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四面楚歌ということわざについて

こんばんは。 いつもありがとうございます。 四面楚歌のことわざについて、いままでは周りが敵ばかりで味方になってくれる人がいないという意味だと思っていました。 たぶんそれはあっているんだとは思うんですが、世界史を習ってみると 項羽(四面楚歌のはなしの主人公だと思うんです)は「楚」の国の人なんです。 もし四面から「漢」のうたが聞こえてくるなら敵ばかりと感じるということで納得できるんですが、「楚」のうたがきこえたらふつうは?まわりは味方だらけでどっちかっていうと「うわあい」みたいに項羽は喜ぶはずではないでしょうか? よく野球とかサッカーでも外国で試合する時に相手国の応援ばかりで「完全にアウェー状態です。」みたいに言ってるのを聞いたことがあるので、このころの人の思考回路は今とは違うってことなのでしょうか。 もしよかったらおしえてください。 よろしくお願いします。

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  • shuuji99
  • ベストアンサー率66% (2/3)
回答No.8

すでにもうみなさんが説明されていますが、僕としては、ちょっと補足して、このお話が実は漢軍の策略だったという説を紹介します。 この時、項羽の軍は「ガイカ(漢字が変換できません^^;)」という所で敵の漢軍に追い詰められて、篭城している状態なのです。 何重にも包囲されて、味方の兵も少なくなり、食糧も尽きかけていました。 しかし、項羽の軍は勇猛果敢なことで有名で、それでも降伏するつもりはありません。 漢軍からしてみれば、篭城されれば戦が長引きますし、攻めるにしても、決死の覚悟で立てこもる相手と戦うとなると、こちらの被害も大きくなります。 そこで考えたのが、項羽軍の戦意をそぐことでした。 項羽の故郷は楚というところですが、ここの言葉は独特のもので、出身者でなければなかなか話せないようなものだったそうです。 なので、まわりを取り囲む漢軍の中から楚の歌が聞こえてくれば、項羽は自分の故郷の人間が、裏切って漢の味方についたのだろうと思い、もはや味方はいなくなったのだと意気消沈するだろうと考えました。 そして、わざと楚の歌を項羽に聞こえるように歌わせたというのですね。 実際、それを聞いてすぐに項羽は虞美人を自分の手で殺し、一気に敵中を突破する行動に出たのですから、本当に漢軍の作戦であれば、大成功だったということになります。 ってことで、「四面楚歌」は「敵中で孤立する」という意味で使われます^^

lemon12321
質問者

お礼

こんばんは☆ お返事が遅れてしまってごめんなさい。 これは漢軍の策略で、項羽軍の戦意を早くそぐために独特な楚のことばで楚のうたをうたわせたということなんですか・・ で項羽はその作戦にはまってしまったんですね。 そしたらこの作戦で動揺しないでいられたら歴史はかわっていたかもしれない?んでしょうかね・・ とてもおもしろいです。 ありがとうございました☆

lemon12321
質問者

補足

教えてくださった皆様へ☆ こんばんは。色んな回答がそれぞれわかりやすかったり面白かったりしてポイントをどうするかわからなくなってしまいました。 なので行数を数えて多かった方にポイントつけさせていただきました。 全部の回答がとてもよかったです。 ありがとうございました^-^♪☆☆☆

その他の回答 (7)

  • michael-m
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回答No.7

元の文書は読んでいないので、私が教わった内容を書きます。 彼らは既に自分達が取り囲まれていることを知っていました。 周殷の裏切りもあって楚軍は漢軍に取り囲まれてしまったのです。 既に援軍も望めないと考えていた時に、漢軍の中にいた楚出身の者に楚の歌を歌わせました。 楚の兵士は(逸話では「項羽が」となっています)漢の陣営から故郷の歌が聞こえてくるのを聞いて、「楚は既に漢に下ってしまったのだろう。だからこんなにも多くの楚の歌声が敵陣から聞こえてくるのだ。我々は味方からも見放された」と考え多くの兵が逃亡してしまいました。 このことから孤立することを四面楚歌というようになったのです。 だから厳密に言えば、敵の応援では四面楚歌ではありませんが、この場合は孤立無縁になった状況が重要です。 日本の応援の声が聞こえず、まるで日本の応援席からも敵の応援が聞こえてくるような錯覚に陥れば、四面楚歌と言って構わないと思います。

lemon12321
質問者

お礼

こんにちは。 お返事が遅くなってしまいました。ごめんなさい! 項羽は取り囲まれた時点ではまだひとりではなくて だけど取り囲まれた時点でもう周殷には裏切られて傷ついていて そこで漢軍のなかから楚のひとたちのうたごえがきこえてきて、それで項羽も一緒にいた人たちもみんなショックをうけて、そうしたら一緒にいた人がそのショックで逃亡して項羽はひとりぼっちになってしまった、という何段階かでどんどんひどくなってくる四面楚歌状態みたいなおはなしを想像しました。 回答者の方によってすこしずつお話がちがうみたいなところもおもしろくてとても楽しめました。 教えてくださってありがとうございました^-^♪

