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性について 包括的に考える

 私たちの 生の 最も大事な事の一つである 性については 包括的に語られる事がほとんどありません。  たとえば 図書館に行っても 医学のコーナーや 文化人類学のコーナーや 社会風俗のコーナーなどに 分散されており その上 記述されている内容が 全く違うのですが それぞれが まさしく 性 について語られ 書かれているのです。  性行為をする という意味の言葉にしても 現在は Hという言葉が ほぼ全国に 行き渡ってきていますが、 関東地区で育った人は 女性器の名称 が その行為を表しており その言葉を みんなが知っていて 誰もが話さない言葉でした。(性行為を示す言葉が 女性器の名称である地域は 男性優位の権力構造が出来上がっている社会だそうです。)  しかし 性行為をする という 重要な言葉が タブーである 事実は受け止めねばならないにしても タブーであり続けねばならないとはいえないと思います。  タブーを破るためには 横たわっている障壁が 高く堅固であることは承知しているつもりですが 何らかの 取り組みがあってもいい時期がきているように思います。  ぜひ 諸兄の 知識やお考えをお教えください。  ちなみに 寺山修司が 有るエッセイの中で 「性には 生殖に関する部分と コミュニケーションに関する部分と 快楽に関する部分がある。」というような 言い方をしています。  非常に分かりやすい言い方ですが しかし やはりその言葉も 3つの部分を 表しているだけであって 全体像については 語っていません。

みんなの回答

  • Ama430
  • ベストアンサー率38% (586/1527)
回答No.1

性行為のスラングについてのタブーは、すでに商業ベースのメディアでは破られて久しいと感じています。 タブーであった理由は、ひとつには禁欲礼賛志向であり、もうひとつは男女差別への後ろめたさだと考えています。 商業メディアがタブーを破った理由は、禁欲はお金にならないからであり、男女差別への反省はありません。 ですから、タブーを破ることに意味があるのでなく、タブーの背景にある男女差別を無意識に前提としたゆがんだ性行為観を打ち破ることに意味があると感じます。 近年、性同一障がいなどの差別問題を正面から論じる流れが始まっています。 そうしたセクシャルマイノリティの当事者からの情報発信を受け止めるところから、性の問題を多角的に考えることが可能になるような気がしています。

noname#212854
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 たしかに あなたの言われる通りとは思います、 しかし 僕が欲しかった コメントとは 違う方向に行ってしまっています。 考えてみると 質問の仕方が悪かったようにも考えられます。 1週間を過ぎていますので もう一度考えてから 質問させていただきますので よろしくお願いします。

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