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可愛いと言われて、怯える自分を変えたい。
はじめまして、閲覧ありがとうございます。 私は24歳女性です。 容姿をほめていただいた時の対応と、心の持ちように悩んでいます。 顔つきとしては、東南アジア系(よくフィリピンのハーフに間違えられます)目など顔のパーツは大きいほうだと思います。今まで顔見知りの異性から告白いただいたこと、街で声をかけられたことも、それぞれ両手程度です。ですので、自分の容姿が恵まれていると考えているわけではありませんし、客観的・年齢的には「人並み」なのだと思っています。 しかし、「可愛い」「お人形みたい」というお言葉と、主観的な自己認識とギャップ(自分の容姿に嫌悪しています)に苦しみ、またどう反応していいかわからず、悩んでいます。 また、男性に限って言えば、苦痛でしかありません。幼少期に性犯罪に巻き込まれたことがあり、その時の犯人の方が私にかけた言葉の類を思い出してしまうからです。現在カウンセラーの方のお力を借りつつ、トラウマを治療していますが、やはり男性とお話しすることは、とてもエネルギーを使います。ですので、初対面の男性からのお褒めの言葉は正直、恐怖でしかありません。 また、褒めていただいた後は恐怖とともに「自分にそんな価値はないのに、、、、」と自己嫌悪してしまうことが苦しいです。自分を責めず、且つ勘違いせずに、いただくお言葉を受け止める方法を教えて下さい。 【具体的な質問】 (1)自分の容姿の客観視するにはどうすればいいか? (2)【知人の方】戴くお褒めのお言葉に対して感謝を示しつつ、謙虚に受け止めるにはどうすればいいか? (3)【初対面の方】戴くお褒めのお言葉に対して感謝を示しつつ、謙虚に受け止めるにはどうすればいいか? 複数の質問で恐縮ですが、どれか一つor全部でも、皆様のご意見をお伺いできれば幸いです。 どうぞよろしくお願いします。
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- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
(1)客観的なことを受け入れる心の余裕を持つべきだと思います。 自分が事実を受け入れる気がないのですから客観視など無理です。 はたして客観的な事実など求めているのでしょうか。 顔に対する指摘に動じない精神的な余裕があればいいのでは。 (2)他人の話などいちいち気にしなければよいです。 「あなたはそう思うのねー」と思っとけばよい。 褒めてくれたことに対しては「サンキュー」と 言っとけばよい。相手のことをどうこうしたいと 思ってなければ相手がどう思おうとどうでもよい。 相手のことをどうこうしたいと思いすぎ。 もしくは「顔がよくてもいいことなんてない」 というのを分かってほしければそれをちゃんと 説明すべき。手抜きのコミュニケーションはいかん。 説明しなけりゃ相手には分からない。 (3)同上。 しかし軽い男に言い寄られるのがいやなんだったら 「顔じゃなくて中身を見てほしい」と言えばよい。 もしくは「自分には顔しか取り柄がないの」と言えばよい。 どっちにしろ今のままでは男を幸せにすることはできない のだから顔だけ褒められてもまあ嬉しくないだろうという のは分かります。「私は男を幸せにできない女なので 顔を褒められても別に嬉しくないのです」と謙虚に 言えばよいのでは。「今男を幸せにできる自分になる ために鋭意勉強中です」と。謙虚さとは自分が変化できる 柔軟さのことだと思います。
- zz400n
- ベストアンサー率14% (351/2354)
自分の容姿は自己判断するものではなく、他人が評価するものです。 他人から評価されたときは、認めるのではなく、自分を多少下にして、誉め返す事です。 相手の容姿や仕事、その他様々な事を誉め返しましょう。