  • nakamuhi1
  • ベストアンサー率30% (3/10)
回答No.6

周りが「漢」なのは見てわかります。が、そこから「楚」の歌が聞こえてくるということは、母国の「楚」が占領されたか、降伏したかによって、捕虜となってしまっていると思ったのです。 その時の「楚」の歌は、下記のようなものです。 京劇での歌詞なので、当時の歌かどうかはわかりませんが、、、 田园将无胡不归,千里从军为着谁。 沙场壮士轻生死,十年征战几人回。 訳すと、 田園まさに蕪(あ)れなんとす、帰りなんいざ 千里の従軍は、そもそも誰がためぞ? 戦場の勇者は命を惜しまぬ 十年も戦って幾人(いくひと)か帰る? もっと訳すと、 ふるさとの田舎の田畑は荒れほうだい、苦しい戦は、誰のためなのか? 戦場の勇者は命を惜しまないが、何年も戦って何人帰るのだろうか?

lemon12321
質問者

お礼

お返事遅くなってしまいました。 ごめんなさい! 周りが漢であることはみればわかるから、ということだったんですね。 楚の国の歌おしえてくださってありがとうございます。 歌の内容が、他の方が教えてくださったウィキペディアにのっていた江東(でしたよね・・)のひとたちを戦いで死なせてしまったという話と似ていると思いました。おもしろいです。 でもこのうたを敵のところにいる楚の人たちから聞かされたら、さっきの江東のエピソードとあわせて考えると項羽はダメージすごかったかな、と思いました。 とてもおもしろいです。 ありがとうございました♪

回答No.5

項羽率いる楚の出征軍が、韓信率いる漢軍に追い詰められた夜、四方を囲った漢軍の陣から楚の歌が聞こえてきました。 それを聞いた項羽は「もう楚は漢に下ってしまったのだ」と思い絶望したそうです。 「敵軍から故郷の歌が聞こえて来る」=「故郷はもう敵軍の手に落ちたのだ」ということです。 だから厳密な「四面楚歌」の、元々の意味としては「周りが敵ばかり」というより、「味方のあてがない」状態だと言えます。(周りが敵ばかりなのは包囲された時点で解っているわけですし) 「味方が助けに来てくれる可能性が無い」から、真の意味で「周りが敵ばかり」になるわけです。 スポーツならぬ戦争だからこその状況ですね。スポーツでは味方が寝返ったり下されて従ってたりすることはありませんから。(多分)

lemon12321
質問者

お礼

こんばんは☆ お返事遅くなりました。ごめんなさい・・ うーんと、敵軍から故郷の歌がきこえてくる=故郷は敵軍の手に落ちた で、周りが敵ばかりなのはすでにわかっているわけだからそれよりも味方の当てがない状態なんですか・・ 敵がいても味方のあてがあればまだ期待していられるってことなんですね!一瞬むずかしかったですがたぶんわかりました。 あとは・・スポーツで味方が寝返ったりしたがってたりしたらすごいおもしろいですね!(みてるだけなら) ありがとうございました☆

回答No.4

 項羽は楚から兵を引き連れて秦を滅ぼし、一時西楚の覇王(在位紀元前206年 - 紀元前202年)と号した。その後、天下を劉邦と争い(楚漢戦争)、当初は圧倒的に優勢であったが人心を得ず、次第に劣勢となって敗死した。  劉邦軍に囲まれて城に立てこもっている時に劉邦軍の中から項羽の故郷である楚の国の歌が聞こえてきた。これを聞いた項羽は「劉邦軍は楚の兵士も味方に付けている。楚の人間のなんと多いことか」と嘆いた。  これが「四面楚歌」です。

lemon12321
質問者

お礼

こんばんは☆ お返事遅くなってすみません。 劉邦軍にかこまれているときに、劉邦軍のなかから楚の歌が聞こえてきた、ってことなんですね! それで楚のひとも劉邦軍の味方になっちゃったと思ったわけですね。 よくわかりました。 ありがとうございました☆

回答No.3

故郷の歌が聞こえてきたことで、漢軍が楚をすでに支配してしまったと 項羽は落胆したんです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%93%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

lemon12321
質問者

お礼

こんばんは☆ 漢軍が楚の人たちに無理やり歌わせたってことでしょうかね・・ それでおしえていただいた「ウィキペディア」見てみたら教科書よりずっと詳しいお話がのっていてとてもおもしろかったです。 それまでは項羽のほうがわるもので劉邦がいいものみたいになんとなく思っていたのですが、 天下を二分する盟約がむすばれていたのに劉邦が盟約を反故にしたとか・江東に渡らなかったときのエピソードとか、 かわいそう!なかんじでイメージかわりました。 でも劉邦は天下を統一して400年もつづく漢王朝が出来たってことだからそのほうがよかったんでしょうかね?(質問ではないです・・) がいかの戦いのおはなし、とてもおもしろかったです。 おしえてくださってありがとうございました☆

  • owata-www
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回答No.2

“楚”の人たちが裏切って敵になり、その人たちが漢軍の中で楚の故郷の歌を歌っているんですね それを聞いた項羽が、楚はもう占領されてしまったんだろうと思ったわけです

lemon12321
質問者

お礼

こんばんは☆ ”楚”の人たちが裏切って漢軍のなかでうたっているんですか。 なにかに、項羽がみんなに意地悪なことをしたからみんなが劉邦の味方をしたみたいに書いてあったと思ったんですが その人たちかな・・なんかちょっとこわいみたいですね! 教えてくださってありがとうございます。 それから☆受験の時もありがとうございました☆

回答No.1

 敵に囲まれているという状態で、周囲から聞こえてきたのが自分の国の歌だった。つまり、自分の国の人間すら敵であったということなのです。

lemon12321
質問者

お礼

こんばんは☆ 項羽は歌を聞いて、囲んでいるのが敵であることに気ずいたんじゃなくて最初から敵だって言うことがわかっていたということなんですね! おしえてくださってありがとうございました♪