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自分を愛して受け入れるってどういう事でしょうか?
出し尽くしている感の否めない質問で恐縮なのですが、標題の件について悩みすぎて分からなくなってしまいました。 僕は二十代後半の男です。 彼女がいたことがありません。 (良くある話かもしれません) 昔から物事をネガティブに考えると性格で、社会人になり数年掛けてやっと色々前向きになり掛けています。 「自分を愛する、受け入れられない人は人を愛せないし愛されない」と良く言いますし、ここでの質問の回答でもよく見掛けます。 昨日も知り合いの女性から「頑張らなくてもありのままの君を受け入れてくれる人はいるから大丈夫だよ」とアドバイスされました。 今は何とかして自分を好きになろうと頑張っています。 「こんな自分を愛してやれるのは自分だけだ」と毎日言い聞かせています。 嫌いな部分も何とかして人と比べないで受け入れようともがいています。 でも、どうしても今の自分を好きになることができません。 周りから見ると容姿や雰囲気等で恵まれているように見えるようでお褒めの言葉を頂く機会はあります。 でも、自分を誉められるたびに凄く空虚な気持ちになります。 もっと頑張って色々なことを出来るようにならないと、魅力をつけないとと前向きに考えるのですが苦しいです。 「もっと頑張らないと愛せないし愛されない」という思いがどうやっても込み上げてきます。 このままじゃダメだ!と常に思ってしまいます。 早く変わらないと、魅力的にならないとと思います。 でも自分が今の自分を大切にしていないとも思います。 自分を認めるってどういうことでしょうか? 自分でもこの先自分を愛せるのは自分だけではないか?と思います。 だから何とかして自分だけでも自分を好きになってやらないと不憫すぎます。 どうしたら、どう考えれば今の不完全な自分でも受け入れることができるのでしょうか? お願いします。ご意見を下さい。
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真摯なレスありがとうございます。 「自分を愛して受け入れること」 イコール 「自己嫌悪を脱すること」です。 それから「自分で自分を愛していない人間が、どうして人から愛されようか」とは、 使い古された名言とも云われており、これは元々は、エーリヒ・フロムの言葉とも云われています。 それに、精神分析家のカレン・ホルナイも「自己蔑視は愛する能力を奪う」と云っており、 よく加藤 諦三氏が引用しております。 権威を傘に着るつもりはありません。私だけでなくこの人達も云っていることです。 真理であると思っています。 まず、貴方は、ご自分で仰る通り、不完全です。(私もです。皆そうです) 不完全であるということは、マイナスたる要素を持っているということです。 そしてそのマイナスたる要素の大元は、これは貴方のせいではないのです。 遺伝子的・器質的に神経質の傾向が強い人、発達障害的な人、躁鬱的な人… 様々な傾向があります。 又、心理社会的な親子関係というものがあります。幼児期までの親との心のふれあいによって創られた自分。 この二つが、殆ど全てといっていいでしょう。これが貴方の背負う「運命」の基盤です。 これらは、貴方の力ではどうしようもなかったものばかりです。だから貴方のせいではありません。 容姿の根本も、性格傾向の根本も、記憶力だとか論理性だとかの根本も、運動神経も、何もかもです。 何もかも、その根本は「貴方のせいではない」。 ~宜しいですか。貴方の欠点の根源は、貴方のせいではないのですよ。 「自分は悪くなかった」。これだけでもう、何だか自分で自分を愛せそうな気がしませんか?~ では何のせいなのか? 何のせいでもないのです。遺伝子的なものなど、おいそれとどうにかできるものではない。 では誰かのせいなのか? 誰のせいでもないのです。親も人の子です。 もし親が幼児期に、貴方の自己愛を傷つけたとしても、それは親の又親が、 貴方の親を上手く育てることができなかったからです。先祖代々遡ってもキリがありません。誰のせいにもできません。 マイナスたる運命は、確かに存在している。しかしそれを「何のせいにもしない、誰のせいにもしないで」生きる。 