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「エゴ」は存在しない幻想なのでしょうか?

「A Course in Miracles」という書物を読んでいます。 さかんに、”エゴは~ ”という記述があります。 この「エゴ」という言葉の意味を知りたいのです。 心の中に、天使と悪魔的な考えあって、相反する考え方の象徴なのか、 はたまたエゴという名のおどろおどろしい「何か」が、我々の心の隙間に入り込んでいて、悪の道に誑かそうとするような、一種心理操作的なことが行われているのか・・・。 元々人間の心にある闇の部分(数ある考えのうちの選択肢のひとつ)に過ぎないのでしょうか。 実在しない存在の考えの大元が、「エゴ」と呼ばれる総称なのでしょうか?

みんなの回答

  • youchan37
  • ベストアンサー率37% (248/669)
回答No.7

「利己主義」は英語のegoism(エゴイズム)におおよそ相当するが、英語の "ego-ism" は " 己-主義 " ということであり、日本語よりもさらに広い範囲を指すので若干注意を要する。他者の不利益を求める悪、万人の利益を求める功利主義とは区別される。利己主義の対義語は、利他主義である。 どーもWIKIを見て下さいでは無責任な気もしたので、自分なりに考えてみまして。上はWIKIの「利己主義」からコピッたものです。 「ego-ism・己-主義」~本来これだけで本が一冊できるのでしょうが、多分これは「世界は自分を中心に回っている」というタイプの人のことではありますまいか。例えば己-主義の人が発明家だったとする。そして自分が思いもつかない優れた発明品を出した人が現れたとする。すると己-主義の人は酷い場合「自分に迷惑だ」と考えて怒りを爆発させる。この発明は社会全体にとっては利益である。しかし己-主義の人にとっては不利益である。まるで自分がコケにされたように感じる。だから「自分を中心に~」なのであり。 一方egoism・利己主義の人とは、損得勘定だけで生きているタイプの人。自分にとってのメリット・デメリットが価値判断の最高基準であると。だからこの人の場合、怒りを爆発させることによって自分に不利益になるのであれば、この怒りを抑え込むとができるので、それが己-主義の人との違いかな、と。但し利己主義の人は心に強い劣等感や人に対する憎しみを秘めているものなので、自分に損にならなければ、時に残忍にこの怒りを爆発させるものであろうと。 そして「自分だけのための」損得ではなく、「社会全体のための」損得を価値判断の最高基準とし、全体の利益を目指す人が功利主義の人であろうと。 以上極めて稚拙な内容ではありましたが、どうもこのようなモノがごちゃ混ぜになっているような気がします。即ちエゴが時に己-主義の核となったり、或いは利己主義の核となったりするのでありますが、その「核」たるエゴそのものは、単なる「エゴ=自我」であり。

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  • youchan37
  • ベストアンサー率37% (248/669)
回答No.6

エゴとは本来単に自我のことですし、エゴイズムとなればこれは利己主義でありましょう。 その本を読んだことがないので良く分かりませんが、 それは訳者が「エゴ」と「エゴイズム」というものを混同しているのかも知れませんね。 或いは "egoism" と "ego-ism" の混同でしょうか。…詳しくは分かりません(汗)。 ↑Wikiの「利己主義」が参考になるのでは、とも思います。

mas-george
質問者

お礼

エゴ=自我、というのが世間一般の通説のようですね。 わたしが知りたいのは、自分の意識の中に考えたくも無いこと、思い出したくも無いことが何故想起するのか。 なぜコントロール出来ないんだろう?と思うのです。

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  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.5

こんにちは。 「エゴ」といいましたらそれは「自我」のことであり、その通りに解釈すれば良いと思います。 「自我」とは我々のそれが何かを見たり感じたりすることの主体であるという事実に宛がわれた「概念」です。ですから、それが何を感じ、何を考えるものであるのか、このようなものは全て結果であり、「自我の定義には」含まれません。結果はそのときの状況や個人の価値観によって異なります。膳であるか悪であるかは結果に対する評価であり、これは「自我の性質とは」関係のないことです。エゴイズムとも関係ありませんし、それが理性の中枢であるという解釈も科学的には否定されます。 この「自我」が存在することにより全ての現象に「主体と環境」の関係が成立し、結果の評価が可能となります。人間では生後二歳ごろからこの機能が働き始め、概念的知能期へと移行します。そして、それ以降我々は、二度とそれまでの感覚的運動知能期に戻ることはなく、生涯に渡り「自己と外界という絶対的な規則」に従って生きてゆくことになります。自我は幻ではないです。と言いますより、我々は生きている限りこの「主体という立場から」逃れることは絶対にできないという事実です。 このため、我々はあたかも「自我(エゴ)」に縛られているように思えてしまうのですが、果たして喜び、悲しみ、争い、このようなものは全て結果として発生するものであり、実際には、我々はこれに振り回されているのです。このため、仏教ではこの世の全ては幻であり、無の境地に至ることを仏の道と説いています。 フロイトが用いた「自我意識」といいますのは、これは解剖的事実と一致しないことが既に判明しており、現在ではそのまま適用することはできません。意識というのは発生するものであり、それは自我として存在するものではありません。意識発生の主体が自我なんです。従いまして、我々は自我に操られているのではなく、発生した意識に捕らわれているということになります。 お釈迦様は、振り回されたくなければ結果の評価を行わなければ良いと仰っているのですが、自我が存在する限り、我々は環境との関係を絶つことができません。そうそう簡単なことではないですね。

