• 締切済み

母からの一言で人生に絶望してしまいました

30代前半の女性です。9年間うつ病・強迫神経症・パニック障害を患っています。20代前半で発症して、すぐ結婚。専業主婦となりました。結婚生活8年、私の症状に耐えていてくれた夫とも離婚し、現在に至ります。 離婚を機に実家に戻りましたが、壁を壊すなどの行動をおこしてしまったため、一人暮らしをしました。 しかし、一人暮らしでアルコール・異性依存になってしまい、両親・主治医相談の上、入院が決まりました。それが私のプライド?偏見?で人生が終わった感覚になり、自殺未遂を起こしました。 その自殺未遂から何故か全ての症状が好転し、一人暮らしも続けることができ、入院も免れ、次回診療で私に治療は終わります。主治医を信頼できず不安要素を話さなくなったことも治療を終えられる要因です。 症状が良くなったことで働くことができるようになり、現在アルバイトをしていますが、アルバイト先の人間関係がうまくいかず、以前のような過呼吸の発作や外出できない症状が現れてきてしまいました。そのため、アルバイト先の人間関係が更に悪化。 このままではまた過去の症状の酷かった状態に戻ってしまうと危機感を感じ、そのアルバイトを辞め、地元に戻りまた働き口を探したい両親に相談しました。 父は賛成してくれました。母は「また、そういう話し方する!なんかヤダ」でした。 私は、なんだか実家に帰ってもまた過呼吸や壁を壊してしまう気がして「以前に戻ってしまう気がして、実家には一緒に住む自信がない。アルバイトを辞めて、また甘えだけれども、地元で仕事を見つけるまでお金を工面してもらって、実家の近くで一人暮らしができないか」と相談しました。 父は、賛成してくれました。 母も賛成してくれたのですが、そのときに「そうね。うちにいて、またあんなことされたらこっちが病気になるから二度と見たくないしね。」と言われました。母にそう思われていたのがショックでした。 私は患っていた9年間で多くの人を失いました。 希死概念や胸の内を話してしまったことで私の元気なイメージとはかけ離れていたのでしょう、気持ち悪がられて多くの友人を失いました。 仲の良かったいとこも「いつまで子供なの?」と怒らせ、連絡が取れなくなりました。 夫も離れていきました。極めつけは両親なのかと・・・ (父は優しい人ですが、事情があり母の意見に全面賛成するしかない立場です) 学生時代の私は調子に乗って生きていたので、私に寄り付きたくない気持ちがとても理解できます。その頃の私なら、病気後の私とは付き合いたくないと考えると思います。 しかし、私は子供っぽく非常に寂しがり屋なので、見捨てられるということに大変な恐怖を感じます。 20代の専業主婦生活で、まともに仕事もせずにいたことで、手に職や特技がないので、正社員として就職し、自立して天涯孤独で生きていくことも現実無理です。 またその能力があったとしても、自分の精神状態を考えるとつぶれてしまいそうです。 また、地元で不動産業を営んでいる異性の友人に病気など詳しいことを隠し、「今のアルバイトを辞めて、地元で仕事を探そうとしている段階なのだけど、職がない状態で一人暮らしができる物件はあるか?契約に社会的信用がある人が必要なはずだから、それは父親がなってくれるとのことだけど・・・」と相談したところ、「30歳も過ぎて、親に頼っちゃダメでしょ。俺らの年齢では結婚して子供がいて、それでも住宅ローンを抱えていて当たり前。甘えすぎ」と言われてしまいました。 その友人との会話を母に話すと「お前いい友達がいるね。そう言ってもらえる内が花だよ。お母さん、その子好きになっちゃった」と明るく言われました。わかっているけど心がついていかず、またショックを受けました。 30歳過ぎて、こんなにも子供で甘えていて、現在生きていく能力もなくて・・・ そんな私がこれから厳しい人間社会を生きていけるのか?と考えたら、また希死概念が強くなってしまいました。毎日自殺をシュミレーションしています。 「自分は甘えている」とわかっている一方、「母だって父と結婚して専業主婦になっただけで、仕事で稼ぐ能力もないのに、子供を産み、妻という立場だけで社会的地位を与えられて生きていけているだけ」と思ってしまう最低な自分がいます。 手に職をと思い、資格を身につけようと参考書や問題集を買ってみましたが、悩みや考え事ばかり頭の中を巡り、全く手につきません。頭の悪い人間になったと感じます。 この先、私はどうすれば良いのでしょうか? ペットを飼っていまして、「この子を看取るまでは責任として生きなければ」と思っているのですが、その期間ですら生きていくことに自信がありません。

みんなの回答

noname#108374
noname#108374
回答No.25

読ませていただきました。苦しそうですね。 考えかた、感じかた、傷つきかた、これからもそうそう変わることはないと思います。でも、そういう気持ちをまわりに隠すように、隠すようにと生きていくほうが、自分の気持ちも周りの評判もキレイでいれて、楽だと思いますよ。一度やってみてください。 既にしてしまった失敗とか、見せてしまったドロドロとかは、苦しいですが諦めるしかないです。フォローとかキレイに直したいとかで気持ちをぐちゃぐちゃさせなくても、立ち直った(ように一見見えれば)親御さんとかも温かく見守ってくれると思います。 仕事ですが、資格をとったりとかムリをせず、自分の能力でやっていけるところのほうが、働きやすさ、職場の人間関係ともにうまくいくと思います。もちろん、条件面とかが犠牲になると思いますが、本当に苦しいときは親を頼るつもりでいいと思います(親御さんには言わないほうがいいと思いますけど^^;)それでもなんとか頑張ってやっていけば、みんなにも認めてもらえるし、その頃には新しい人間関係も色々できていると思います。 もっと自分を(別の方向から)甘やかしてもよいと思いますよ。 偉そうなことを言って、ピントがずれていたらすいません。 一応経験からくるアドバイスです。

mochakona
質問者

お礼

>そういう気持ちをまわりに隠すように、隠すようにと生きていくほうが、自分の気持ちも周りの評判もキレイでいれて、楽だと思いますよ。一度やってみてください。 そうですね。 振り返ってみると、私は本当の意味でのソウルメイトを作ることが苦手だった気がします。 そのときの環境に合わせてベストなのは誰か?という視点で人を選んできてしまったような気がします。 どこに行っても人付き合いは必要ですので、肝に銘じておきたいと思います。 資格の勉強をしていたのですが、止めました。 明らかに自分の心が喜んでいないことに気づきました。 今は、将来の目標に即した勉強を楽しみながらしています。 その目標があるから、今までは仕事をえり好みしていましたが、 単純に自分の能力とお給料のバランスで職探しができそうです。 私は大人になるのが遅すぎたようですが、 ○歳までには○○をすると決めるのは、世間だけだと思うので、 周りにはあまりおおっぴらにせずに自分の目標に向かって 歩いていこうと思います。 ありがとうございました。