それが少しずつでもできれば、本物の自尊心が湧いてきます。「オレは偉い。よくやった」と。 すると、自分で自分を分かってあげようとするはずです。「オレは傷つけられた。でも自分で自分を分かってあげよう」と。 偽りの自尊心は、例えばうぬぼれです。自分の力で手に入れたものではないのに、そうだと勘違いしたりする。 偽りの自己愛は、例えば甘えです。本来自分が傷つくはずのないものなのに、傷つく。そして自分が可哀想だと歪曲する。 そして殊更人に同情を求めたり、相手を責めたりする。 >だからせめて自分だけでも欠陥品な自分を好きになりたいんです。 人間誰でも、必ずマイナスたる運命を大なり小なり背負っています。だから貴方の言葉を借りれば、誰でも「欠陥品」です。 厳しい言い方になりますが、当たり前のことを殊更に訴えるのは「甘え」です。…もうきっとお分かりですよね。 >だから頑張らないと怖くて仕方ないんです。 何をどのように頑張らないと怖いのか、です。これだけではハッキリ分かりません。 「無理をして良い子を演じている」ということかな、という気もします。~そう仮定してみます。 だとすれば、貴方は本来よりも自分を過小評価しているのです。貴方は相当がんばっているはずです。 だから本当は偉いのです。 人は毎日20がんばっているのに、貴方は200位頑張っているはずです。だから偉いです。 恐らくそれは、親御さんとの関係で自己愛が萎縮気味になっているのでは、と想像します。 本当は自分は80点なのに、自分では20点だと感じてしまっているのでは、と。自己評価が低い。 だとすれば、それは貴方のせいではないのです。親御さんから擦り込まれてしまった心の構造です。 例えば言うことを聞かないと見捨てるよ、というような暗黙のメッセージが強すぎて、 何時しか「自分が無い」ような状態になってしまった。 自分は泥んこ遊びがしたくても、今チョコレートが食べたくても、これがやりたくても、これが好きでも、 「だめよ」と取り上げられてしまうことが多かったのかも知れません。 大人から見ればつまらないことでも、幼児がその時やりたいことが、「自分自身」なのです。 それを取上げられ続けたとしたら、自分が無くなってしまいます。 すると人の評価ばかりが気になります。自分が無いのだから、自分で決められない。「基準が無い」。 人の評価の中にしか自分が無い。そうすると「無理をして良い子を演じる」しかないのです。 しかも言うことを聞かないと見捨てられるので、恐怖によって強迫的に良い子を演じ続けてしまうのです。 もしそうなら、自分を取り戻すことです。 「こんな服が好きだなんて、人から見ればどうだろう?」という心配ばかりしないことです。 本当に自分が好きなファッション・色・カタチ・食べ物・音楽… そういうものを見出すのです。 そしてそれを堂々と感じる。自分が好きなんだからそれでいいのです。それも又、本物の自己愛です。 否自己愛というよりも、まずはそれは「自分そのもの」なのです。 そして、そういう幼児期を送った人ならば、甘えが残っているはずなのです。 幼児は甘えるのが当たり前です。その甘えを満たして貰えなかったら、ずーっと大人になっても、それを求め続けます。 例えば言葉で、例えば態度で、明確に表現しないと、大人たる他人には決して伝わりません。 しかしそれに気づかない。それは甘えです。幼児がグズったり、ちょっとした独特のしくざをしただけで、 これはお腹が空いているとか、これはおしっこだとか、母親は分かってくれます。~それを他人に求めてしまうのです。 もしそういう自分を見つけたなら、少しずつ少しずつそれを変えていくのです。 元々自分が悪いわけではないのに、今はもう自分のことなんだから、大人たる自分が背負った運命なのだから、 少しでも分かって貰えるように表現する。少しでもできれば、自分で自分を褒める。「今日はよくがんばった」。 そんなことを繰り返していけば、自ずと「がんばっている自分を分かってあげよう」という気力が湧いてくるのです。 それが本物の自尊心と本物の自己愛です。そしてそれが、自己嫌悪を抜け出す、ということです。 一朝一夕にできることではありません。何年もかかるかも知れません。 私の理屈を理解すれば、即、直ちに自己嫌悪から抜け出せるものではありません。 私とてまだまだ、修行の途中です。 時々「オレには価値がある。オレには価値がある。オレには価値がある…」と呪文のように繰り返すこともあります。 かなり苦しい状況になると、よくこれをやります。加藤 諦三氏も若い頃、よくそんなことをしたそうです。
