#1です。何と! 補足があったようですね、すいません。
順にお答えしますと、
1.プラトンの写本で現存しているのは、すべて中世の写本群です。数百篇の断片がありますが、それら写本の序列を整理すると(例外もありますが)七つの親写本に遡れます。それらの共通性から、トラシュロスの四篇編集が大元だろうと推論されています。トラシュロスの真筆が残っていたら、↓の本は発売されなかったでしょうね。
同定作業について詳しくは、
・H. Gregory Snyder, "Teachers and Texts in the Ancient World: Philosophers, Jews, and Christians."
を読まれると良いでしょう。それら写本を何から筆写したのかは、もちろん推測の域を出ていませんし、誰がそれを書いたのかも同定されているものは僅かです。その中で、T写本と呼ばれるベネチアのものが他の親写本と比べて質・量ともに参照されやすい。
写本に頼るくらいですから、西欧社会に原本がなかったのは確かです。あるいは、ひょっとしたらアラビア経由で、トラシュロスの原本が入ってきたかもしれないし、そうでないかもしれない。でも、少なくともT写本は、トラシュロスが書いたものではない。
そのT写本を底本にして、他の写本からも幾篇かを織り込んで印刷出版したのが、マヌティウス版のプラトン全集です。ステファヌスは彼の知人で、マヌティウスよりは翻訳がうまかった。彼らは、知友のピコ・デラ・ミランドラを通じて、フィレンツェのメディチ家(フィチーノ)とも親交があったようです。
T写本はギリシャ語ですが、当時はアラビア貿易が盛んでしたから、アラビア語やヘブライ語の写本をどこかで参照したかもしれませんね。
2.原本があれば、それはギリシャ語のはずです。
3.マヌティウス版の原本は見たことがあります。左にギリシャ語があり、右側にラテン語で対訳が書かれている。所々、間違っています。
4.ステファヌス版も対訳です。でも、こっちのラテン語は確かです。
ところで、プラトンの羅訳でまとまった仕事が成されたのは15世紀です。それまでの、西欧社会にはプラトンの作品はほとんど知られていません。
一度、フィチーノを読んでみてください。良いですよ。うっとりします。
5.6.そうです。
以上が僕の回答です。補足はありません。以上です。
お礼
お蔭様で全ての疑問が解けました。 トラシュロス編集の目録は失われていることが判りました。また、プラトンの著作全般でいえばマヌティウスの仕事が今日もっとも信頼を得ている経緯がよく分かり、納得もできました。 因みに手元の2種類は索引番号から、どちらもステファノス版をテキストとしている模様です。なるほど「弁明」に関しては、こちらの信頼が厚い証左なのだと思います。 H. Gregory Snyderもフィチーノも、私には生涯小判で終わるでしょう。しかし、この情報は研究者志向の方や読書家が参考にしてくれると思います。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。本日22時には締め切ります。