回答No.24

もっとシンプルに考えてみませんか。 「好き」、「嫌い」、「どちらでもない」 「嬉しい」、「悲しい」、「何なのかなぁ~」 これは理屈ではなく、その時に感じることです。 でも時間が経過すると逆の答えに変わってしまうかもしれません。 もし変わったとしても間違いではなく、見方や考え方等が変化して発生しただけです。 また過去は変えられなく戻ることが出来ません。 しかし未来は変化させることが出来ます。 ただ計画しても進まないことや意外と進んでしまうことなどありますが、重要なことはスタートしなければならないことです。 そして平等なことは、生がある限り明日があることです。 *全ての生き物は、生まれた瞬間から死と隣り合わせです。   死は不平等なのかもしれませんが、生がある限り自由です。  そして死は選択するものではなく、自然に訪れるものではないでしょうか。 厳しい社会ですが、大小関係なく誰にでもチャンスはあります。 *チャンスは来るものではなく取りに行くもの。 今は健康を取り戻すことだけを考えてみませんか。 「こころの病だから」ではなく、「こころの病と上手く付き合っていくこと」が少しでも出来るようになれば自然と自信となり変化(回復)が始まります。 私もこころの病と上手く付き合う段階にまでは至っていませんが、こころの病を認めることが出来ました。 ここまでの道程は途方もなく長かったですが、進まないことには変わらず、小さな目標を持って繰り返すことが大切だと感じています。 なかなか最初は上手くいかないこともありますが、ゆっくりと焦らずに体調に合わせて休憩を入れながら簡単なことから初めてみてはどうでしょうか。 *食器を洗うことも楽しいですよ。  洗い方や拭き方で光沢の差が出たりしますから。 最後にペットと楽しむだけで良いのではないでしょうか。 生と死を考える必要はなく、「ペットと何を一緒にしようかなぁ」とペットを思いやる気持ちだけで十分だと思います。 お互いが楽しめれば最高だと思います。 頭で考えることも必要かもしれませんが、シンプルも大切です。 ご参考となれば幸いです。

mochakona
質問者

お礼

また少し状況が変わりました。 なんとなくwebを開いて見ていた健康に関するページがあり、 共感を覚え実践したところ、明らかに体調が回復し、 気持ちまで前向きになってきました。 一度は捨てた命だと思って、目標に向かって頑張っていこうと 思います。 ありがとうございました。

  • angerT
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回答No.23

angerTです。 No.21の回答における、私の事実認識に誤りがあったので訂正・お詫びです。 >私が感情的になっているというご指摘でしたが、そうした側面は確かにあるでしょう。 >当初、あなたが周りの突きつける「外向的」要請によって生きづらくさせられている「内向型」>の人物かと思っていたからです。 > >これについてはこちらが勝手に思い込んでいたことをすでに謝罪しました。 読み返したら、自分の思いこみ・事実誤認を認める書き込み、 >ですが、おそらくそれは私の見誤りだったと思います。 >(勝手な素人の思い込みで発言したのは私の過失でした) はありましたが、直接それを「謝る言葉」は書いていませんでした。 申し訳ありませんでした。 ですので改めて謝罪させていただきます。 こちらで一方的にあなたの性格を「内向型」と思い込んでしまいました。 それに基づいてあなたに対する意見を寄せてしまったことを謝罪します。 申し訳ありませんでした。 それでは失礼します。

回答No.22

#9 です。 回答へのお礼ありがとうございます。 人生の中で上手くいかないことは意外とよくあることだと思います。 上手くいくことが当たり前だと思っていればどうにかしたいと思うはずです。 しかし思ったようには思いつかないために悩むことになるのです。 あまりにも順風満帆で過ごしてきてしまうとその陰で動いていたことに 気が付く機会を得られなかったのだと思います。 上手くいかないことの方がごく普通のことがとだと気が付くまでには 誰かがどうにかしてくれる、何かがどうにかしてくれると思ってしまう のは不思議でもないのです。 自分でどうにかすると気が付いてからも何から何まで上手くいくわけ でもありません。 上手くいかないことが当たり前なのです。 誰かが自分の考えていることに賛同してくれないのも普通のこと。 初めてやることが上手くいかないのも普通のこと。 資格あったとしても何の保証がないのも普通のことなのです。 親との関係や他人との関係が上手くいかな気のも普通のことです。 でも、自分が上手くいかないことに向き合うことは出来ます。 上手くいかないことを上手くいくように地道に努力して成長することは いつでも出来ることです。 そのために必要なのは相手を変えることではなく自分を変えることです。 もちろんその努力をしても明日から上手くいくようになることはないです。 成長するには時間がかかり成果が何時出るかは分かりません。 誰でも良い結果を出したいと思っています。 そしてなるべく手間はかけないですませたいとも思うでしょう。 でもそうしてしまうと何も身に付かないのです。 どんなことにも途中経過(プロセス)があります。 その途中経過の重要性が理解できなければ何故それが上手くいったのかが 分からないのです。 自分の考え方というのは自分の中に作り上げた思考パターンに従って 答えを出すようになっていると思います。 いつも同じような答えが出るのはそれをいつまでも変えることなく 使い続けるからです。 それを変えるのはとても時間がかかかるはずです。 でも変えなければほとんど変わることなくこれからも続いていくことに なるでしょう。 失敗や間違いは上手くいかなかったことです。 その上手くいかなかったことを誰かに解決してもらっていれば自分は 成長できません。 上手くいかないことを自分で時間をかけて、また上手くいかなくて 自分で試行錯誤して自分を成長させながら解決していくことで上手く いくようにできるようになるのだと思います。

mochakona
質問者

お礼

自分を変える方法というのは中々思いつきませんが、他の人への回答にも書きました通り、心の底から死ぬ覚悟を決めたことで、様々なストレスから開放されつつあります。 食べ物はまずくて当たり前。 私に人が寄ってこないのも当たり前。 人生楽しいことがなくて当たり前。 心の底からそう思えるようになりました。 人の言葉を聞くと「おいしいものを食べるために」とか「人生を楽しむ」などと聞きますが、それは私にとっては当然の権利ではないことを自覚しました。 でも、私以外の全ての人には「人生を楽しんで欲しい」と思います。 あなたには可能性も喜びも楽しさもまだまだ沢山あるはずだよ。と思います。 私は客観的にそう言われて当然の人間になれなかったことは残念です。 やはり、権利と義務ということなのでしょうね。 ありがとうございました。

