• 締切済み

四面楚歌の由来

四面楚歌の由来は だいたいで書くと 楚の国の人の陣地の周りから 楚の国の歌が聞こえてきたから 自分の陣地の周りにいる味方も敵に寝返って 周りは敵だけになってもうどうしようもなくった って言う感じだっと思います。 でもなぜ、自分の周りから楚の国の歌(自分の国の歌)が 聞こえただけで、味方が敵に寝返った(降参した?)ということが 分かったのでしょうか 自分の国のことを惜しんで 周りの味方が最後に歌ったということなのでしょうか 教えて下さい

みんなの回答

回答No.3

 項羽はまるで子供の様な、思い込みの激しい性質であった、という説があります。  四方から楚の歌が聞こえてきた、というのは劉邦の計略ではなかったかと思いますが、それを聞いた項羽は「天は最早我を見放した。これだけの楚人が敵方である漢人に味方している」と早とちりしたのだと思います。  項羽は天下人を目指すあまり、地味な努力や格好悪いことを嫌って、メンタル面が弱かったようなイメージがあります。  本来自分の陣から発せられるべき歌が敵陣から聞こえてきたことで、混乱してしまったのではないでしょうか。  あるいは粘り強く戦えば持ち直す、体勢を立て直すこともできたのかも知れませんが、項羽のそうした性格がそれを許さなかった、早々に諦めてしまった、ということなのかも知れませんね。

  • misawajp
  • ベストアンサー率24% (918/3743)
回答No.2

もう少し読みこんでください 何でも ある部分だけを抜き出しては理解できません 前後のつながりがあるから意味が通じるのです その前に 戦に敗れ 敵に包囲された というようなことが書かれていませんでしたか 何でも 一部を切り出して ○× で決めようとするのは 正道ではありません  ある意図を持って誘導しようとする輩の常套手段です

  • xiao-zong
  • ベストアンサー率30% (87/290)
回答No.1

四面楚歌の語源は大体、質問者さんの理解どおりです。(少し違いがありますが・・・) 春秋時代に楚の項羽が垓下の地で漢の高祖軍に包囲された時に、夜、四方を囲んだ漢の軍中から楚の国の歌声が上がるのを耳にし、(実は漢の高祖が漢の兵士にわざと歌わせていたとは知らずに)、漢の国に降伏した兵士が歌っているのだと勘違いし、すでに楚の殆どの兵士が漢に降伏し、自分は孤立無援になったと嘆いたという故事から生まれた言葉です。 漢の国の兵士が楚の歌を歌う筈は無いので、殆どの兵士が降伏したと勘違いしたのだと思います。