「キャラクター」とかいうと困りますが、「登場人物」と言えば、これは、紫上以外にはないのではないかと思います。円地文子の現代語訳と大和和紀のコミック、更に、「六条のおばはん」とか書いていた田辺聖子の翻案小説(と言っても、ほぼ原作に近いですが)などが入り交じり、何か訳が分からないのです。
イメージ的には、どうしても、コミックの影響が強くなりますが、源氏が太政大臣になって権力を掌握して栄華栄耀を極めた時期には、円地文子の訳では、源氏は、でっぷり太った(とは言い過ぎですが)、堂々とした精力に満ちる「男」として出てくるので、これはコミックのイメージとはだいぶ違います。
源氏はロリコン趣味で、小柄な女性を愛したので、紫上も当然、小柄な女性なのです。明石君も小柄な女性のはずです。
紫上とはどういう人であったのか、はっきりしません。少女の頃に、源氏が笛を吹き、若紫が琴を弾くという情景がありますが、あれは、一条天皇と、その中宮(藤原道長の娘)彰子の様子を映したのだという説があります。
人物造形としては、もっとも複雑な人物というか、「物語」の登場人物の域を超えた造形だと思います。作者が自己投影していたのだと思います。六条御息所、葵上、朧月夜、明石君、玉鬘などは、いかにも、物語の登場人物として人物を設計したように見えるのですが、紫上は、かなり複雑だと思います。
単に、聡明であるとか、芸術的感性が豊かという以上に、「心の深さ」があるのです。花散里は、心が穏やかな、安らぎのある女性ですが、紫は、その深い心のなかに、情熱的な愛と、素直な優しい心と、不安定な自己の存在の悲しみを、同時に具現していた、備えていたとも思えます。
作者は、紫上に源氏の子供を産ませることをしません。紫上は、明石君の娘の姫を代わりに育てます。六条院の新年の衣装選びで、明石君は、雅やかさが強調され、紫上は、美人であることが強調されますが、よく考えると、紫上の衣装は、その六条院における立場を意味しているのであって、彼女の個性を表したのかどうか疑問です。
明石の姫君が母親から別れる時、藤式部の文章は、明石君に対し、中宮の母にささげる、最上級の敬語を使っているという指摘があります。まだ明石の姫君は童女で、将来はまったく不明であるにも拘わらずです。源氏が、明石君に雅やかな衣装を選んだのは、この延長上にあるとも思えます。
源氏物語の主要な女性のなかで、出自や、後見や、成長が不安定なのは、実は紫上なのです。兵部卿宮の脇腹の娘というのは、六条院で、三宮が出現するまでは、源氏の正室の立場にあるには、それぐらいの身分が最低必要だったからですが、「脇腹の女王」で、しかも身分に相応しい育ち方をしていません。
玉鬘の物語は、典型的な貴種流離譚で、数奇な運命に玉鬘は翻弄されますが、結局、ハッピー・エンドと一応なります。紫上は、玉鬘よりも数奇な運命だったとも言えるのですが、そういう風に見えません。それは、外面的な流離ではなく、内面の流離が紫上の人生だったからだと思います。
紫上は、源氏よりも年下ですが、姉か母親のようにも見えることがあります。源氏にとって、紫上は、娘で、妹で、恋人で、妻で、姉で、母であったことになり、紫上とは、一体、どういう人なのか、と驚くのです。
紫上は、絶望の心のなかで、それでもある平安の境地を得て、世を去ったのだと思います。紫上の心のなかに結ぼれた、愛や悲しみや、生きることの矛盾や不安は、死によって解消されなかったのであり、ここで、『宇治編』の大君や中君の物語、そして、薫の願いを断る浮舟の話のエンディングへと展開して行くのです。
これは、『源氏物語』を概説しているのではなく、結局、紫上を中心として、過去、未来のすべてのできごとが旋回しているということです。源氏を中心に置くか、紫上を中心に置くかで、『源氏物語』は違ったように見えて来るのです。源氏を中心に考えると、何故、『宇治編』が必要なのか、何故、浮舟のエピソードで、唐突に話が終わるのか、分からないのです。
数多くの女性登場人物たちは、紫上の存在に陰影を与えるために配置されたようにも思えるのです。『源氏物語』の主人公は、紫上ではないかと言えるのです。その心の深みに、星の輝く暗黒と、春の光に香る花花を持った女性でしょう。
お礼
おっしゃるとおり、必ずしも原文の人物イコール現代語訳の人物ではないので、あえてああいう質問の書き方をさせて頂きました。 与謝野晶子訳、谷崎潤一郎訳、円地文子訳、瀬戸内寂静訳、橋本治、田辺聖子におけるパロディやビジュアル化されたコミックまでさまざまですが、原典では作中人物の思いが歌で書かれているのに、小説化されたものにはセリフになっていたり、意訳されて入っていたりで、後世の人が作ったイメージが一人歩きしている部分もあるかもしれませんね。(余談ですが、田辺先生のパロディは結構おもしろかった。まるで、「こっちの方が ほんまちゃうん」っていうくらいに) 彰子が一条帝に入内したのは少女の頃(正確には何歳か失念)だったので一部モデルになっているという説は私も聞いた事があります。 作中人物の体型は大塚ひかり氏も書いてらしたような・・・。 とにかく、深く掘り下げてくださりどうもありがとうございました。