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- yas887
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「自分を愛する、受け入れられない人は人を愛せないし愛されない」という言葉に必ずしもとらわれる必要はないと思います。 逆に人を愛する、と言うか人の良いところを見ることからはじめてもいいのではないでしょうか。自分のことが好きでないのなら、どこがどのように好きでないのか、理由を探してみる。そして他人を見て、少しずつでいいからいろいろと自分にない面を見習ってみる。そういった事を繰り返していくうちに、嫌いだった面が少しずつ改善して、自分を認めることができるようになるでしょう。 もう一つは、自分で自分に気づいていない良い面を探してみることだと思います。どんな小さなところでもいいので長所を探す。必ずあるはずです。そしてその長所を伸ばしていけるように、やはりすこしずつ努力する。 たぶんなんですが、質問者様はきちんとした根拠がなければ納得できないタイプなのではないでしょうか。だから単純に自分を好きになろうとしても、あやふやなままでは心の底から納得することができないのかな、と感じました。 そうであれば、やはりその根拠を得るために上に書いたような努力が必要になってくると思います。 ただ、これは一朝一夕でできることではありません。私も質問者様と似たようなタイプで似たような状況でした。それを脱するのに10年ぐらいかかっています。(私は何事にも歩みが遅いタイプなので、例としては極端です。普通はもっと早いだろうと思います) だからできるだけあせる気持ちを抑えて、じっくりと取り組むことが必要だと思います。
お礼
ありがとうございます。 >質問者様はきちんとした根拠がなければ納得できないタイプなのではないでしょうか。 >だから単純に自分を好きになろうとしても、あやふやなままでは心の底から納得することができないのかな、と感じました。 まさにその通りです。 正直「ありのままを受け入れて!」と言われても開き直れば良いのか、気休め程度とすれば良いのかが分からないです。 理想の自分になれれば今の生活は180℃変わる!と思い込んでいるフシがあるので一発逆転を狙うのではなく、小さいことからコツコツと自分を変えてゆく、気付いたら出来るようになっていたというのが自分にとっては良いのかもしれません。 焦らずに死ぬ前に「悪くない人生だった」と思えれば良いかなを目標に行きたいと思います。
- n-n-i
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カウンセラーの書いた本で読みましたが、 まず、 自分を否定するのを辞める 自分はだめだって思いそうになったら、そのように考えるのをやめるんです。 自己否定をやめるのが一番先だと思います。 次に、 自分を大切にする 些細なことでも、こんなところが好きってところをあげてみたりでしょうか。 周りの人が褒めてくれたら、素直に受け止め、自分ってこんな魅力があるんだ!って思えるといいと思います。 なかなか難しいでしょうが、自己否定を無理矢理でもしないようにすることから始めるといいのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 頑張って自己否定をしないように言い聞かせて頭と体に覚え込まそうと思います。
