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死刑制度について
「死刑制度」について皆さんはどう思われますか? 私は反対派です。しかし、倫理、宗教など様々な分野から問題を抱えていると思います。 皆さんのご意見を伺いたいです。
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再登場です。 法律が人を裁くことによって人が死ぬこと・・・ 非常に難しいですね。 これは、政治的意味合いが非常に大きいものですから。 この世の中に、絶対的な間違いのない善悪区別というのはあるのでしょうか?という哲学的な内容にもなってきますから。 チャップリンの殺人狂時代で、たしか「1人殺せば犯罪者で1000人殺せば英雄」とかいう表現があったかと思います。たしかに、平和な現在の日本で1人でも殺せば重罪です。しかし、国家同士の喧嘩である戦争の場面においては沢山殺した者が英雄となります。すると、人が人を殺すことは絶対的な罪なのかどうかわからなくなります。 第二次大戦後の戦争裁判でも、日本とドイツの軍事的指導者達は多数死刑になりました。けれども、広島市民20万人を殺した原爆を投下した米軍関係者は一人も死刑になっていません。 勝てば官軍であり、勝者が敗者を罰するという裁判が軍事裁判で、政治的な裁判だったための倫理的・人道的には不可解な判決です。 或いは、中国では文化大革命のときに多数の人が投獄され、命を失っていますが、後には文革自身が批判され、当時の決定は誤りであったとされ、名誉回復が行われています(けれども、死んだ命は二度と戻ってきません)。政治的な変化があれば、判断基準が全く変わってしまう可能性が大きいのです。 また、人が人を裁く限りにおいて、冤罪の可能性もたしかにあります(逆に本当に罪を犯したひとが無罪になることも)。そんなとき、終身刑ならば冤罪被害者の救済を行うことが可能ですが、死刑の場合、執行されてしまった後はどうしようもありません。 初めにした回答と同じような結論ですが、終身刑があるならば、死刑制度は廃止すべきです。 やはり、死刑という名の殺人ですから。 個人的意見としては、ハンムラビ法典の「目には目を、手には手を」が一番すっきりしているとは思います。 今の法律は、というよりも、それを運用している法曹界は、加害者の人権尊重にばかり偏重しているようですから。
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- basil
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churaさんの#5のアドバイスへのコメントです。 ご理解いただけていないようなので補足します。 私が下に書き込んだのは “人種差別”ではありません。 強いて言えば “価値観差別”とでも言いましょうか? 生まれながらにしてもつ特徴で差別するのでなく、 本人が自分の責任で持っている価値観をもとに 差別しようというアイデアです。 現実的でないのは百も承知です。
死刑に対して私は賛成とも反対とも言えません。 それは後で述べることとして... 死刑には「見せしめ」の側面があります。 私はこの側面が本来の死刑の目的だと 考えています。 つまり、大罪を犯すと自分も死ぬ羽目に なるので止めなさい、ということです。 子供が悪いことをして親にして叱られる。 子供は「叱られるから悪いことをしない・ しなくなる」ということとほぼ同じ意味です。 # 抑止力ですね、これは。 終身刑があれば一番いいと思いますが、 今の法律ではちょっと無理でしょうね。 終身刑や「懲役300年」といった刑罰の方が 死刑よりも辛いでしょう。 死刑は、いつ死ぬかわからないという恐怖心の方が 大きいために、犯してしまった罪の重さについて 向き合うことはそれほどないのではないでしょうか。 #犯罪心理を勉強していないのでいい加減ですが。 それに対し終身刑等は、生きていても社会生活は 送ることが出来ず、その上自分の犯してしまった罪と いつまでも向き合っていなければならない。 これは死ぬことの恐怖よりももっと辛いはずです。 日本も終身制が導入されればいいとは思っています。 どなたかが「同レベルのポリシー...」と論じて いらっしゃいましたが、これはある種、人種差別に ですから。考え方としてはおもしろい とは思いますけど。 答えになっていないかも... では。
