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なぜアブノーマルな性行為がたくさんあるのですか

巷にはアブノーマルな性行為に関する映像や文章があふれています。とりもなおさずそういうことに興味をもつ人が多いためです。極めて近縁な者同士で性交渉をもつ、排泄物・嘔吐物に興奮を覚える、ヒト以外の動物と性交渉をもつ、汚い言葉でののしられたり身体的に傷つけられたりして快楽を得る、など、数え上げたらきりがありません。 人はなぜこのような異常な性行為に興味をもつのですか?そしてなぜ「数え上げたらきりがない」ほど性行為に関する興味は細分化されているのですか? 僕もこのような異常な性行為の映像や文章に接すると、なんだかどきどきします。しかし一方でこれらの性行為を「異常」であるから「触れてはいけない」と認識していますし、こんなものに興味を覚えてしまう自分にとてつもない嫌悪感を感じもします。 なぜ僕はこのような矛盾した2つの感情(「知りたい」と「知ってはいけない」)を抱いてしまうのでしょうか。できれば各々の異常性行為について、興味をもってしまうメカニズム、嫌悪するメカニズムをいろいろな分野の方から教えていただきたいと思います。 ちなみに僕は小・中・高・大学といずれも公立の学校で教育を受けて、特別信仰している宗教はありません。

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  • Naka
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回答No.1

◆性行為や性衝動に関する個人個人の関心は、必ずと言って良いほど、なんらかのきっかけが引き金となって、ベクトルが決定されていると思われます。 例えば男性の被虐性愛(マゾヒズム)の場合は一番わかりやすいですが、大抵は年少の頃の体験が元になっています。 特に小学校低学年までは、平均的に女子の方が体格、体力ともに優れますので、いじめられる男子が必ずいます。 女子に馬乗りになられていじめられたり、衣類を剥ぎ取られて解剖されたり、という経験をした男子がその経験をトラウマとして持っていた場合、性的関心を覚える年齢に達したとき、それがどちらかの性癖(関心を持つか、嫌悪するか)として出る確率は高いと言えます。 フェチシズム(他のところで質問を出されていましたね)については、「性愛の対象が手に入りにくい場合、その代償として、所有物や身体を離れた身体の一部を愛でる」行為と「対象の身体の一部に特に性的関心を持つ」行為がありますね。 前者が「ある特定の相手」に対する「代償」を求める行為である場合は、一時的なものになりますが、前者、後者を問わず、いつの間にかそのフェチの対象がメインになることは多いと思います。 特に排泄物(スカトロジー)やそれに準ずる物質(唾液、経血等)の場合は、その物質そのものに、対象のエキスが凝縮されているような気がするので、それらの持つ本来は「気持ちの悪い感触や味・臭い等」が性愛そのものを代表する個性として、他のものでは得られない価値を持ってくるわけですね。 幼女愛好(ロリータ・コンプレックス)の場合もわかりやすいですね。成人女性に相手にされない、バカにされた、またはそう思い込んでいる劣等感が、より若い対象に向かわせるのであって、一旦性愛の対象が幼女に向かうと、その幼女ゆえの魅力が成人女性からでは得られないため、幼女オンリーになってしまうのですね。 その他、獣姦、死姦等挙げていけばきりがありませんが、共通することは、これらの「異常性愛」に興味を持つのは、特殊な人間に限らない、ということです。 誰にでも「ハマる」可能性はあるわけです。 「禁忌」とされているがゆえに、一層禁断の魅力があることも確かです。 細分化されているのは、いろいろな体験から得たスイッチが、様々な年齢やシチュエーションでONになるからだと思います。 ですから、多数派・少数派というのはあっても、決して異常なことだとは思いません。「オレ、○○フェチなんだ」って公言したっていいんじゃないでしょうか?? まったくの「どノーマル」の人は、むしろ少ないと思いますが。まだスイッチが入っていないだけだとも思います。 あんまりご参考にならなかったかもしれませんが。m(_ _)m アダルトサイトを参考URLにするわけにもいきませんし…(^^;)

ryuchan
質問者

お礼

それぞれの異常性欲についての解説、非常に分かりやすく大変ためになりました。特にフェティシズムについての解説は目からうろこが落ちた気持ちです。 それから、多かれ少なかれ人はこういう「タブー」的なものに興味をもつものなのですね。少し安心しました(笑)。

