですが、「干からびた胎児」とか、「梨の形…」、「ノクチュルヌス」を弾かせて、うまく「諧謔」っぽく表現できているかというと全然そうでもないですね(本人には内緒です)。 また「悲痛さ」ということであれば、シューマンの「クライスレリアーナ」。ショパンのスケルッツォ1番。同じくポロネーズ5番。等が普通に「悲痛」な曲です。これらはけっこう難曲で音大生が良く弾きますが、音大生が弾いても別に「悲痛」さというものはあまり表現できていないのでは?と感じるくらいですから(笑)、子供ならば言わずもがなではなかろうかと思います。 ただ、先生の言う通りに弾けばそれなりにサマにはなるようにはなる。そして、ある程度サマになるように弾く事が出来ればその子のピアノの腕前も一皮むける。という意味では、レベルにもよりますが、上記の曲も十分子供が弾いていい曲なのだろうと思います。 ちょっと話を戻して、「子供が弾いたらなにかギャグ」系の曲もやはりたくさんあると思いますよ。たとえばショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ」、リゲティの「エチュード」、バッハの平均率第1巻であれば4番、8番、24番(バッハは発表会などでなければ良いと思います)。他にはベートーヴェンの29,32番のソナタとか、実際には枚挙にいとまがないですが、これらの曲はハシコイ子ならひょっとしたら弾けるでしょうが、ほとんど笑います。他にやらせることアンダローと、弾かせる先生の資質を問いますね(YouTube等にもあるのでご興味があれば調べてみてください)。 ただ、そこまで行かなくとも、子供に合う曲、合わない曲というものはやはりあるわけで、それがどういった法則性によるものかということの答えを出すことはちょっと難しいですね。これはかなり主観によると思います。例えばシューベルトの即興曲は子供が弾いてもピッタリ来ますが、ショパンの即興曲ですと微妙になって、フォーレの即興曲ですとさらに微妙になる。何か変わったかというと、旋律線の曖昧さ、和声の複雑さ、調性の曖昧さ。などが後者になるにつれて顕著になってくるということですね。まあ、それが主な要因ですが、そのことで上記の命題を一般化できるのかというとそうではなさそうです。とりあえず、いくつかの楽曲を示す形でディスカッションすることが有益かと思います。 また、「調性がしっかり」している(し、楽曲として優秀な)曲、と「調性がしっかり」していない(が、楽曲として優秀な)曲との違いがどこにあるのか。という事柄に関しては、これは膨大な楽曲データに基づいて分析をするとか、調律の方法としての純正律と平均率の問題にも遡って考察しないと解らないのではないかと思います。私も音大卒ではないですので、別の質問を立てる形で解決に向かわれればよいかと思われます。 とりあえず、最初の「質問」の内容と「補足」の内容とを半々に織り交ぜた回答になってしまいましたが、もし具体的な楽曲を示されて比較せよということが可能であれば、そのように為されればより具体的な回答が可能になると思います。その時は少しお時間ください(笑)。では長くなってしまいましたので、今回はこのあたりにしたいとおもいます。さようなら。
その他の回答 (2)
こんにちは。お久しぶりです。以前「現代(前衛)音楽…」の質問への回答者としてご一緒しましたね。 garcon2001さんが、どのような用途で楽曲を選ぼうとなされるているのかは解りかねますが、通常無調的なものでも、大人の楽曲でも子供が弾くことはよくあることと認識しています。ちょっとここではピアノ曲限定で話を進めていきます。 挙げられているドビュッシーの前奏曲の軽いやつ、という事ですと、たとえば「亜麻色の髪の乙女」などが思い浮かびますが、これは指使いは比較的簡単ですが、ペダリングなども含め、曲らしく弾く事はたしかにとても難しいです。でも、子供でも発表会などで普通に弾いてはいます。 また、モーツァルトのロンドイ短調なども、指使いが簡単なため子供が良く弾きますが、楽曲自体はかなり難渋な曲で、大人もなかなかうまく弾けないものです。錚々たるピアニストが名演を残されている名曲ですね。 でも、子供が発表会などで弾いてはいるという意味では、「無理ではない」と考えます。早いうちから解釈、情操的に難解な曲に挑戦し、それなりに弾きこなせるようになることはとても良いことだと思います。 ただ、無調っぽいですとか旋律線が曖昧な曲ということですと、事前準備が相応に必要にはなるでしょう。つまり代表的には、バルトークの「ミクロコスモス」などをある程度こなして、調性などの曖昧さに頭と指を慣らしておく事が望ましいでしょう。