イギリス経済の重商主義モデルの変更点を考えれば分かりやすいと思います。
前半期は、いわゆるイベリア半島の国と同じように、資源を輸入してその交易の利益を国富にする形態です。
プランテーション的なケースが典型的で、銀の大量移入による価格革命によって、欧州経済は大変化します。
中期には、アヘン・茶の三角貿易のように、植民地市場を消費・生産の両面から利用するタイプです。
前半期は、植民地は交易品の生産基地の意味しかなかったのに比べて、中期には、植民地を生産・消費の両面で利用できるようになります。
後期には、南アフリカ(ブーア)のように植民地支配しながら、周辺諸国経済を間接的に支配する形式になります。
これは特定の植民地を期点にその周辺地域を搾取・収奪する方法です。
さて、イギリス・フランスとも本当の意味での植民地は少ないケースが多いです。
なにせ、植民活動とは、自国の国民を定住させる・植民地の人民を自国に定住させる・・のが言葉としての本義ですから・・・
さて、アメリカ独立戦争・フランス革命を契機にするのは、植民地経済を税制で収奪することの限界を見出したことにあります。
つまり、植民地の政治に深く介入することは国際的干渉を誘発しやすく取り扱いが難しいということでしょう。
ただ、植民地経営は、当時地域の地政環境・気候環境・国際関係によって大きく変化するので、変化は多様です。
そして、植民地経営において常に問題になるのが、海賊問題でして、公海賊である私掠船などをはじめ、植民地経営のリスクは無視できないものだったことは忘れるべきではないでしょうね・・・・・
お礼
とても分かりやすくてようやく理解することができました! 丁寧な回答、どうもありがとうございましたd(`・Д・´d)