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人民民主主義とはなんですか。

YAHOO辞書によると下記(↓)のようでした。これが、普通の社会主義とどう異なるのかがわかりません。 (1)社会民主主義でなければ、プロレタリア独裁があることは別段おかしくないはずです。 (2)反ファシズムというのも、社会主義として別段変わっていないと思います。 (3)民主連合政権というのは意味不明です。プロレタリア独裁であり、かつ、民主的というのはありうるんでしょうか。 (1)~(3)→疑問。 通常の社会主義と変わらないように思えるがその特徴は何だろうか。というか、そもそも独裁であり民主主義というのが意味不明。 過去の質問を調べてみたところ、社会主義と共産主義についての質問はたくさんあったのですが、人民民主主義についての質問&回答は見つかりませんでした。上記の疑問について、どなたかよろしくお願いします。 【人民民主主義】 第二次大戦後に出現した新しい政治形態。社会主義への過渡的な性格をもち、本質的にはプロレタリア独裁であるが、労働者階級の指導のもとに、反ファシズム統一戦線に参加した諸勢力による民主連合政権を形成しているのが特色。改革前の東欧諸国がその典型的な例。

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  • Ganymede
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回答No.5

人民民主主義とは、 (a) 要するに、共産主義を志向する社会主義の、別称の一つである(共産主義を志向しない社会主義は除く)。プロレタリア独裁の形態には、ソビエト型と人民民主主義型の二つがある。 (b) 人民民主主義は、共産党(名称は国によって異なる)の純然たる一党独裁ではない。形式的にせよ共産党以外の政党も存続し、共産党と連立している。 これには歴史的な経緯がある。第二次大戦時などの「統一戦線」(民族解放・反ファシズム・反帝国主義・反封建体制の旗の下に、諸派が共闘した)の流れを汲んでいるのだ。ただし、共産党のヘゲモニー(指導的な地位、主導権)を憲法などで規定しており、それ以外の政党は衛星政党である。 以上のように「人民民主主義」は、第二次大戦でファシズム勢力(日本・ドイツなど)に蹂躙された国々の、抵抗運動の流れを汲んでいることが多く、「反ファシズム = 民主勢力」という(昔流行った)公式から言って、統一戦線系の政権は「民主連合政権」となるわけです。 しかし、(かなり初期の段階から、あるいは後に)共産党がヘゲモニーを握って他を圧殺し、「民主連合」から程遠いものになっています。 次に、「民主集中制」(民主的中央集権制)に注目しましょう(ソビエト型・人民民主主義型に共通して見られる)。民主的な中央集権制と言えば、日本も世界の多くの国もそうですね。しかし「民主集中制」は、字面だけ似て中身は異なるものです。その欺瞞を知れば、「民主主義とプロレタリア独裁とを同時に標榜する人たちの、頭の中はどうなっているのか」も分かってくるでしょう。 民主集中制は共産党の組織原則であり、(それが政権を取っている)国家の原則でもあります。まず、「集中」について見ましょう。「個人は組織に、少数は多数に、下級は上級に、全党は中央に従う」(ただし、これは現行の日本共産党規約からは削除されている)。党の決定は無条件に実行しなくてはならず、分派は一切許されません。 日本共産党規約 第三条 http://www.jcp.or.jp/jcp/Kiyaku/index.html 関係ない話ですが、日本の民主党とは大違いですね。社会民主主義者、リベラル、保守、極右(西村眞悟(笑))までいる(いた)民主党……。話を元に戻して、民主集中制の「集中」は、つまるところ党中央の独裁を意味します。それに「民主」を冠するとは、木に竹を接ぐような話ですが、イデオローグたちは次のようなレトリックを編み出しました。 『哲学辞典』(森宏一編集、青木書店)より「民主集中制」 http://web.sc.itc.keio.ac.jp/~funatoka/pavlov/democratic_centralism.html 上部機関と下部機関および各成員とのあいだの関係を緊密なものとしながら、それら相互に意見の交換、討論を活発におこない、それらを尊重して、そこから定められた方針を、少数は多数にしたがうという民主主義の原則により、整然とした一致の行動にでることをたてまえとする。(引用終わり) 何ですと? なぜ彼らは、そのような詭弁を弄するのか? それは、「共産党はあくまで人民の側に立ち、(侵略者やファシストや旧体制の圧制から)人民を解放する」という建前を、捨てられないからです。いくら形骸化しても、「民主」の看板を下ろせば、人民の党でなくなってしまう。そこで、民主主義と党中央独裁との矛盾を、弁証法で止揚(?)しているのでしょう。 ただし、「民主集中制 = 単なる独裁」というのは、浅薄な知識かも知れません。ここでは、「半民主は反民主に通じる」という図式を提案しておきます(駄洒落みたいですけど)。人民民主主義は単なる独裁ではなく、人民との相互作用もあるのですが、かえってそれを悪用し、人民を抑圧しているのです。