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回答、ありがとうございました。 死刑が「 みせしめ 」であったこと、これは太古の昔から あったことですよね。日本では、引き廻しやさらし首が いい例ではないかと思います。 犯罪者の中にも、自らの罪を悔い改める者がいます。 しかし、罪を正当化する者もいます。 世間の多くは後者に対して極刑を望みます。罪の意識の ない者には生きている資格がないとも言います。 しかし、なぜ世の中が、法律がそんなことを決められる のでしょうか?不思議ですね。
- basil
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私は一応 肯定派なんですが、 現状の“死刑”が効果的かどうかは疑問です。 私は重犯罪社に対する刑を一般社会の中で行うことに矛盾を感じます。 当事者になってみないと本当のところは分かりませんが、 一般の人が考える“死刑”と、 ゆがんだ価値観を持つ人間が考える“死刑”とが同等とは思えないからです。 悪いことをしなくとも自分で“死”を選ぶ人間もいるわけで、 現代のように価値観の多様化するなかで画一的な刑を与えるのは不自然な気がします。 身近な例でいうと、免許取り立ての18歳の学生が駐車違反の罰則で2万円払うのと、年収何千万も稼ぐ実業家が駐車場代わりに路駐して違反金を払うのとでは罰則の重さが違いすぎます。矛盾を抱える制度のように思います。 ちょっと話はずれてしまいましたが、、 わたしの考えるBETTERな刑はこうです。 “犯罪”という概念をなくし、 同じレベルのポリシーを持った人間同士で生活するのです。 地域を分け、個々の法律(ポリシー)を設定し、 お互いの間は行き来できないようにします。 成人した時点でニュートラルな地域からスタート。 善行を行えば高いポリシーの地域に移ります。 罪を犯した人間はより低いポリシーを持った地域へ移るのです。 んん~。非常に偏ったシステム。 我ながら非現実的すぎてあきれます。(困)
お礼
回答、ありがとうございました。 basilさんの考えは 「 死に対する価値観の違い 」 ということでしょうか。なるほど。 この世におそらく、まったく同じ人間はいないでしょう。 人を殺してしまう ということ一つとってみても、様々な理由、原因があります。(ないと言う犯罪者もいますが・・) しかし、私は考えます。 結果として人が死んだ、ということに変わりがない ような気がするからです。 例えば路上駐車して、キップを切っている警察官に文句 を言い放つ、とりわけおっさん方はこう言います。 「 みんなやっとるがな。」 確かにそうです。でもおっさん、あなたは違反した。 実の父親から何年、何十年と虐待を受け続け、 耐え切れず父親を殺してしまった少女がいます。 判決は彼女の苦悩を組み入れたものでしたが、 それでも彼女は刑に処され、人を殺してしまったという 事実を受け止めなければなりません。 上の2つには大きな問題があるにせよ、 犯罪としてとらえられます。 ・・・しかし、もっと問題なのは価値観の基準を何処で、 誰が、どうやって判断するかなのかもしれません。
- cricket
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昔、星新一さんが誰かの言葉として書いておりましたが、 「死刑を廃止すると、敵討ちが復活するかも知れない。」 との事でした。人を殺しても死刑にならないのであれば、その犯人を殺しても死刑にはならない、と言うわけです。 つまり、一般人による殺人が日常化する、と言うわけ。 ま、今の時代にはあまり説得力無いかな? 要するに、殺人行為は国家の元に隔離していた方が平和なのではないか、という理屈です。 従って、僕は死刑制度が存在することを容認します。
お礼
回答、ありがとうございました。 「 敵討ちの復活 」という説には新たな観点から 衝かれた気がします。 「 目には目を、歯には歯を 」に近いですね。 しかし、アメリカ社会ではいくら死刑制度を用いても 犯罪は減らず増える一方です。 つまり、自分が死刑になるであろう事を想定して 殺人を犯す人はあまりいない、ということでも あるような気がします。 カトリック宗派が占めるフランスでは死刑を廃止 してしまいました。だからといって殺人が多発している ようにも思えません。 こうなると、今の日本の法はどうなっている? に繋がります。尽きることが・・・ありません。