(1)自分の容姿の客観視するにはどうすればいいか? そもそも、容姿というのは、主観的なものです。 好きな容姿は、人によって、違いますから。 (2)【知人の方】戴くお褒めのお言葉に対して感謝を示しつつ、謙虚に受け止めるにはどうすればいいか? 「ありがとうございます」の一言で、十分です。 変に、「そんな・・」と、卑屈になっても、仕方ありませんから。 (3)【初対面の方】戴くお褒めのお言葉に対して感謝を示しつつ、謙虚に受け止めるにはどうすればいいか? 基本的には、2と同じです。 男性からの場合は、お礼を言った後、「失礼します」と言って、 そそくさと離れましょう。 「これ以上は、怖いから、話したくない」ということを、 行動で示すのです。
- enako4646
- ベストアンサー率100% (1/1)
(1)自分の容姿の客観視するにはどうすればいいか? いっそ客観視しよう、という考えを捨ててみてはどうでしょうか? 私の好きな言葉の一つに、 「客観というものは無い。たとえその場にいる100人が同じ意見だとしても、 それは100人の主観の集合に過ぎない」 という言葉があります。 特に「可愛い」「可愛くない」「美人だ」「いいやブスだ」という評価には、 かなり個人の好みが関与するような気がしますので。 (充分可愛いアイドルの子でも、「ブス」呼ばわりする男性。 標準体重通りの女性のことを「デブ」呼ばわりする男性。 逆に私から見ると、別に可愛いと思えない子を、「かわいいー」と言っている男性。 それぞれよく見ます) またまだ若いのであれば、 「若さのオーラが、私を実際の顔の造り以上に魅力的に見せている」 (2)【知人の方】戴くお褒めのお言葉に対して感謝を示しつつ、謙虚に受け止めるにはどうすればいいか? 「自己評価と違う」とか「本当に客観的に見て可愛いのか?」などと考えず、 もっと純粋に 「この人の主観において、可愛いと評価してくれているのね。」 「この人にとって、私は好ましい顔立ちなのね。」 と受け止めてみてはどうでしょうか? 表に出す言葉の表現としては、 「本当ですか?そのように言っていただけて、嬉しいです」 「お世辞でも、嬉しいですよ~♪」という感じ…。 これなら、ギャップに悩む必要がありませんし、 相手が好意的な評価をしてくれることには、感謝できる。 それにあくまでもその人の主観として受け取っただけなので、謙虚さも感じさせると思います。 相手が可愛いと言ってくれている以上、 質問者様がどう思っていようと、お相手にとってはそれが真実なのだと思いますから。 (お世辞でも、「可愛い」ということが失礼にならないくらいには、顔立ちを評価してくれていると受け止めることで) (3)【初対面の方】戴くお褒めのお言葉に対して感謝を示しつつ、謙虚に受け止めるにはどうすればいいか? 初対面の方に関しては、トラウマの件もありますし、 少しくらい警戒しても構わないと思います。 あまり警戒する必要がなさそうな相手なら、 上記と同じく、 「本当ですか?そのように言っていただけて、嬉しいです」 か 「お世辞でも、嬉しいですよ~♪」 で良いと思いますよ。 相手が男性で口説かれたくない、壁を作りたい相手であれば、 「ありがとうございます」 かなあと。(謙虚さは無いですが、失礼にもあたりませんし) サラッと「ありがとうございます」と応える女性に対して、 多くの相手は、 「容姿を褒められ慣れているのかな?」と連想すると思います。 そうすると、相手が男性なら、 「簡単に落とせる女ではなさそうだ」と気を引き締めてくれるでしょう。 私の知る限り、ナンパな男性は 「ある程度の容姿が良くて、且つ落とせそうな女性」を狙いやすいです。 質問者様は、自己評価が低いみたいですが、 逆にその自己評価の低さが、ナンパな男性を余計に呼び寄せている気がします。 「結構可愛いのに、謙虚」な女性は、当たり前だけど好かれるし、 男性からすると「可愛いけど落とせるかも知れない」と錯覚するはずです。 「みるからに自信まんまん!」みたいな女性には、 逆に気後れすると思いますので。
- まさしろ(@masasiro)
- ベストアンサー率35% (295/842)
