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戦前の日本の様子

昨日変な夢をみました。 夢の繋がりでふと戦前の日本を思い描いてみたところ、正直全く想像がつきませんでしたw 戦前の日本の都市部はどのような様子だったのでしょうか? 今の様に、多くの人や車が往来して賑やかだったのですか?(私のイメージではかなり暗い、殺伐とした感じなんです…) 当時の映像や写真などを見る事はできますか? 当時の貴族(華族?)やお金持ちの暮らしはどんなものだったんでしょうか?贅沢?質素? また、都市近郊に住む庶民はどんな暮らしをしていたのでしょう?現代のようにそれぞれが仕事を持って活発に働いていたのですか? 戦前の日本の事を何でもいいので教えて下さい!

みんなの回答

  • henmiguei
  • ベストアンサー率45% (1764/3877)
回答No.9

戦前の日本では 現在の履歴書よりも一つ欄が多く有りました 曰く「氏族」「爵位」など身分を書くところがあったそうです。

  • ume-mori
  • ベストアンサー率28% (56/199)
回答No.8

ちょっとずれるかもしれませんが、NHK製作の「映像の世紀」はかなり良いです。 国際社会や、その中での日本、日本の中の日本の様子が良くわかります。 これと言って「戦前の日本」が出ない巻もぜひ見て下さい!

noname#94392
noname#94392
回答No.7

自動車社会の到来とともに、大きな郊外型のショッピングストアが普及してから、県庁所在地以外の地方都市の多くはさびれて来ました。  逆に言うと、昔の地方都市はいろいろな店があって活気に満ちていました。小さな町の多くに「銀座」と名前がつく繁華街があり、人出も多かったのです。  また、テレビのない時代には多くの子供がいろいろな遊びを考え出して街のなかで仲良く遊んでいました。また、その近郊の山では蝉採り、とんぼ採りなどして自然に親しんで遊んでいました。  金持ちの子供は家で勉強させられたりするので、近所の子供と遊べるのを喜んだのです。  貧乏でも豊かな生活であったといえます。  

  • demio
  • ベストアンサー率13% (200/1473)
回答No.6

親から聞いた話では、金持ちは 家が大きい(今でもそうですが)お手伝いさんが住み込みでいる 電気冷蔵庫は無いが氷屋が氷を持ってきて冷蔵庫にする、庶民はもちろん無し  電気は電灯用に普通の家にも来ているが暗くならないと電気がこない  電灯用なので昼間は必要ないし、メータが無いので電球の個数で電気代をきめる  電話のある家は大きな商売をしているところぐらい(子供には電話は触らせてもらえ無い)  大阪市市内ですが、「仕事をして活発に働いていた」これはあたりまえ 路面電車や地下鉄も出来ていました、しかし車はあまり無いでしょう 母はシャープ(当時は早川電気)の会社の近くにいたそうで看板に 「早川電気のラジオ」と書いてあるのをみて当時では最先端の技術の会社でその会社に行く人をうらやましかったそうです なぜ殺伐で暗いと思うかわかりませんが、太平洋戦争がはじまって昭和18年ごろにはかなり戦争一変になったようですが、マスコミはこの頃からのことばかりを取り上げるのでもっと前からそうだと思い込んでいるのではないですか  本を読みましょう、庶民の生活は女性作家のほうが細かく描写しているとおもいます、田辺聖子さん、向田邦子さんは戦前は子供でしたが、子供からみた当時の大人の生活がおもしろく描かれています  テレビでもNHK教育で、著名人の生い立ちの話をしていることがありますが戦前の生活がでてきます、  調べる気があるなら幾らでもテレビでもその気になればいろいろ解ります

  • tridest
  • ベストアンサー率11% (2/17)
回答No.5

戦前の日本のカラー映像です。画質は悪いですが・・・ http://www.youtube.com/watch?v=DCbYsFcMDcc これ以外に何本も戦前の映像はありますので、色々検索してみはいかがでしょう。