  • angerT
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回答No.21

angerTです。 たびたび失礼します。 自分が使っていた用語についての説明が不足していました。 補足させてください。 >「内向的」の対義語は「社交的」ということでしょうか? >よくわかりませんが、そういったタイプの人間が精神的な病になることはありえない、もしくは精神的な病になったから >には「内向的」であるべきというようにもとれました。 すみません説明不足でした。 「内向的」 というのは、ユング派のタイプ論の用語です。 ユング派の書籍を読まれたことがある仰るので説明を省いていたのですが… 「内向的」ということばは正確ではありませんでした。 この点もお詫びします。 正確には「内向型」です。 対になるのは、 「外向型」 です。 この基準とは別に、 「合理」「非合理」 という分類があり、 さらに 「合理」は「思考」と「感情」、 「非合理」は「直感」と「感覚」 という機能に分類されます。 >でも、一方で本来は私が「内向的」な性格ではなかったことに対して感情的になっている印象も受けました。 >skypeなどで連絡を取ろうとまで考えていらしたのですから、男性としての心理なのでしょうか・・・。 >それとも、若い頃調子に乗っていた人間が生理的にお嫌いですか?。 私が感情的になっているというご指摘でしたが、そうした側面は確かにあるでしょう。 当初、あなたが周りの突きつける「外向的」要請によって生きづらくさせられている「内向型」の人物かと思っていたからです。 これについてはこちらが勝手に思い込んでいたことをすでに謝罪しました。 私自身は外向型性格の人たちに抑圧されたと感じているので、「外向型性格=調子に乗っていた人間」であれば嫌いです。 「もてない人間には価値が無い」などと考えている人間を好むはずがありません。 それから、私にとって、あなたが女性であるという意味は以前書いたとおりです。 ですから、そのあなたが私にとって承認をあたえない、むしろ抑圧する「外向型」だったということがわかったので態度が反転したものと考えられます。 それから、ここをご覧になる方に「うつ病」に対する私の主張が誤解されると嫌なので書いておきます。 外向型の人もうつ病になります。 外交型の人が価値をおく「外面的な承認」(富・対人関係・職など)が与えられなくなったら、当然その人は不安に陥るからです。 専門家ではないので断言はできませんが、今のあなたがそうだと思っています。 ですからあなたがうつ病であるという事実を否定しようとしているわけではありません。 …ただ、私は、それでもあなたのことを、多少、リアルのことに縛られすぎていて気の毒だ…とは思います。 ですから最後に現実的なアドバイスをします。 ほかの回答者のみなさんがおっしゃっていることの繰り返しになりますが。 >ある意味では過去に戻りたいことも事実です。 >しかし、それは調子に乗っていた自分ではなく、病気ではない自分です。 私から言わせれば、かつてのように調子に乗れなくなった(「外向的」に承認を得られなくなった)から病気になったのであって、かつて「調子に乗っていたあなた」と、今の「病気のあなた」が無関係には見えません。 もちろん、細かい事実関係は分からないので、断言はできません。 とにかく病気を発症させている事実関係にあなた自身で気づくことが必要です。 ですから専門家である心理カウンセラーのカウンセリングを受けることをお勧めします。 それでは。

  • angerT
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回答No.20

angerTです。 訂正です。 No.19で参考文献としてあげた書籍の情報が間違っていました。 『だまされない〈議論力〉』(講談社現代新書)吉岡友治 です。 申し訳ありませんでした。 それでは。

