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遠目に見て良い絵と、近くで見て良い絵
・パッと見で惹き寄せられるものの、よく筆跡を 観察すると、何故ああ見えたのか分からない絵 ・パッと見が凡庸だけれども、近寄り細部を観察すると 技術や描き込みの度合いに文句がつけがたい絵 に、絵の種類が分かれるとします。 (パッと見も描き込みもよいのがベストですが) 私は前者で、後者に常に技術的な劣等感を感じながらも、 丁重な描き込みをして、その間に、描き始めにあった 感情や感覚が失われるのを恐れて、それを実行できません。 毎日、感情も空の色も微妙に移り変わるので、1枚仕上げる のに何日もかけると、継ぎ接ぎになりそうで怖いです。 遠目にも近目にも優れた絵を描く人は、一定した上品な 感情の持ち主だから、存在感のある絵が描けるのでしょうか? 前者はどう努力したら、双方を併せ持ったいい絵を描けるようになるでしょうか? 長文申し訳ありません。宜しければ、アドバイスをください。
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私もどちらかというと前者です。 しかし自分の経験では、やはり良い評価をもらえる時の絵はパッと見が良く、それでいて近くで見ても文句がつけられないくらいに丁寧に書きこんだものでした。 私が講師の方によく言われることは、細部を書きこんでいるときに手は細部を書きながらも、目は全体(パッと見)を意識しろ。と言われます。 (例えば、影を書いているときに同じ影でも、その物の全体では光のあたる面にある影だったらより明るくする等) この方法を自然に実践するには、そうとう熟練していないと難しいですが、意識的にやってみるだけでもかなり改善されるかと思います。 あとは、一度崩すくらいに細部を書いてから、最後に全体感が良く見えるように整えることをすることかと思います。 趣旨はあっているでしょうか?参考になれば幸いです。
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- kottinQ
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こんにちは。 私も絵描きの端くれなのですが…。 えらそうに回答できるような絵は描けていません。 若い頃は、見えすぎて失敗しました。 自分でもあきれるくらい神経質な絵を描きました。 遠くの細かなところが見えても描いてはいけないのですね。 色だって、遠くに鮮やかな色を感じても描いてはいけない。 石膏デッサンをずいぶんやって、バルルの勉強をしたつもりでしたが、本当に理解できてきたのは、一度筆を置き、病気で長期療養したことをきっかけに再び筆を持った、それからでしたね。 肩の力が抜けたのだと思います。 私たちは表現者です。 何を表現するかです。 私は、リアリズムを追求したいと思っています。リアリズムとは、写実ではありません。そのものの本質を描くことです。本質を表現するために、無駄なものを省略します。本当に無駄なものだけ省略できたなら、リンゴよりもリンゴらしいリンゴを描くことができる…、理屈ですが。 マチエルは大切です。 遠くから観るぶんには、関係なさそうですが、しっかりしたマチエルのない作品は、本当のタブローとは思えません。 主観ですが、マチエルはその作家の人柄を表すように思えます。 離れていい作品は、紛れもなくバルルの取れた作品です。 あえてバルルを狂わせ、不安感を表現するなんてこともありますが、それはバルルが取れる人の話、まず間違いのないバルルをとることです。 私は抽象画にだってバルルはあるし、バルルを意識して描かないといけないと思っています。 絵を描いていると、偶然素晴らしい効果が出てくることがあります。 私はそれで失敗しました。 その効果を大切にするあまり、作品が練りこまれていかなくなります。 偶然の効果を、偶然でないようにする。いつでもテクニックとして表現できるようにする。その姿勢がないと、偶然頼みは害毒となるだけです。
お礼
大変丁重な回答をくださり有り難うございました。 脳は目にするものの一部しか見ていないと聞き、写実は リアリズムでないというのは、本当にその通りだと思います。 しかしお言葉通りに、甘えずに、真剣に努力していこうと 思います。大変ありがとうございましたm(_ _)m
お礼
ご回答ありがとうございましたm(_ _)m 具体的で、素晴らしく参考になります。 描くときの集中の仕方、気の配り方に注意してみたいと思います。