その他の回答 (3)

  • Isaisa
  • ベストアンサー率15% (5/32)
回答No.4

「性」には「人生と近い」と思いますよ。 純粋には「性」のあり方は「異常」「通常」もない、、、 ってのがよく言う「正論」です。 あくまで「正論」で答えると。「相手の許容量」と「自分」との「相互関係」で成り立つ。と、、、 しかし、「自分の気持ち」で判断する訳ですから。 度合いが決まってしまいますよね。(今の) (心理学的立場)では、その性のこだわりは「昔自分の 何か満たされないものが反映される。」と、考えた人もいます。 でも(P.S)要は「慣れ」と「興味」では?!?!なんちゃって。

  • cricket
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回答No.3

僕の観測では、カトリックの一人相撲です。 あれは正常位しか認めていないのです。 (ついでに言うならば、同性愛を正面切って否定している聖典も旧約聖書だけです。) その倫理観が蔓延したから悩みも深くなるのです。 もっと相手を慈しむためには、もっと色々やっても良いと思います。 ただ、それとは別に良心とか倫理観は存在します。 相手が嫌がる行為はするべきではありません。 又、マスコミの無知によって、誤った概念が堂々と正当化されているのも事実です。 例えばSM。 マゾは痛いことを喜ぶのではなく、屈辱の果てに自我が崩壊するところに快感を得るのだそうです。 曰く、「真っ白」になっちゃうそうです。 痛いのは痛く、しかもものすごく痛いのだそうです。 責めの過程には確かに性的虐待も含みますが、 僕はSMは性行為からは外して考えるべきじゃないかと思います。 しかし、マスコミによって植え付けられた、誤ったイメージは、破壊することに性的快感を結び付けてしまっているのではないかと、僕はそう分析しているのですが・・

ryuchan
質問者

お礼

カトリックの影響ですか…。それと倫理観が関係するんですね。 後半のマスコミの影響も考え物ですね。確かに最近僕らがイメージするSMはなんだか簡単にできそうですもんね。風俗でもそういうプレイができたりするし。でも本当の意味でのSMはやっぱりパートナーとの関係が大事なのですから、今会ったばかりの人とプレイできるはずがありませんよね。

  • kawakawa
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回答No.2

人類の歴史と密着したテーマですネ。インドの古典であるカーマ・ストラはアーユルベーダの一部であると考えて学生の頃に初めて読んだとき衝撃を受けました。中国の房中術でも誰がこんなことを考え出したのだろうと感心しました‥。仙道の一部、さらには仏教の中にも、ある経典には性記述のバイブルのようなものさえもがありますネ。 性欲は食欲などと同じく、本能に基づくものです。それをタブー視したりすることは、後天的なものです。そして、快感を得るために、より強い刺激を求める人が現われることも不思議ではありません。 これは別に、露骨に性に限ったことではありませんよネ。遊園地の絶叫マシーンなんかも、私から見ると一種のマゾヒストとしか考えられないような気がします。 SMなどは本能としての暴力や破壊への快感・征服欲・優越感などを満たすものと、苦痛に耐えることによる快感を求めるということですから、誰にでも素質があるものなのではないでしょうか?ボーリングでピンを倒すという破壊行為を楽しめ、治りかけた傷のカサブタを剥がしてしまうクセがあるなんていうのは十分に予備軍といえます。 スカトロもフェチズムの一種であると考えると、理解はできます。 同じ本能的行為である食事がバラエティーに富んでいるように、性的な行為にも個人個人の嗜好が強くでることは不思議ではありません。 また、ryuchanさんが興味を持って接してしまうということも当然なことです。人間は未知なるものに対しての興味を持つのが当たり前ですし、それが本能に基づくものであり、さらには少々後ろめたいようなものであればなおさらです。 嫌悪する(タブー視する)というのは、先にも少し触れていますが、後天的なものです。ノーマルなのは良くて、それ以外は良くないものであるという教育や刷り込みが原因なのではないでしょうか? kawakawaでした。

ryuchan
質問者

お礼

性的嗜好も食事の好みと同じくバラエティーに富んでいて当然。それをタブー視するのは後天的なもの。よくわかりました。ありがとうございました。

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