  • angerT
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回答No.19

たびたび失礼します。 以前私が行った回答にはかなり偏った表現や、誤りがあるので、それに対する補足をしておくべきだろうと思いこうして再び回答させていただきます。 まずは長い文章を読んでいただきありがとうございました。 以前の返答への回答、略歴を読ませていただきました。 そうだったんですね… >20代前半で発症して、すぐ結婚。専業主婦となりました。 この部分を読み間違えていました。 まずそのことを謝罪させてください。 申し訳ありませんでした。 心理学についての知識もお持ちのようで、心理学・臨床心理・精神分析の専門家で無い私よりもたくさんの知識をお持ちになられているかも知れません。 参考文献など余計なお世話だったように思います。 なので、今回は私の専門分野から話をさせてもらいます。(哲学・社会学) >友人の言葉ですが、私にはあながち非常識にも思えないのです。 >私の思考も「古い」と良く言われますが、家系制度というか、明治時代かそれよりも前のような >発想をすることが良くあるので、私が離婚をしなければ、彼の言うようなことを心のどこかで思 >ってしまう自分が存在したかもしれません。 明治時代で大きく「イエ」の制度が変わっていることをご存知ですか? 明治時代以降の「イエ」制度はそれまでの中世のものとは違って産業構造の要請によって大きくその意義を変えています。 これは社会学をやっていれば常識のはずです。 また、心理学に興味をもたれておられたようですが、それなのに「恋愛脳」のような言葉で全て説明しきったような気になれるというのは、なぜなのでしょうか? >私は「人間は他の動物が子孫繁栄すれば良いのとは違い、何かを生産>することを求められている。だから人間以外の動物は『自殺』をする>ことはできない。生産できない人間のために『自殺』と >いう手段がある」と考えています。 >なので私は今度こそ失敗しない方法で自殺をします。 >かと言って冗談でも「(誰かが)死ねばいいのに」など誓って言った>こともないし、思ったこともありません。 >私以外の全ての命あるものに少しでも長生きをして欲しいと思います。 >すごく矛盾しています。 >こうした矛盾が多いところも私の性格の悪さでしょう。 以前は、この結論を同情から大げさに認めることをしましたが、このロジックはおかしいです。 まず、「子孫繁栄」と「生産」は対立する概念でも何でもありません。 子孫繁栄のための経済活動が必要で、そのために社会は「生産」に第一の意義を見出しているともいえます。 だから逆に子孫繁栄に貢献しない人間に圧力がかかる、とも考えられるわけです。 この辺はどうとでも言えます。 人間の「当たり前」が歴史的に作られてきた偶然にすぎない、というのは人文系の学問の基本ではありませんか? また、資本主義社会の中で制度的に「自殺」が用意されているように言われていますが… 「自殺」自体は現在の資本主義が成立する以前からあったはずです。 お金が無いから、生きていけないから死ぬ。 自殺の理由はそれだけではありません。 内面的な辛さが原因の場合もあります。 「辛いことばかりなのに生きていて何の意味がある。どうせ死んでしまうのだからすべては無駄ではないか」 こういった理由で自殺なさる人もいます。 ちなみに動物が主の保存の為に行動する、というのは俗信です。 あなたはご自分の論理に自信を持たれているようですが、その論理構成が本当に正確なのか、きちんと見つめなおす必要があるのではないでしょうか。 ロジックで全て物事をぶった切ろうとする、 それならもっと勉強してから結論を出してください。 あなたのロジックはどうにもぬるいです。 そんなことでなぜすべてをロジカルに判断できていると思えるのか… その辺りの矛盾にも気付いてもらいたいです。 個々のデータ、主張だけ見て「正誤」を判断するのではなく、 「前提を疑う」という文系学問の基本を身に着けてから結論を出してください。 参考文献を挙げておきます。 『議論のウソ』 (講談社現代新書) (新書) 小笠原 喜康 (著) ご自分の意見に自信を持つのは、せめてこれくらいは読んで「考え方」を身に着けてからにしていただきたいです。 あなたはご自分のことを「頭が悪い」と仰っていました。 そうだと思います。 それなのに、自分の考え、ロジックには自信を持たれている。 これも矛盾でしょう。 こういう矛盾に気付けない。 あなたの場合、矛盾があるから「頭が悪い」わけではないです。 「矛盾に気付くことすらできない」から頭が悪いのだと思います。 そして、そういったロジックの混乱以上に何とかして欲しいのが、「性格」です。 お話を聞いていて、私は当初あなたが内向的な人なのか、と思っていました。 「近いうちに必ず死ぬ」という言葉に心を揺さぶられてしまった、という側面もあります。 ですが、おそらくそれは私の見誤りだったと思います。 (勝手な素人の思い込みで発言したのは私の過失でした) なぜなら回答に寄せられた「お礼」の内容を見ると、 あなたは「内面的な価値」を否定されるような発言を繰り返しておられるからです。 >そして、「努力なきものには幸せはない」と思っています。 >五体満足に産んでもらいながら、自分勝手に病気になり、そして悪い症状が出てくるだかなんだか >知らないけど努力から逃げている自分が最低だと思うのです。 >努力していないのだから、もちろん幸せを願ってよいはずがありません。 あなたと同じような形で病気になっている人に対して失礼だと思います。 「自分勝手」で心の病になる人などいません。 これでは努力できない欝の人に対して「あなたが不幸なのは当然だ」といっているのも同じです。 >自分を若くてモテていた自分に戻したくて、なんとか自分の価値を見>出そうとしていたのですが、自分の価値は0以下だという思考になっ>てからは、その気も起きなくなりました。 これもそうです。 若くなく、もてない人は無価値だ。 逆説的に考えればそう言っているのと同じです。 >生活保護を受けることやホームレス生活についての気持ちですが、「人様の税金を頂いたり、警 >察の手を煩わせてまで生きていようとは思わない」が正直な気持ちです。公務員や政治家の方は >『仕事』をし、それに見合う対価をもらっているわけですから、これには当てはまりません。 >私のように生産性のない人間に当てはまることだと思っています。 生活保護や、ホームレスの人たちは生きている価値が無い、と仰っているように聞こえます。 あなたは、お金を稼いでいる人に対しては申し訳なさで一杯のようですが、そうで無い人たちに対してはどうですか? 私は感単にニートの気持ち、心の病の人の気持ちを同じ立場であるから分かってくれていると思い込んでいましたが… あなたは追い詰められておられるようですが、いまだに、 「人は、何らかの外面的価値がある限りにおいて、○○してよい」 こういう考え方に結局は賛成なのですね。 それから、 >私はこの質問の締め切り後、良回答をどなたかにつけるのですが、その基準をご回答の内容では >なく、字数の多さで決めたいと思っています。 >どのご回答も私にとってはありがたいものなので、良回答は決められません。字数という私のた >めに使って頂いた時間に対しての敬意を表したいと思っています。 そんな基準で判断されて、たとえ短くとも真心を込めて書いた人たちがいい感じがすると思いますか? 私は長い文章をあなたのことを思って書いてきましたが、仰られているような基準で「敬意」を表してもらって少しも嬉しくありません。 あなたの発言を聞いて、むしろ虚しくなりました。 やはり外面的な基準だけで序列をつけ、相手の気持ちを考えていない。 ふつう、人の気持ちを考える人は「私が一番嬉しかった回答」とかそういった理由で評価されることを望むはずです。 選べないなら「選べない」といいます。 あなたという人間存在を心配に思ってあなたの言葉に答えた人たちに、あなたのやり方は全く敬意を表すことになっていない。 結局、あなたの発言は、 「役に立たない人は死ねばいいのに」 というメッセージになっています。 結局、ご自分で仰られるように、あなたは性格が悪いのだと思います。 ですがそれは「矛盾している」からではありません。 「人の気持ちが分からない」からです。 >余計なお世話ですが、tatata026さんは「人生これからだ。やり直しはいつだってできる」と思う >ことができたでしょうか? >大変素敵な発想ですね。 いちいちこのように皮肉にも取れる書き込みをしていますよね? ほかにもちらほら見受けられます。 心配してくれている人に対してこういう書き込みを平気でする。 「感謝している」と言いながらも、こういうことをしておいてご自分の発言と行動、その嫌らしさに気付かない。 嫌味が言いたいなら「感謝している」などと言わない方がまだましです。 わたしの回答に対するお礼でもそうです。 わたしはあなたの切迫した書き込みを読み、心配してあなたに何とか承認を与えようとしたわけです。 あなたが、 「外面的な価値を喪失してしまったので、生きている価値がなくなった」 という主旨の発言をしているのを聞いて、あなたの主張しておられるロジック、あなたが考えられたことに承認を与え(苦しんでいるあなたが思われていることですから、「正誤」は置いておいてもまず認めて差し上げたかった)、その上で、 「外面的な価値だけでひとは生きているのではない」 と伝えたかったわけです。 そうすれば行き詰まったあなたに何か新しい見方を提供できるかも知れないと思っていた。 (まあ、思いあがりですが) 「こころ」にもっと注目して欲しかったです。 それなのにお礼の中では、「こころ」の話をした、そのことは無視して、 ご自分が、「男女関係」「職場」で「外面的な価値」に根ざして満足感を得られたことをアピールしておられる。 >結婚生活自体はあまり順調ではありませんでしたが、でも、仕事以外は何をするのも一緒で本当 >に仲良しだったのですよ・・・。恵まれた結婚生活ではなかったでしょうか。 ご主人との結婚生活についても「物質的」「外面的」な要素ばかりあげられて、「心のふれあい」 「内面において平等でコミュニケーションが取れていたか」そういった、ことが無視されています。 (「夢」というのも、それが「仕事」などの外面的なものであれば、外面的な要素といえるでしょう) それにあわせて、更に「学校でした勉強の内容」など無意味だ、と捉えられるような発言をする。 文系の学問をそれなりに真剣にやってきたと言っている私にたいして、 >20歳で結婚したのではなく、普通に卒業したのです。 >文系学部って、出席などなんとかなってしまうものでしょ? こういう言葉を平気で吐ける。 「お前の言っていることなど、とっくにわかっている」 そういう皮肉として受け止めました。 そして、自分が「調子が良かった」頃の話をとうとうとして見せるわけです。 >就職するにあたり、在籍学部など採用には何も関係のないことを知りました。 >どれだけ集中して努力して勉強し有名大学に入ったのか、また学生時代にどのような経験をし、 >それについて何を考え実践したのかがあらゆる企業において選考基準だったと思います。 こうやってあなたはご自分が築きかけたキャリアに自信を持っておられる、それがすべてだと思われていることを表明された。 その上で「学問」を軽んじる発言を私に対してすることの意味を考えてください。 「何かを真剣に考えたり、感じたりすることは無価値だ。 実利のある体験、経験しか意味は無い」 そういわんばかりの発言です。 回答を寄せた身からすれば、とても感謝されているようには思えません。 むしろ、 「お前の回答は無意味だ。リアルの充実こそが人生の価値の全てだ」 そういわれているように聞こえます。 (逆に考えれば、あなたのこういう発想が、今現在のあなたの精神的苦痛の元になっているといえるのではないでしょうか?) ただ、よく分かったのは、あなたが欲しいのは「昔の輝いていた自分」に戻る方法であって、別の見方、新しい生き方を見つけることではない、ということです。 若い頃は調子付いていた、とご自分のことを反省なさっているようですが、それは本当に反省ですか? 結果的に、あなたは人に相談しているように見えながら、実はそうではないように見える。 単に調子の良かったあの頃に戻りたいと「無いものねだり」をしているように思えます。 すくなくとも、あなたの「こころ」を気遣って声をかけた人たちに対して、上に上げたような言葉をかけるということは、私が説明したような機能を持つということを覚えて置いてください。 あなたは、「死ぬ前に人のために何かしたい」そう仰っておられましたが、こちらの「心」「内面」を見ないような人に私は助けてもらいたくなどありません。 ですから以前、 「mochakonaさんと仲良くしたい」 そう発言したことは撤回させていただきたいと思います。 最後に、尋ねられていたあなたの結婚生活についてお答えして終わります。 以前に書いたことの繰り返しになりますが、 妻からの求めを拒絶してセックスレスにし、風俗通いをする夫。 子供を産みたいという普通の感情を「権利と義務」、しかも一方的に「妻の権利」だと言い切って 、 「家事をするまでは子供を産むことをゆるさない」 と言える夫。 (正直、最初の段階からあなたの話を聞いて、いつでも離婚できるように子供を作らなかった、夫はそう考えていたのでは…と疑ってしまいました) こうした要素を見て、「恵まれた結婚生活」とは普通思いません。 少なくとも私はそうです。 確かに金銭、物質的な基盤は必要でしょう。 ですが、だからといって「心」が欠落していいということにはなりません。 金や物、具体的な庇護を与えるだけが相手に対する信頼ややさしさでは無いでしょう? もしそうだというなら、ここでみなさんがあなたにかけられている「善意」や「優しさ」についても「無駄だ」とあなたが考えていることになります。 少なくとも私は、自分が抱いた思いやりを 「役に立つから意味がある」 などと評価してもらいたいとは思っていません。 文字数・消費した時間で全て計量しようというあなたですから、「相手がどういう思いで書いたのか」などは、全く眼中にないのかもしれませんが。 死ぬも生きるも、最終的には好きになさればよいと思います。 あなたのお礼の内容は、 「私の意見など聞きたくない」 という拒絶のメッセージとしてこちらに届いたので。 あなたが少しでも「人に迷惑をかけたくない、嫌な思いをさせたくない」というのであれば、この回答にお礼はつけないでください。 あなたのような人とはこれ以上話をしたくないし、私という存在をこれ以上否定されるのにも我慢が出来ません。 それでは。