ご質問者様こんばんは。 ご質問者様の問題は過去の出来事ですね。恐怖体験、特に性的な暴力は人間の心を深く傷つけますね。許されるものではありませんね。 しかし、他人から受けた傷はゆっくりではあっても治って行くと僕は信じています。本当の問題は、自分で自分を傷つけ続けることです。自分というのは自分に一番近い場所から自分を傷つけ続けるものなので厄介です。深みにハマるとなかなか回復できないものですね。 鴨長明の方丈記が参考になるのではないでしょうか。 「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」有名な一文ですが、「無常観」を見事に表現していると思います。 ご質問者様に起こった過去の出来事は現実として起こった出来事ですから、決して消えるようなことはありません。ご質問者様の生涯に渡って顔を出す事柄の一つであるかもしれません。しかし、この世界の真理は無常であり「変わり続けること」です。ご質問者様の抱えた問題にもそれは言えることなのです。 誰かから、外見を褒められることに抵抗があるのは、ご質問者様の美しい姿が過去の出来事と結びついてしまっているからですね。出来れば目立ちたくないし、ご自身の過去があっての現在ですからね。現在を認めることは過去を認めることにつながりますからね。それは困ってしまいますよね。 褒めていただいたら機械的でも良いので返答を決めておくことです。「ありがとうございます」と笑顔でお返しして差し上げて下さい。誰もご質問者様の事情を知る由もないのです。 人間の言葉も行動も、そして人間そのものも無常であると考えれば、ご質問者様の質問の答えにもなるでしょうか。 言葉というものは本質的に限界がありますね。変わり続けて行くものの代表でもあります。言葉にした瞬間に無常にも消えて行きます。消えて行くものにこだわっても仕方がありません。 人間としての無常もありますね。「可愛い」と言っていただけるのもあと数年の話しかもしれません。人間は老いの宿命から逃れることはできません。今起きた出来事は、変わり続けて行くある時点の話しですからね。このこともずっと続くものではありません。 ご質問者様には頼りになるカウンセラーの方もいらして、ご自身に与えられた課題へと向き合おうとされていますね。人間は、この世界が無常であるから生きて行くことができるのだと思います。変わり続けること。与えられた状況に対応し続けて行くことが人間にとっての最善の道であると思います。 この世界が無常であることは変えることができません。それと同様に、人間の時間を奪うこともできません。人間には複数の時間があるのです。客観的な流れて行く時間と人間的な時間です。人間は、過去に時間を戻すことができます。前にも後にも時間を自由に行き来することができます。過去に起きた悲しい出来事、怒りに満ちた出来事、悔しい出来事。このような過去の出来事に対して、人間は和解することができるのです。 起きてしまった過去の出来事に対して「新しい意味」を見出すことが人間にはできるのです。それは過去の呪縛からの解放であり、過去の出来事との「別れ」なのです。フランスのことわざには「別れとは小さな死である」という言葉があるそうです。過去の出来事に死を与えるのは、呪い、忌み嫌うことでは無くて優しく抱きしめ、受け入れて仲直りして行くことなんですね。 過去の出来事に囚われなくなったご質問者様は確実に一歩成長することになります。成長とは別れのことなんですね。過去の出来事に新しい意味を与えることこそが、人間にとって未来を変える「再生」なのです。 マルクス・アウレリウスの言葉です。 何という運命か―。しかし、波乱万丈の人生にあって、彼は毅然と、こう叫ぶ。 「『なんて私は運が悪いんだろう、こんな目にあうとは!』否、その反対だ、むしろ『なんて私は運がいいのだろう。なぜならばこんなことに出会っても、私はなお悲しみもせず、現在におしつぶされもせず、未来を恐れもしていない』のである」 起きてしまった出来事に実は意味はありません。どんな意味を与えるかはその人次第なのです。ご質問者様は今よりももっと大きな強さを手に入れることができるでしょう。過去に起きた出来事が何であれ、ご質問者様の価値をおとしめることはできないのです。そして、過去の出来事があったおかげで手に入れることができる幸せと出会うでしょう。 少しづつご自身の問題を整理し、ご質問者様の望む目標や生き方に向って手を伸ばし続けて下さい。不安に負けずに幸せを手にして下さいね。応援しています(^-^) ご参考になれたら幸いです。