自分を愛して受け入れる=ご自身の短所・長所を認めて自分をもっと 楽に社会生活の中でスムーズに生きる事ではないでしょうか? 自分を認める=○○な処があっても良いんだ。(様々な要素を心の隅に留める事が出来る。・・・ではないでしょうか? 将来ご自身を愛せるのは、ご自分と、ご家族や友人・そして 最愛なる恋人です。 自分を不憫と思っていらっしゃるうちは、何をされても きっと上手くいかない事が沢山有ると思います。 ですから、思い方を変えていかないといけませんね?! 不完全な自分を受け入れる事が出来た時=○○な処があっても 良いんだ~。○○な自分でも頑張れる、人を好きになろう、 という他人に対しても頷いてあげる・聞いてあげる・理解しよう 等の気持ちが少しでも無ければ、まだまだ難しいと 思います。 私は、どんな人間も不完全なんだと思います。 偉い人・芸能人だとしてもね!・・・人間ですから色々な事に 比べてしまうのは、皆さん一緒ですよ。 そして、彼女が出来る・出来ないは、人の思い方・感じ方・ 気持ちの表し方・態度で、決まってくるんではないかな? 今の貴方様でも彼女は出来ると思います。 こんな自分でも好いてくれる、また好きになりたいという思いに 近づく事ができれば! その為には、肩の力を抜いて、嫌な部分があっていいんですよ。 皆あるんですからね~^^ 嫌な部分と向き合ってどう考えるか、どういう姿勢で生きるか・・・ また嫌だな~って思い続けるのではなく、嫌な部分を少しでも 直そう、これはいけないって 気が付く事が大切なんだと思います。
お礼
ありがとうございます。 自分を受け入れる、愛するというのは本当に難しいです。 みんなこんな難しいことをすんなり出来ているのかと思うと本当に自分は劣っていると思ってしまいますが、 劣っているからこそ頑張るんだという気持ちで頑張りたいと思います。
- youchan37
- ベストアンサー率37% (248/669)
>自分を愛する、受け入れられない人は人を愛せないし愛されない まさしくその通りだと思います。 >頑張らなくてもありのままの君を受け入れてくれる人はいるから大丈夫だよ これは素晴らしい励ましの言葉だとは思いますが、 ありのままの君~即ち貴方自身が他人に受け入れられることよりも、 まずは自分で自分を受け入れることの方が先ですよね。お分かりでしょうか? 念のために。 >こんな自分を愛してやれるのは自分だけだ そんなことはありません。自分だけが自分を愛せるが、他人は自分を愛してくれない、と。 この言葉はそういう意味にもなってしまいます。うっかりすると、それは自己嫌悪です。 >でも、自分を誉められるたびに凄く空虚な気持ちになります。 自己嫌悪のせいだと思います。 自分はバナナだ。自分はバナナが嫌いだ。バナナを褒める人がいる。 自分はバナナが嫌いだから、「あんなものの何処がいいのだろう?」と空虚な気持ちになったりする。 或いは、本当は自分で自分を愛したい。でも自己嫌悪のせいで、できない。無意識意識です。 そんな時、人は、空虚な気持ちになったりもします。まるで「申し訳ない」というような気持ちになったりするものです。 >もっと頑張って色々なことを出来るようにならないと、魅力をつけないと、と、前向きに考えるのですが苦しいです。 色々なことができなくても、魅力をつけなくても、今のありのままの自分を自分で愛せることが大切です。 この考え方は前向きで宜しいのですが、根本を履き違えてしまっていると、返って 「出来ない自分、魅力のない自分」に対して自己嫌悪を感じてしまいます。 本当にお悩みなら、補足などのお言葉を下さい。 時間と労力の許す限りは、お手伝いをさせていただきますよ。お待ちしております。
お礼
ありがとうございます。 >自分だけが自分を愛せるが、他人は自分を愛してくれない。 本当にそう思います。 だから自分だけでも自分を好きになってあげたいんです。 心の奥でずっと「俺のことを好きになる人なんていないよ」と思っています。 自分でも自分が本当に不憫で可哀想に思います。 だからせめて自分だけでも欠陥品な自分を好きになりたいんです。 >「出来ない自分、魅力のない自分」に対して自己嫌悪を感じてしまいます。 ずっとずっと感じています。 ありのままの自分を好きになってくれる(好きになる)人はいないと思います。 だから頑張らないと怖くて仕方ないんです。 頑張らないと一人ぼっちになってしまうから急かされて生きるしかない状態です。 どうやったらそんなみたいに周りから愛されるのかが不思議です。 自分に何が足りないのかも分からない状態です・・・
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
自分に子どもができたとします。 男の子です。 生まれたての赤ん坊です。 その子に言ってください。 「もっと頑張らないと愛してやらないぞ」 毎日毎日言ってください。 言い続けてください。 その子はどうなると思いますか?