mochakona
質問者

補足

お礼はしないで欲しいとのことなので、補足にて失礼します。 私がangerTさんを怒らせたように、母の言葉も一生懸命考えて発し、本心はそう思っていると事実を話したことによる私の受け取り方次第だったのかもしれませんね。 私、学術的な話をしようとは思っていませんでした。 先にも書いたように興味のある授業以外は遊んでいましたから。 単純に私のこだわりからくる「自分だけの哲学」です。 何の裏付けもない理屈です。 その「自分だけの哲学」を話すことによって傷つく人がいることに気づきました。 自分の質問ページだからと言って、そう思っているということを素直に話しすぎた気がしました。 そこに気づかせて頂いたことは大変感謝致します。 でも、一方で本来は私が「内向的」な性格ではなかったことに対して感情的になっている印象も受けました。 skypeなどで連絡を取ろうとまで考えていらしたのですから、男性としての心理なのでしょうか・・・。 それとも、若い頃調子に乗っていた人間が生理的にお嫌いですか?。 「内向的」の対義語は「社交的」ということでしょうか? よくわかりませんが、そういったタイプの人間が精神的な病になることはありえない、もしくは精神的な病になったからには「内向的」であるべきというようにもとれました。 ある意味では過去に戻りたいことも事実です。 しかし、それは調子に乗っていた自分ではなく、病気ではない自分です。 夢を持つことができたり、毎日笑顔でいられた自分です。 でも、夢や笑顔はもう取り戻すことはできないかなと思っています。 何の根拠もありません。直感です。 また、他の方へのご回答も全て「嫌味」と取られているようですが、私はウソが嫌いなので、ウソは言いません。 「○○さんのおっしゃるように思えたら素敵なことだと私は思います。(今の私にはできないけれど)」という意味です。 他の方に誤解を与えるではないですか・・・。 どうしてこの話の中に他の方へのことが出てくるのでしょう・・・。 このままangerTさんとお話させて頂いても、ただの言い争いになってしまう気がします。 今までのご回答も”同情”と伺うことができたので、「同情して頂いてありがとうございました」という主旨のお礼しかできないと思いますので、お返事できないと思います。 こちらにて失礼致します。 もちろん、こちらに返答は必要ありません。 長いこと付き合って頂き、ありがとうございました。

noname#86130
noname#86130
回答No.18

話を元に戻しましょう。。。母からの一言で絶望してしまった。そんな人はこの世にたくさんいます。私もそうです。許しましょう。気にしないでおきましょう。この人はこういう人だ、人の気持ちが解らない可愛そうな人だと哀れみましょう。もしくは、はっきりと、「こういう言い方が嫌なんだ。」と言いましょう。 大丈夫ですよ。^^あまり深く考えないで、今できることからはじめましょう。 死について考えることは、生きていることを実感するのに良いことです。死んだら、楽。生きているのは辛い。それが、神が与えた試練だからです。私達は、何度も生まれ変わり前世で成し遂げられなっかったことを、魂の成長のために生かされているのです。死は、他人に迷惑がかかります。自殺は、神に認められません。いけないことです。死は神に選ばれし者に与えられます。聖書はお読みになったことはありますか? >キリスト・イエスの使徒パウロから、「キリスト・イエスは、罪人(つみびと)を救うためにこの世に来て下さった」という言葉は、確実で、そのまま受け入れるのに足るものである。私は、その罪人のかしらなのである。しかし、わたしが、あわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まず、わたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠の命を受ける者の模範となるためである。 この世にいるすべてのひとは「罪人」なのです。完全な人間はいません。ですから、ある程度ひとに迷惑をかけてしまうことは仕方ありません。人に迷惑をかけようとしてかけたのではない。それは、許されるべきこと。 それから、私が、精神をたてなおしたのは、相田みつを先生の「にんげんだもの」 という本です。七転び八起きですよ^^どんなに辛くともこの世に生を受けたのだから、嫌でも生きていかねばなりません。 それから、「ヒトラーのはじめたゲーム」「100万回生きたねこ」 トルストイ「人はなんで生きるか」       「イワンのばか」       「愛あるところに神あり」 参考になればよいのですが。。。 >精神障害者雇用に一番理解がないのは医療機関=間違いです。 私の通っている病院では職業訓練をしています。 >矛盾だらけでまともじゃない=普通です。 先に話したとおり、人は皆、完全ではないからです。人は、間違って矛盾することを口にしてしまうこともあるかもしれません。しかし、許してあげましょう。自分も許してもらうためです。白黒はっきりさせなくて良いのです。時に、グレーでいいこともあります。 >失った人、もしくは、失いそうな人だけムキになっている?特別な感情があるような気がします。   去るもの追わず、来る者拒まずでいいじゃないですか? それから、文字数で点をつける=おかしいです。 自分が良いと思った回答につけるものですよ?そうやって、他者の意見を聞き、尊重するのも大事ですが、自分を見失っているのではないでしょうか?今の、あなたの状態で、判断が、難しいようでしたら、点数などつけなくともよいのです。点数をつけずに締め切ってもいいのです。 ここでの回答に振り回されずに、どうか、精神科でカウンセリングを受けてみてください。私も、人はあまり信用しないたちですが、カウンセリングは、患者の話を聞くだけです。話しているうちに患者自身で「きずき」を見出すのです。ですから、カウンセリングの言っていることを聞かねばならないという趣旨ではありません。どうか、勘違いをなさらぬよう。。。 医師は、薬を処方するだけかもしれませんが、その薬で、もしかしたら、副作用でねむくなり、考えをストップさせられますが、落ちついて物事を考えられるようになります。 あなたは、ここでの回答に丁寧に補足、お礼を書かれていますが、とてもおつかれでしょう?あなたは、とてもまじめで、賢く、人に、よく気をつかう。。。そういう、いいひとが、こういった病気になりやすいんです。大丈夫ですよ。あなたは、まだやることがあるから、生かされているのです。魂を磨くのも今はちょっと、休みましょう。自転車で通りすきるときずかない。公園でひと休みすると、こんなところに花が咲いてる。蝶が飛んでるときずく。そういうふうに、休むと見えてくるものがあるかと思いますよ。^^

mochakona
質問者

お礼

言い方が悪かったらごめんなさい。 率直に思ったことを書きます。 私は宗教家の話を聞くのは好きではありません。 結局、人の話。考え、行動するのは自分という考えがあるからで、押し付けがましく感じるからです。 でも、やはり多くの人に信仰されている人の言葉ですね。 人に救いを与えますね。 ただ、私にはそういった素敵な言葉を自分にどう結びつけていけば良いのか全くわかりません。 能力がないのでしょうか?? カウンセリングは以前受けていて、人に自分の恥部を話すことにより、自分に対しての嫌悪感しか残りませんでした。 カウンセラーの前でソファーに横になって話すことを強要されたりもして、なぜ人と話すのにみっともない格好をさせられなければならないのかとも思いました。 私はどうやら人に話すことで楽になれるタイプではないようです。 どうして、この掲示板に質問をしたのかも全くわからなくなってきてしまいました。 多分、心構えではなく術を質問しようという意図があったのだと思いますが、思い出せません。 ありがとうございました。