難しい問題ですが、俺はあった方がいいと思います。 なぜなら、やっぱり、生きている限り殺人を繰り返す猟奇殺人者とか、そういう人間はいるんです。これは人間が人間である限りしょうがないんですよ。 人間の精神というものは実に微妙なバランスで成り立っていて、「人間は正常であることが当然だ」と思っている人には想像も出来ないような精神構造をもった人だっています。たとえば、人を殺すことこそが正義である、といった観点のもと、その考えを決してくつがえさない人がいたとしたら、やはり、犠牲者をそれ以上増やさないためには、もうその人物を社会に出さないようにするしかありません。治療(ただしここでいう治療とは、説得を含みます)できればいいのでしょうけど、「全ての人間は治療すれば正常になる」という観念から離れられない現代の医学では、全ての人間を治療することなど不可能です。 殺人犯を生かして死ぬ必要のない人を殺すか、それとも、死ぬ必要のない人のために殺人犯を消すか、もしどちらか選ばなければならない状況になったら、俺は、まっとうに生きている人を選びます。
お礼
回答、ありがとうございます。 生きている限り犯罪を繰り返す犯罪者たちは、 現に存在しています。しかし、その中でも死刑に なる者、あるいは外の世界へ出てしまう者がいます。 日本では精神鑑定が大きな基準となることが多く、 犯罪における責任能力の有無で刑が決まります。 ここで疑問に思うのは、責任能力が有る者は刑に 処され、そうでない者は治療を受けるということ。 いったいその基準とは何処にあるのでしょう。 法律ですか?それとも世間の常識? ここまで来ると、今度は法律の問題に関わってきます。 ・・・難しいですね。
- kawakawa
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ringo7さんと違い、私は死刑制度肯定派です。 ただし、これには前提となる条件があります。現在の刑罰制度においては、ということです。 信じられないほどの重罪を犯し、何人もの人権を完全に踏みにじった人が「無期懲役」ですんでしまうという、世界に例をみないような甘い制度の中では、死刑しか選択できないと思うからです。 他の犯罪に対しても、日本は非常に甘いですよね。 ずっと以前、沖縄で女性をレイプした米兵を沖縄で裁判にかけたときがありましたね。あれは、加害者が大喜びの結果でした。というのも、同じ内容をアメリカで、或いは、米軍内の軍事法廷で裁けば、日本の数倍の刑期が課せられたに違いないからです。 アメリカの司法制度にも非常に変なところがありますが、私が非常に素晴らしいと思っているのは、「懲役350年」とか「懲役500年で、保釈は最低300年後」とかいう判決があることです。 或いは、世界の多くの国にあるような「終身刑」。 こういった判決があるのならば、国家による殺人である死刑は廃止できるでしょう。 けれども、最初に述べたように、現在の非常に甘い刑罰では、無期の上の死刑は存続せざるを得ないと考えます。 少年法のせいで、青少年犯罪が多くなっているように、今の量刑制度のままで死刑制度がなくなれば、重犯罪が増えることが懸念されます。重犯罪抑止のためにも、現在のところは死刑が必要でしょう。 いずれは、量刑の見直しをした上で廃止すべきでしょうが。
お礼
回答、ありがとうございました。 アメリカの司法制度には、私も一部賛成です。 終身刑(とりわけ懲役の重さ)については、現在の日本も ならうべきではないのかと感じます。 kawakawaさんの回答を見る限り、前提条件があって 死刑制度に肯定のようですが、では質問を変えて。 「 法律が人を裁くことによって人が死ぬ 」 ということについてどう思われますか? つまり、法が人を殺すとも言えますが・・・。
お礼
再びの回答、ありがとうございました。 物事の区別、基準を計るものということを取り上げて みれば、人の死をその はかり に賭けてはならないと 私は思います。kawakawaさんもおっしゃっている ように、死んでしまったらすべて終わってしまいます。 ナチスについては『ニュールンベルク裁判』 死刑制度については『デッドマン・ウォーキング』 という映画をそれぞれ見ました。 両方とも答えが見えない、深い問題を取り上げています。 デッドマン・ウォーキングは死刑囚に最後まで付き添う あるシスターの実話がもとになっています。 私は無神論者ですが、このシスターの言葉には納得するところがありました。 「すべての人間は、どんなことをしたとしても、拷問されない、殺されない権利がある。それは政府から与えられる権利ではなく、人間に本来備わっている、譲ることのできないけんりである。」 「死刑を執行した後、間違っていました、ではすまない。 判決も、死刑執行も、様々な偏見や誤りに満ちている。 死刑制度をもつには、私たち人間はあまりにも弱い存在である。」 「処刑したからといって、犯罪を生み出す根本的な原因を取り除いているわけではない。むしろ目を他にそらし、 問題の根源を解決するためのしょうがいにさえなっている。」 2度にわたる回答、本当にありがとうございました。 とても参考になりました。