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三国志 蜀の龐統について
龐統士元についての質問です。 龐統はどのようにして最期を迎えたのでしょうか? 私が調べたら、214年に馬に乗って移動中に流れ矢に当たって死んだとありました。 真・三國無双4では214年に流れ矢に当たって死んでいます。 (龐統でプレイしている場合は死なずにそのまま生き延びますが…) しかし、本を読んでみたら 213年に劉備の白馬を借りていたため、 劉備と勘違いされて矢を撃たれた…となっていました。 一体どれが正しいのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
正史では、城攻めの最中、流れ矢に当たって死んでます。 白馬うんぬんの話は三国志演義に出てくるようですが、三国志演義は千年以上後に創作された小説なので、中身を史実だと考えては間違いです。
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- deadline
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回答No.1
ラク(各隹)城包囲中に劉備と誤認されて討たれたとも流れ矢に当たったとも言われていますが、 ラク城戦は、213~214年に渡っているため、討たれた日付がはっきり分かっていません。 なので、ラク城戦中の213~214年としか、わからない・・・。
質問者
お礼
あ…文字化けしていますね。 ホウ統と書いたほうがよかったですね。 早速のご回答ありがとうございます。 やはりどっちが正しいとはきっぱり言えないのですね。 日付も曖昧なまま…なんかすっきりしないですね(笑
お礼
ご回答ありがとうございます。 流れ矢が正しいのですか? ウィキペディアでは流れ矢となってて三国志の物語では劉備と間違われて…ってのが多いんですよね。