回答No.17

人間、どん底に落ちるまで落ちていくのが分かっていても捕まる場所はありません。本当のどん底にきて初めて、登るしかない階段を見つけます。それまでは必要な過程だと私は今思います。 今どうすればよいかわからない時はとりあえず生きるしかない。 今日一日生きただけで満点です。 あくまでも参考ですが私の場合そうやって乗り越えました。 20年軟禁虐待に遭い、生きている意味など考える暇もなくどうすれば助かるか、逃げられるかだけを考え続けた日々がありました。 人に何かを求めず、自分が人に何もできないと認め、それでもただ耐えて生きていく先に答えがやがて見つかるのではないでしょうか。 生きていくことに自信がなければ死ぬのであれば、大概の人間は死を選ぶ結果を感じる瞬間があります。私も重度のうつ病なので質問者さんに感化されますが、親が肯定してくれるから意味のある人間ではありません。配偶者が肯定してくれるから生きている意味があるのではありません。誰が否定しようかあなたが今を懸命に生き延びている、今日一日が意味があるのではないでしょうか。 私はこの文面に出会ってよかったと思うひとりです。 それは質問者さんにとって無意味なことかもしれませんが、そう感じる人間がいることもご報告したくレスポンスしました。 今は精神病の兄弟が闘病中で、介護の毎日ですが私は兄弟が生きていてくれるだけで幸せです。今年初めまで元気だった兄弟は今涎を垂らし、筋肉は弛緩し幻聴と妄想の世界でなかなかこちらに戻ってきてはくれませんが、私を憶えていてくれています。私はそれだけで幸せです。 失ったものの数を数えて生きるのは苦しくないですか。 自分に与えられている見過ごして暮らしているものをノートに書き出してみてはいかがでしょうか。あなたが今見えること、食事、聞こえる音、水の感触すべてをどう感じるか自分次第かもしれませんね。

mochakona
質問者

お礼

私はまだ、どん底ではないのでしょうね。 生活のできるアパートがあり、かわいいペットがいる。 このままの生活をしていると2ヵ月後には両方失うことになりそうですが・・・。 私が生きているだけで幸せと思ってくれる人がいるかというと疑問です。 非常にさもしいですが、お金と結びつけてしまうと、このまま私がきちんと生活のできる仕事をみつけられなかったとき、お金をあげてでも生きていて欲しいと思ってくれる人はいないです。 それだけ周りも自分の生活に必死ですからね。 ということは、どうせ餓死するなら、違う方法で死んでもいいじゃない?という発想に至りました。 mokuren_maさんの回答を見て思いました。 私は今、何を食べてもおいしくありません。 昔おいしくて良く通ったお店でゴハンを食べてもおいしくありません。 唯一ビールとタバコはおいしいまでいかなくても、普通には感じるので 口にします。 食べ物は食べないと明日死ぬかもしれないと思い一応食べている状態です。 聞こえる音は耳障りなことが多く、昔好きだった音楽さえ耳障りに感じたりします。 地球にある自然物に対しても、感情がわかなくなっています。 そういう人間って、意味がないと更に強く思います。 大変な中、ご回答ありがとうございました。