mas-george
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ですが わたしは勉強不足ですね、ちょっと読んでいて理解しにくいです。 奥が深くても表現はシンプルに出来ると思いますよ。 ですが、お釈迦様のおっしゃることはあたりですね。 判断をしない、というのは。

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noname#100496
noname#100496
回答No.4

エゴは、自我意識の事だと思います。脳の思考活動が自我意識です。だから脳の発達していない動物や人間の赤ちゃん、子供は、自我が無いので無我です。自我無い動物や赤ちゃんは、かわいいです。だから人の心を癒します。

mas-george
質問者

お礼

たしかに自我の無い赤ちゃんには癒されますよね。 脳みその思考活動、ですか。 本人が考えたくないものでも気になってしまう。 そういったことって、なぜ起きるのだろう。と思うのです。 脳は自分のもの。ならば考えも自分の思いたいように思うはず。 なのですが・・・。

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noname#100496
noname#100496
回答No.3

仏教では、この世界を仮の世界、諸行無常の虚像界と教えます。だから不調和世界の脳の自我と、調和世界の自然の無我が出会うために作られた世界です。だから人の心は、自我と無我が合体して出来ています。だから脳が思考してる時は、ストレスが発生します。脳が休むと、人と自然の情緒が交流するので心が癒されます。だから人は、脳の思考を休んで、心を癒す事が必要です。脳を休ませる方法は、仏教の禅があります。また日本の伝統文化は、脳を休ませて、自然の情緒、心の癒しを目的にしています。雅楽、能、茶道、演歌、義太夫節、文楽、日舞、浮世絵、短歌、俳句、源氏物語、平詞曲、ごぜ唄長唄、落語、歌舞伎など、また手先の仕事、肉体労働などは脳が休みます。

mas-george
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 エゴの正体は、そうしますと、虚像界の中にある脳の思考の産物、ということになりましょうか。 虚像を実在するように勘違いさせるものなのでしょうか。

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回答No.2

こんにちは。エゴについては、哲学、心理学を中心に様々な視点で解釈されていると思いますが、コースインミラクルを読まれているとの事で、私はメタフィジカルな視点から簡単に回答させていただければと想います。 エゴとは自我意識と呼ばれますが、生き残りや進化していく衝動を持つ肉体と、完全であり観察の衝動を持つ魂の意識が重なる部分にエゴとパーソナリティが形成されますが、エゴはその肉体の意識を支配している側面です。生き残りを司る部分なので、安全に進化していくために様々な戦略を用います。この戦略が、闇やダークサイドとして捉えられ、宗教によっては「悪」としてみなしている所もあるようです。 実際、エゴは安全に生きるために必要な側面で、エゴがある事で安全に肉体が成長していけます、安全に生きる戦略にハマってしまうとエゴによって支配され、心の闇として様々な不安や恐れが強くなります。 コースインミラクルでは、エゴの支配を避け、エゴを認め、バランスがありワクワクした人生を生きるテクニックやレッスンが豊富に記載されているのでおすすめの一冊です。 以上、とても簡単に書きましたが、様々な概念がエゴにはあるので、調べてみるとよいかと思います。

mas-george
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 さまざまな概念があるのですね。 「ACIM」をまだ全て読んでいないのですが、思わず質問してしまいました。 ありがとうございます。

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  • bgm38489
  • ベストアンサー率29% (633/2168)
回答No.1

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1210342462 その書物は読んだことありませんが、質問文より、フロイトの理論の「自我」ですね。上記の質問(別サイトですが)にいい答えがありました。

mas-george
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 自分自身の心理的な側面という解釈ですね。 どちらに自分でOKを出すか、ということでしょうか。 ありがとうございます。

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