- dai1000
- ベストアンサー率24% (170/699)
>でも、どうしても今の自分を好きになることができません。 そうですね。分かりやすいように極端な説明の仕方をしますが、 理想の自分っていますよね。自分が嫌いな人は、理想の自分をスタートラインにしちゃうんです。だから、理想の自分と今の自分を比べて、自分はスタートにすら立っていないので、駄目な人間という話になります。ですから嫌いになるんだと思います。もちろん、スタートラインがすでに理想と同じになっているのでマイナス思考になる元にもなります。だから、”こんなはずじゃない”なーんて話になるわけです。 一方、自分が好きな人は、理想の自分があっても、今の自分をスタートラインにします。 両者の行動パターンの大きな違いは、まず、自分が嫌いな人は、理想の自分を演じようとがんばってしまいますが、元々、そこまでの実力が備わっていないので、挫折してしまい、さらに自己嫌悪に陥ってしまうことがあります。もちろん、あることが成し遂げられても、そんなの当然と考えてしまう人でもあります。 自分が好きな人はとりあえず、今までの自分より高い目標が達成できたとき、自分をほめてあげられる人でもあります。もちろん、時には、一度、達成できたラインよりスタートライン方向に戻ってしまうことがあっても、スタートラインと比べられる人でもありますね。前よりちょっと下がっちゃったけど、スタートラインよりかは上だねって思える人ですね。さらに、スタートラインよりさらに下がってしまっても、今度はスタートラインを身の丈にあわせ、そこからやり直しができる人でもあります。常に、成長したいという気持ちは捨ててはいけませんが、常に成長していなくてはならないなんてことはないんですね。途中で休んでもいいんです。 参考になれば幸いです。 >どうしたら、どう考えれば今の不完全な自分でも受け入れることができるのでしょうか? 不完全なのがスタートです。完全をスタートにしないことです。
お礼
ありがとうございます。 回答者様が書いてくれた内容は自分に当てはまることばかりです。 どうしても完全な自分にならなければ愛されない(愛せない)と思ってしまうのです。 今の自分は愛される(愛する)価値がないと思ってしまいます。 だからとにかく頑張らないといけない気持ちに急かされているような気がします。 少しでも良い方向に持っていけるように考え方を変えるように頑張りたいと思います。
- MAMIHOME
- ベストアンサー率26% (15/56)
こんにちは。 何か力が入りすぎていっぱいいっぱいになってるように感じました。 自分の気持ちとか人の言葉とかに素直になったらラクですよ。 自分で苦しくなるから、つらいんです。 あたしも難しいこと言ってるかもしれないですね。 あたしもモテるほうではないのですが、自分のことは大好きです。 美人ではないですが、雰囲気がいいと言われます。 人はそんなに褒めてくれないので、自分で褒めます。(心のなかで) 順調に仕事を終わらせたときとか、部屋をキレイに掃除したときとかいちいち褒めます。(上司なんかは仕事は順調で当たり前、トラブルが起きたら責めるだけです。部屋だって事務所だってキレイなのがあたりまえです。) 人から褒めてもらったら素直に喜びます。 もちろんあたしだって不完全です。 誰だってみんな不完全です。 そんなあたしでも好きになってくれる人はいます。 あたしはその人達を大事にします。 友人でも恋人でも。親も兄弟も親戚も。 そしたら自然に自分も満たされました。 嫌いなひととはあまり接触しませんが、敵対することをやめたら自分もすごくラクになりました。 漠然とした内容ですいませんが、どんなひとだって不完全で、同じような悩み持ってるんですよ。 普通のことなんで、気にしなくていいです。 あとは他のかたがおっしゃってるので省略します。 あんまりがんばらないでください。
お礼
ありがとうございます。 >人から褒めてもらったら素直に喜びます。 頑張らないと愛されないと分かっていたので新卒で就職してからは外見や仕事や考え方、遊びも自分なりに頑張って来ました。 結果として褒めてもらえることが増えましたが気持ちは虚しいままでした。 上っ面だけを褒められているようで満たされませんでした。 不完全だから愛されない、不完全だから愛されないのかなと思ってしまいます。 周りの人は完全だから愛されているのかなと思ってしまいます。 本当はがんばらなくても認めたいし、認められたいです。 我侭ですね、すいません。
- aymhfgy
- ベストアンサー率43% (1472/3372)