  • angerT
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回答No.16

以前にも投稿したangerTです。 下の自分の記事は問題がある無いようということで編集されました。 mochakonaさんにも分かるように説明すると、 私の書き込みが削除されたのは、スカイプやSNSで連絡をとってお話して友達になりませんか、という主旨だったからです。 恥を忍んで私の個人的な動機ばかりかきましたが、本来の動機は、angerTさんになんとか私が承認を与えようとしている、それをわかってもらいたかったからです。 ただ、文字だけのコミュニケーションではなかな相互承認を実感することが出来ません。 あと、こうしろ、ああしろ安全なところから言っても多分意味が無い。 ですから敢えてルールを犯して書いたのですが… ルール違反で迷惑をお掛けしました。 こちらの責任で、過失です。 申し訳ありませんでした。 それでもなお書き込ませてください。 mochakonaさんはきちんとされているから、苦しんでおられるんです。 mochakonaさんがずっといままで考えてこられて、しかもここの書き込みをずっと読まれた後で、まだ死のうという決意が揺るがないわけですから、私にはロジックでmochakonaさんを論破すれば考えが変わって前向きになると思えません。 mochakonaさんにとって、また私にとって、おそらくロジックの正しさなどに何の意味も無いのでしょう。 正しいこと、納得できることが生きる気力と結びついているとは限らないのです。 ロジックの変化で前向きになれたとしたら、おそらくそれは生きている実感をプラスの側に感じ取れるようになった何かの結果に過ぎ無いと思います。 また、ロジックで無理やり説得されて、抑圧が増したという症例はあっても、回復したという話は聞いたことが無いです。 ただ、それでも私自身はロジックを語らせてもらいます。 こうすることしか出来ないので。 申し訳ないです。 mochakonaさんもいろいろロジカルなことを語られておられましたよね? >私は「人間は他の動物が子孫繁栄すれば良いのとは違い、何かを生産することを求められている >」。だから人間以外の動物は『自殺』をすることはできない。生産できない人間のために『自殺 >』という手段がある」と考えています。 mochakonaさんが仰っていることは全面的に正しいと思います。 私は大学院まで学校で勉強し、そらからもそれなりに本を読んでmochakonaさんと同様の見解にたどり着きました。 mochakonaさんはおそらく20歳で結婚されているので、専門的に学問的な探求はなされていないと思います。 全部自分ひとりで考え、こうした世界観というか真実にたどり着いたのでしょう。 大変だったと思います。 すごいことです。 そして、苦しんでおられるmochakonaさんには申し訳ないのですが嬉しかったです。 なぜかというと、mochakonaさんが私と同じ考えを持ち、それをこうして表明してくれたからです。 これは「現実的な判断をしない人が素敵だ」と言っているのではありません。 mochakonaさんは「点数をつける」という非常に現実的な判断をされている。 ですが同時にそれに対して罪悪感もあって、本当は自分の利益のことだけ考えていれば苦しくも無いはずなのに、自分が迷惑をかける存在だと自己卑下されている。 そういう矛盾を併せ持った存在だから、わたしはあなたを素敵だと感じるのです。 ただ、気になったのは、mochakonaさんはご自分のことを「矛盾だらけでまともではない」と仰っていました。 実際は、一般の人も矛盾した感情を抱いています。 見ていれば分かるのですが、行動や発言に一貫性がありません。 ですが、彼らはそのことを平気で無視できる能力に長けています。 「実は無視している」という事実すら認識していない場合が多いです。 けして矛盾なく思考しているわけではないのです。 あの人たちは自分に都合よく、単に忘れっぽいだけです。 >「母だって父と結婚して専業主婦になっただけで、仕事で稼ぐ能力もないのに、子供を産み、妻という立場だけで社会的地位を与えられて生きていけているだけ」 全くその通りです。 団塊の世代は、時代に恵まれ運が良かっただけです。 決められてレールの上に乗っかれば、将来は保証されていた。 だから苦労も厭わず働けたわけです。 しかし、今の私たちにはそんな保証は与えられることはまずありません。 いかなるシークエンスにおいても「流動化」がおきているからです。 それなのに、かつてと同等か、それ以上の苦労を要求されている。 働く気になれるはずもありません。 あなたが仰っていることはどれも正しい。 まともなことばかりです。 何も否定しなくてよいと思います。 こうしたまともなことに、「非常識」というレッテルを貼り、「精神の異常」というタグをつけて囲い込んでしまうのが現代社会です。 社会復帰などといえば聞こえはいいですが、薬を飲ませる、または深く考えないようにセラピーで教育しなおし、再び企業、および近代国家に富をかき集めてくる為の尖兵としてふたたび送り出す。 こう捉えることも可能で、おそらく的外れではない。 少なくともそうした側面があるのは事実です。 精神を病むのは未熟だからではありません。 まともだからです。 誤解を恐れず、荒っぽくいってしまえば、 まともな人が不当な抑圧を受け、社会生活を送る為に無理にそれを見ないようにすると発生します。 まともなひとがおかしなものにむりやりあわせようとする、だから納得できないねじれのようなものに押しつぶされそうになるのです。 自分はこれから先も「就職」という形で働く気はありません。 働く=「就職」という観念はここ20年ほどでできたものです。 普遍的な真理でもなんでもない。 しかも、それが上手く機能していたときはいいですが、金融破たん以降、機能不全に見舞われている。 この不況は多分もう終わりません。 細々とやれば、親が生きている間は年金のおこぼれで自分は暮らしていけると思います。 なくなった後は遺産でなんとか食いつないでいけるでしょう。 問題は私自身にそうしてまで生きる気力があるか、ということの方だと思います。 自分はニートを新たなライフスタイルと捉え、このまま何とかやっていこうと考えています。 死にたくても、臆病な自分には死ぬ勇気がなかなか出せないからです。 ちなみに、こういう発言をする人間を今の社会は「まとも」とはみなしません。 ですから私は社会によって「私の本心」に対して承認を得ようとはもはや思いません。 誰か一人相手がいればいいです。 つまり、私にとってmochakonaさんの方が社会や大衆より「まとも」だということです。 ニコニコ動画に白田秀彰さんとういう方が「ロージナ茶会チャンネル パイロット版」という動画をあげておられます。 法政大学で準教授をなさっている方です。 生産についての人々の信念がmochakonaさんの思われているようなことだったと学術的に解説してくれています。 それを見て私も自分の考えの正しさを確信しました。 (白田先生はその上でニートというライフスタイルを提案しておられるのですが…。) ぜひ一度見ていただけると有難いです。 ただ、mochakonaさんの考えは一部少し偏りがあると思います。 こうした「生産」第一の人間観が波及して行ったのは、産業革命以降のことだということです。 せいぜい200年くらいしか歴史は無い、普遍的な人間観でもなんでもないということです。 日本で確立されたのはもっと最近で、おそらく明治以降、もっと言えば高度成長期以降です。 もっともこれは私たちがそうした「生産機械」としての自己像を簡単に捨てられるということではありません。 そうしたコンプレックスは潜在化に潜んで私たちを脅かします。 ですから、mochakonaさんが自己卑下なさる感情を否定するものではありません。 私だって、資料を集めて「ニートでOK」と結論付けたとして、自分でいくら思ったところで、自分自身を安心させられません。 それでも何かの力になれば、と思い、、こうして書かせていただきました。 生きる気力ですが… 「頑張れ、前向きになれ」そういう言葉は、他人から今まで沢山かけられたと思います mochakonaさんは、それでもなお、「数年後までには必ず死ぬ」という決意の書き込みをここになされて訳ですよね。 これ以上もう頑張れないのでしょう。 私もそうです。 どうにか、こうにか日々をやり過ごすことをしている。 それで精一杯です。 数年間生きてみようと決意されたmochakonaさんは、私にとってはかなり前向きになられていると思えます。 私自身も、自分自身の身の回りのこと、夢、などにむりやり生きる意味を見出そうとしてなんとか毎日を過ごしているようなものです。 頼りない夢、ロジックばかりですが。 自分たちは生まれて来たかったわけでも無いのに、何で生まれてこなくてはならなかったんでしょうね。 苦しいだけなのに。 mochakonaさんにとって、他人は脅威にしか感じられないのだと思います。 少なくとも「脅威を与えてくるもの」という側面が強いのではないでしょうか? 実際、mochakonaさんは他人から脅威を与えられえ続けてきたのだと思います。 だからそう感じるのも無理は無いと思います。 他者には二つの側面があって、「エロス的他者」と「脅威としての他者」という二つです。 「エロス的他者」というのは承認を与えてくれ、それによって生きている実感を与えてくれる存在です。 ですが、mochakonaさんには「エロス的他者」というのがいままで周囲におられなかったのだと思います。 母親の方からしてそうですね。 嫌味をいちいち言って、mochakonaさんの内面、実存をぐらつかせているわけですから、本来子供にとって「エロス的他者」であるはずの親が「脅威としての他者」として存在しているということです。 私も親から批判ばかりされて育ってきたので分かります。 ですから、mochakonaさんは「他人とは自分に脅威を与えるものである」と「実感」してしまっている。 「実感」を小理屈で覆すことは不可能です。 いろいろな例を見れば分かりますし、私自身が10年以上小理屈の研究をしてきているわけです。 それでも虚しさはなくならないのです。 必要なのは本当はロジックでも励ましでもなく、他者からの承認です。 ただ、がむしゃらにひとと関わろうとしても良くないと思います。 ユングのタイプ論では「内向」「外向」という性格の分けられ方がされています。 人数の比率は欧米ではだいたい3:7くらいの比率だといわれています。 まあ、これは確かなデータではなく、ユング本人の感触なのですが。 重要なのは基本的に「内向」「外向」はお互いに理解しあえないということです。 「内向」は内面的、非物質的なもので承認を得ようとします。 「外向」は外面的、物質的なものに基づいて承認を得たり、他人に与えようとします。 だから基本的にこの二者は理解しあえないのです。 とにかく、打って出ても、当たって砕ける確率がすごく高いということです。 もしくは本来依存すべきで無い違うタイプ(おそらく外向型)に依存してしまう危険性もあります。 そうなると元夫さんの時と同じように症状が悪化してしまうことになる可能性があります。 状態が悪い現在、正直、当たって砕けるのはお勧めできません。 必要なのは他者から認められているという実感です。 リアルでなんとか理解者を探すのであれば、近隣でそういったコミュニティを探されるといいかもしれません。 鬱病者やパニックディスオーダーの互助会などがありませんか? あと精神科医を受診するのを止められたそうですが、臨床心理士のカウンセリングを受けられたことはありますか? 精神科医というのは医療モデルにのっとって神経症などを「異常」とみなして「治療」しようとします。 つまり、患者を壊れた人間と考えるのです。 (ですから、根本的に患者が抱えている問題の解決はそのままに薬だけで抑えて社会に出してしまえばよい、と考える場合すらあります) 臨床心理士の場合はそれとは異なり、今までの状態が、次のステージへ変身する過程だと考えます。 神経症の患者(クライエントと呼びます)は、どこかが壊れている人間とはみなしません。 つまりカウンセラーが直すわけではないのです。 クライエントは、すでに自分で人格の完成へと向かっているわけですから、それを見守るのがカウンセラーの仕事になります。 mochakonaさんの場合、おそらく、親御さんとの関係、夫の方との関係に代表される対人関係において、自分が今まで会ったあり方を変化させようとしているのではないでしょうか。 今までのあり方では機能不全を起こしていることに「魂」が気がついているというか… ただ、ふさわしい表現方法がなかったり、再び周囲から抑圧を受けたりするので、mochakonaさんは変身を完遂させようと戦っておられる…そんな感じだと思います。 mochakonaさんはいろいろなことをきちんと考えられています。 きちんと考えれば考えるほどどうしようもなくなるのです。 元気にやっている人を見てmochakonaさんは劣等感を抱かれているようです。 元気にやれている方から、 「自分は元気だから、あなたも元気出しなさいよ」 などといわれたら、私だったらいやな感じしか残りません。 自分の苦しみを見てもらえず、「頑張れ」って言われているのと同じだからです。 うつ病の人に「頑張れ」は禁句です。 複雑な思考をし、精神をすり減らし、疑問をねじ伏せようと、すでに頑張っているからです。 だからおかしくもなんとも無いと思います。 私が参考にした文献をあげておきます。 どれも難しいものではないので、もしよろしければ読んでいただけると嬉しいです。 参考になると思うので。 就職や手に職のためのマニュアルで疲れ切っている人に無理を言うようで気が引けるのですが… 『毒になる親』スーザン・フォワード (講談社+α文庫) 『子どものトラウマ』西澤哲(講談社現代新書) 『〈子どもの虐待〉を考える』玉井邦夫 (講談社現代新書) 『ユングの性格分析』秋山さと子 (講談社現代新書) 『心のメッセージを聴く 実感が語る心理学』池見陽 (講談社現代新書) 『ユング派カウンセリング入門』大住誠(ちくま新書) 『不幸にする親』ダン・ニューハース(講談社) 『感じない子ども こころを扱えない大人』袰岩奈々(ほろいわ なな)(集英社新書) それで、こうしてここまで書いてきたわけですが… 私はリスクをたいして犯さずに口先だけの話をしています。 話したり、聞くことしか出来ないのが実情です。 だから私の言葉、思っていることは、本当に追い詰められている人の心には届かないかもしれない。 私だって、口先だけ、言葉だけの説得は信用できませんから。 ですから、私に対してそう思われたとしてもmochakonaさんは全くおかしくも悪くもなく、むしろまとも、ということです。 それでもご自分を責められてしまうのなら、それはmochakonaさんの心が清い証拠です。 悪いことではありません。 すくなくとも、ニートの、働く気がどうしてもしない、という気持ちをわかってくれる、私にとってはmochakonaさんは大変貴重な、価値のある存在です。 既に死ぬことを決意されているmochakonaさんにとってこの回答は多分的外れだと思います。 お許しください。 それでは。