  • code1134
  • ベストアンサー率20% (703/3370)
回答No.4

●(古典航空機:電脳博物館の中の中嶋飛行機物語の部より)"中島の最高傑作の誕生"の項→http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/nakajima/nakajima3.html (右上に本社社屋の写真有) ●(Panasonic(旧松下電産)のHPより)→http://panasonic.jp/labo/history/product/kaji/iron/1927/ (1927年製のアイロン&広告ポスター有) ●("お星さまの贈りもの"より)"昭和からの贈りもの"の項→http://ohoshisama.info/syowakarano/syouwakaranotop.htm 上掲URLをご参考に・・・・

  • HANANOKEIJ
  • ベストアンサー率32% (578/1805)
回答No.3

http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2008/tv/nihonshi/index3.html レンタルビデオ店にいって、昭和の映画で戦争前のドラマなどをさがしてみてください。 「スパイ・ゾルゲ」本木雅弘出演、DVDですが、昭和の東京銀座や生活風俗がわかります。 「おしん」「白洲次郎」アサヒグラフ、日本史の全集もの、写真集など。 http://www.iwanami.co.jp/special/ww2/15year-war/top.html http://www.jca.apc.org/~earth/sub2.html http://dir.yahoo.co.jp/Arts/Humanities/History/Japanese_History/By_Time_Period/Modern_Ages/Showa/Asia_Pacific_War/Museums_and_Memorials/ ライフワークになるかもしれません。ご自分で、さがしてみてください。

noname#160321
noname#160321
回答No.2

冷蔵庫と洗濯機がありませんでした。 ですから、主婦の仕事の最大の物は家族の衣類の洗濯。 少し蓄えのある家には日本海側や東北の農家から女性の食い扶持稼ぎとして女中さんに来てもらいそれで主婦の負担を減らしておりました。 上記の農村は悲惨でしたので、少しでも都会に出る機会があればみんな都会に出て働きました。 なお、和服の方も半数以上でしたから、和服は毎年(?)「ほどいて」洗い、糊を付けて「伸子張り」で伸ばし、ときにアイロン(炭火を使った火熨斗もあった)をかけてから「縫い直して」着ました。この辺は江戸時代と同じ。 電気はありましたが松下幸之助さんが大成功したように照明以外にはほとんど使われていませんでした。 東京のメインストリートは地下鉄の代わりに都電が走っておりました。 東京のサイズは今第二山の手と言われる付近がまだ畑でした。練馬は畑しかなかった。中野も杉並も半分以上畑だった。 目黒の鷲神社も周りは畑でした。 山手線の中も緑が豊かで散策する道に事欠きませんでした。 銀座は今ほど広くなくこじんまりとしておりましたが、活気は今と変りません。 …と言っている私も戦後生まれ。(汗;汗;

  • sykt1217
  • ベストアンサー率34% (277/798)
回答No.1

>(私のイメージではかなり暗い、殺伐とした感じなんです…) 二次大戦関連のドキュメンタリーの挿絵で、白黒写真が使われるので、それからくる先入観のせいだと思います。 軽く調べてみたところ http://syasinsyuu.cool.ne.jp/tosi/tokyo.htm このサイトは「大まかに」当時の状況を理解できそうです。(本当に大まかです・・。) >当時の貴族(華族?)やお金持ちの暮らしはどんなものだったんでしょうか?贅沢?質素? 今と「贅沢」のレベルは違いますが、当時としては「贅沢」だったと思います。 当時は最新の洋物や機械類を家に取り入れる=贅沢だったようです。 >また、都市近郊に住む庶民はどんな暮らしをしていたのでしょう?現代のようにそれぞれが仕事を持って活発に働いていたのですか? 私の中で下町の印象が非常に強いのですが(汗)、今より「個人営業」が多かったようです。もちろん大企業(企業と言うべきかはわかりませんが・・)というものもありました。 参考までに。