バッハもインベンションなどは、少なくともこなしておきたいですね(何がその該当曲かはちょっと私の知識では多くは思い浮かばないのですが)。 もっともラヴェルの「亡き王女…」は以外と指使いも難曲ですよ、先生に音を抜いてもらって弾く曲ですね。そうすれば以外と普通に小学生でも弾いている曲です。 ただ、やっぱり、それらを楽曲としてしっかりと、あるいは感動的に弾けるかどうかはなかなか難しいです。それを求められると子供はほぼ全滅ですね(笑)。 結局、ランゲの「花の歌」やワイマンの「銀波」、メンデルスゾーンの「無言歌集」等のように、子供でも練習すればそれなりに聴かせられるようになるかかどうかという意味では、いわゆる「大人の」曲はかなり難しいということになりますが、弾くのが無理かというとそうでもないし、弾く価値がないかというとまたそういうわけでもない、という風にとりあえずはまとめられると思います。「大人の」曲というものとしてgarcon2001さんが何を連想していらっしゃるかによっても答えは変わってきますので、何か補足情報等ございましたらよろしくお願いいたします。
補足
その節はお世話様でした(すっかり忘れていました) とくに私が弾いたりという話でなくて、ふと思いついたんです。やっぱり「子供的」okな曲(といっても真髄まで行くとそんなことはないでしょうが)とそうでないものがあるだろう。。と こりゃどうしても子供が弾いたらなにかギャグになるというか、もうぜんぜん表面をすべるだけでぜんぜん内容に到達できないだろうとか。 そういう悲痛さとか諧謔とかを主題にしている曲(それこそドビュッシー前奏曲集とか)を、理解して弾く、説得性を持って弾く子供!?ってなんだ?と。まぁ極端に言えば「夜のガスパール」まで行ってしまいますよね。あんなもの指が回るだけで小学生が弾いたら、頭の中と出てくる音楽との乖離が凄いのじゃないかと。 ちょっとyoutubeで子供が演奏しているのを聴いて、それがなんというか、よくある調性がしっかりしていた曲でして、こういうのは、子供が弾くのに確かにあっているなぁという実感があったものですから。もし無調的とかとても深刻度や芸術度があまりにアーティスティックな重みを持つものだと >それを求められると子供はほぼ全滅ですね(笑)。 こういう事態は容易に起こりえますね。 一体、調性がしっかりしている曲と、多少移ろい行ったりする曲とは何が違うのか?なぜ子供に合う曲と合わないものがあるのか、はっきりと答えを出したいなぁとお持ってこの質問を立ち上げてしまったわけです。
- sakanatchi
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こちらから質問ですが、 楽曲の解釈や情操的とは、どのようなことを指しているのでしょうか? 意図的に作曲家が楽譜上で指示していること以外は、演奏者が判断してよいのではないでしょうか。 題名や副題は、あくまでも曲を区別するためのものであって、曲を聴いてどのように感じるかは関係ないと思います。 『子供のやる曲』『~やつとか』 という言い方も、どことなく違和感を覚えました。
お礼
何度の低い曲は、同時に調性がしっかりしていますよね。これはやはり、指回りの他にも、理解がしやすいという意味合いがありますね。そうすると、子供の理解力でということになると、どうしてもそういう蛍光の曲がお似合いということになるのでしょう。 子供の領分の「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」 に関しては、本当にギャグを地で行ってしまう、ということになるのですね(笑) そういう、諧謔性やらひねりが入ると、やっぱり子供には無理かな~っていうのはあります。 「干からびた胎児」とか、「梨の形…」、はもちろん諧謔ですが、「ノクチュルヌス」もそうですか。サティを精神的に把握するって言うのは、そのセンスがある大人でもなかなか難しいと思うので、ましてや子供ではです。 悲痛さにしても然りで、やっぱり、精神的な大きな動きとか、試練、耐性とか、そんなものを所詮子供で要求するのが無理なのは、一般社会と同じですよね。 お挙げになっている、シューベルト、ショパン、フォーレの順に子供的な感性から離れていく、敷居が高くなっていくと言う状況、わかります。やはり、把握しづらいもの、グラデーションのような複雑で微妙な味わいのものは、精神が成熟した大人のものでしょう。 具体的な楽曲と言うほどクラシックに精通していないのでわかりませんが、大きな精神的な動きを伴うことは難しいです。