mochakona
質問者

補足

>mochakonaさんはおそらく20歳で結婚されているので 堅苦しい回答や補足ばかりしていたので、こちらには私のざっくばらんに経歴を補足いたします。 私は高校生時代に心理学に興味を持ちました。 その当時好きだった(後にただの憧れだと気づいた)年上の男性が心理学科を卒業したからという単純な理由です。 この男性から「心理学を学びたいなら、まずはフロイトとユングの本を読んでみたら?」と言われました。 ユングについての翻訳本はどれも読みやすいもので、高校生ながら理解できていた気でいました。しかし、フロイトについての翻訳本は難しかった。 なので、フロイトも理解できなくては心理学は学べないと思い、小此木啓吾さんのフロイトの訳本を読み、これもまた全くわからなかったのですが、彼の言う「モラトリアム」という現象?について興味を持ちました。 では心理学科を受験しようと思っていたときに、その男性から「心理学部に入り、それを役立てて就職しようとすると臨床心理士やカウンセラーということになるよ」と聞きました。 私は幼い頃から夢があったので、心理学部ではそれは叶わないと思ったので、夢の実現のために社会学部に入学しました。 しかし、勤勉学生ではなく毎日が遊びに楽しくて、アルバイトで稼いでは遊びほうけていました。 心理学の興味は単純に空き時間に本を読むだけになりました。 20歳で結婚したのではなく、普通に卒業したのです。 文系学部って、出席などなんとかなってしまうものでしょ? 就職するにあたり、在籍学部など採用には何も関係のないことを知りました。 どれだけ集中して努力して勉強し有名大学に入ったのか、また学生時代にどのような経験をし、それについて何を考え実践したのかがあらゆる企業において選考基準だったと思います。 私はこれらの基準において、条件を満たしているとは言えない学生生活でしたが、幼い頃からの夢であった職種に運よく就職することができました。 私の就職の頃も今ほど厳しくはないですが、いわゆるバブル後で、人は余っていました。 そんな中で採用してもらいすごくうれしかったですよ。夢と希望にあふれていました。 就職してからも、諸先輩方に男女問わず本当にかわいがって頂き、充実感もありました。 元夫は職場の先輩です。入社後すぐ付き合い始めました。 それでも告白してくれる同僚や先輩がいました。 まさに「女」な時期。この現象は大学生時代からずっとで、本当に調子に乗って生きていました。 しかし、私が職場でかわいがってもらい人が集まっていたために「仕事ができる」?もしくは「頼みやすい」と思われ始め、自分の担当ではない仕事も「手伝って」と頼まれることが増えていき、自分の力量とのギャップを感じ始めた頃・・・。 1ヶ月の睡眠時間がトータル30時間となりました。1日1時間です。 全く眠れない日もありました。一番眠れた日で1日3時間くらいです。 人に頼まれた仕事を断らない(それに伴う要領の良さがない)&呼ばれるので飲み会に参加のためです。 そんなある日倒れて救急車です。 元夫である当時の彼、それに両親が「これ以上この仕事を続けることは望まない」というのが痛いほど伝わりました。 自分の力量不足も感じていたので、あっさりとその仕事を辞めてしまいました。 そして病発症→結婚です。 30歳近くなった頃冗談まじりに「私がまた一から復活したらどう思います?」って当時の先輩に言ったら「そんな歳いってる奴、やりにくくていらないわあ」と言われました。 新人ならば、若い人が持っているフットワークが本当に必要とされる仕事なのです。 また同僚も役職があがっていますしね、やりにくいのです。 私の夫は先輩だと書きましたが、同い年です。 大学中退なので、職場では半年先輩です。 私は自分の夢の続きを夫に託しました。本当に仕事のできる人だったのです。 そんな私たちだったので、結婚式でも職場の方から大変祝福してもらいました。 元夫は結婚後も順調に出世。 私のしていた(元夫のしている)仕事は昇進すると信じられないようなお給料をもらえる仕事なので、稼ぎも十分で、それを私に妻として管理させてくれていました。 自分の夢の続きを見せてくれ、十分な収入もあったので、先の補足の「義務と権利」は私にとってもどこか納得するものだったのですよ。 計算高い私の友達なんて、「セックスレスで、旦那も仕事忙しくてあんまり家にいないじゃん?浮気できるじゃん。そのお給料と離婚するのはあまりにもったいないよ?」って言ってました。 でも、私の倫理観や道徳観念がジャマをして結局浮気せずに離婚したのでした。

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