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四面楚歌
項羽は四面楚歌を聞いて、自軍の衰勢を感じたという故事があります。 1. 楚歌には楽器があったでしょうか? 2. 楚歌の歌詞とは大体どんな内容のものだったのでしょうか? 3. 項羽には味方だった楚国の歌ということだそうですが、当時の中原地域(というのでしょうか)の人にとっては周辺の人たちの歌だったでしょうか? 日本で言えば民謡みたいなものなのでしょうか?
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- publicpen
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回答No.1
お礼
ありがとう御座いました。 広い大陸ですし、どこかに当時の名残も残存しているかもしれませんね。 もしそういうものに出会えればとてもうれしいと存じます。 先般、義理の親族の慶弔のために、始めて渡航し、そこで所謂る巫祝を職とする方のお仕事に間近で同席しました。 夫君が覡かどうか知りませんが、マネジメントや進行、取次ぎをしておりました。 何か卑弥呼と男性介助者を連想しました。職としての社会的立場は高くはないようで、私の礼譲の対応に戸惑っていました。 死と葬送に関与する、(お母様らしいという)巫祝の職業集団のことは、白川静さんの孔子の出自でも出てきました。 現代も古代の民俗習俗の名残りではないかと思われるものがあちこちの国の中でも見ることができます。 今般、間近かで中国の風習とそのご職業を見たときは、まだまだいろんなものが残っているのだろうな、と存じました。 ありがとう御座いました。
補足
いやありがとう御座います。 孟嘗君の食客のなす鶏鳴狗盗にもありますが、これは鶏の鳴きまねですからね。 垓下の戦いから約六百年後あたりまでは、理解されたのですか。 「鼓吹」から太鼓と笙のご判断はとても参考になります。 雅楽をお出し頂き、映像が創造されてきます。 雅楽は遠くチベットの名残も伝わっているようですし、鶏鳴は多分連なっているのでしょうね。 古代のチベットでの修行の用具フームを聞く小さな弓をいじったことがあります。 口にくわえて弦鳴を聞くのです。 オーム、アーメン、オン、阿吽などに通じるとされています。 弦楽器もあったかもしれませんね。