根本的なところで勘違いがあるのではと思います。 完璧で魅力的だから愛するというのではなく、弱いところも良いところも全部、含めて(それで良い)と納得することを自分を愛するということだと思います。 質問者さまは頭の中に確固たる理想像の自画像というものがあり、それに追いつかないと自分が好きになれないと決め付けておられるように思います。 平たく言えば自分が劣っていると思って劣等感を抱いているとそれが邪魔になって愛せなくなるということだと思います。 もし、仮に理想に近い形で自分が形成されて来たとしたら今度は劣等感の代わりに優越感が頭をもたげてきてやはり、本当の愛するという行為からは遠いものになってしまうのだと思います。 勉強や仕事が出来るということと次元が違うのが愛するということだと思います。自分を叱咤激励するのではなく(よく頑張って来たね、ご苦労さん)と肩の力を抜いてほっとくつろげるような気持になること、それが自分を愛するということだと思いますよ。 不完全のまま、まるごと、受け入れてみてください。 完全な人間などこの世には実在しません。
お礼
ありがとうございます。 >質問者さまは頭の中に確固たる理想像の自画像というものがあり、それに追いつかないと自分が好きになれないと決め付けておられるように思います。 回答者様のおっしゃる通りで十代の頃からずっと自分の目指す理想像がありました。 自分が理想とする自分でないから自分の事も好きではなかったし、理想の自分じゃないから好かれないと思って生きてきました。 今の自分は魅力がないから好かれないという状態が続いています。 逃げ腰だった自分の性格を変えて友人も少し増えました、自分は変われたんだと思っていましたが「愛せない愛されない」自分はその頃からずっと変わっていなかったのかもしれません。
- aeromakki
- ベストアンサー率36% (870/2378)
自分を愛するために、愛そうと努力しても難しいですよね。 また、これだけのことができると、仕事や技術・趣味などで自信をつけて…というのは、多分間違ったアプローチだと思います。 やはり、1さんの仰るとおり、人を愛すること。 自分を愛することだけ強調するのでは、自己愛の病みたいになってしまいますからね。バランスがおかしい。 愛することができる人は愛されますし、 笑顔の人には笑顔が返ってくる、 優しくできる人には、人も優しいですよね? まず、モテるために、ファッションではなく、中身から磨いてみてはどうでしょうか? ボランティアなんかいいですよ。 スポーツ好きなら、少年野球の監督みたいなものもあるし、 さりげなく無理せず、人のためになることを考えてみてください。 エコ活動でもいいし、趣味に近くてもいい、 「こういうことを地道にやってていいな」と感じてもらえればモテるだろうしね。 これだけのことをやってるという何かがあることが、真の自信につながりますよ。 先日、回答者の方に「ここで回答をつけるのが僕のボランティアです」という方がいらっしゃいましたが、確かに普段から心憎い回答の多い方なので、大変納得しましたね。 私などは心配性でこだわってしまうからかもしれませんが。
お礼
ありがとうございます。 ボランティア、実は昨日も知り合いの女性に薦められました。 目的は不純ですが、今の自分に何が出来るか?自分に価値があるのか?を 見つめ直すきっかけとして参加してみたいと思います。
- geppu05
- ベストアンサー率41% (32/77)
人を愛したことのない貴方にはよくわからない話かもしれません。 親は子供を愛します。 それは勉強ができるから愛する訳ではありません。 勉強ができないから勉強ができる他の子供を愛する訳はありません。 掛け替えのない我が子だから愛するのです。 また愛されている安心感があるから勉強をして少しでもやりたいことを見つけようと子供は努力できるのです。 愛されている安心感を得るために勉強をするのならば失敗した時の失望感が高く結局追い立てられるストレスで精神がボロボロになるだけです。 貴方に必要なのは人を真剣に愛することです。 それで自分が相手に何を求めているかわかれば自ずと答えは見えて来るでしょう。
お礼
ありがとうございます。 真剣に人を好きになるのが怖いのかもしれません。
お礼
ありがとうございます。 確かに昔から人の顔色ばかり伺うような子供でした。 おかげで人の心を深読み、勘繰りすぎる人間になってしまいました。 確かに親も人の子で完璧ではないから間違うこともあるでしょうし、それを真に受けすぎてしまったのかもしれません。 特に親を恨んでいるわけではないのが救いです、仕方がないと割り切るのが懸命なのですね。 確かに昔の自分と比べれば出来ることは増えているはずなのに自惚れだ、誰でも出来て当たり前だと思ってしまうのは無駄なことなのでしょう。 歩みが遅い自分を自分として受け入れてゆきたいです。 競争社会の中で働いて生きていると自分で自分を評価することが中々困難になってしまいますが少しずつでも前に進めるように頑張ります。