lwshoshinnsha
質問者

お礼

「社会主義=(A)+(B)」 (A)プロレタリア独裁   a)共産党による一党独裁:ソビエト型   b)共産党+衛星政党:人民民主主義型 (B)NOTプロレタリア独裁   社会民主主義 b)で衛星政党と一緒になっている理由→統一戦線で一緒に戦った仲間だから。 (A)の特徴→民主集中。理想を強行的に実現しようとした結果、理想に反する事実が発生。 一方で、(B)は理想を強行的に実現しようとはしない。 ちょっと、強引かも知れませんが、上のような図式で理解しました。ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • yuhkoh
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回答No.4

 Democracyの訳語としての「民主主義」ですが、あくまでも体制概念(cracy)であって、資本主義・自由主義・社会主義などの主義(ism)ではありません。ですので「民主制」という方が的確であり、民主主義は誤訳とする考えもあります。  つまり「民主制」は「君主制」「寡頭制」「貴族制」「共和制」などと同様に主権者がだれであるかという概念・制度です。ですから日本国を含めイギリス・ノルウェーなどの大半の君主国は自由主義であり、いわゆる民主的な政治が行われようとも「立憲君主制」であっても、厳密な意味では民主制ではないといえます。もちろん、その逆に形式上では民主制であっても、実質独裁ということもあります。  ただし、いわゆる“民主的”という言葉が、西欧的な意味での参政権や思想信条の自由などが保証されている状態を指すため、“民主主義(民主制)”と混同されるのでしょう。しかし国家体制が民主制であるなしと、国民の自由や権利・福祉が保証されているか否かは別問題です。  

lwshoshinnsha
質問者

お礼

ありがとうございます。つまり、「社会主義・共産主義」を目指すための手段としての「民主」制度であって、独裁は民主制の過程で偶発的に生じた政治体制ということでしょうか。

  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.3

かつて、マルクス「解釈」のひとつに、社会主義への国家の変化の段階として「人民民主主義の段階」→「社会主義の段階」→「共産主義の段階」という流れになるのだ、という説がソ連を中心に唱えられました((1)の関係)。 とりわけ1930年代あたりにいわゆる人民戦線が盛んになり、これに共産党・労働者党も酸化した事から(これが(2)の関係)、社会主義への道筋にこういう流れがあるのだ、というのが定説になってしまいました。 これに対し、最近共産党の不破哲三氏らの一連の研究などからこれはマルクスの「ゴータ綱領批判」の読み間違えと、その後の国際的なソ連共産党の覇権主義によるこういった流れの押し付け・固定化であることを、日本共産党は主張しています。 それはともかく、こういう流れで、社会主義が達成されるのだ、という考えから共産党(など)が政権中枢を握った国の一部では「社会主義」を名乗らず、「人民共和国」「民主主義人民共和国」「人民民主主義共和国」などを名乗る国も出てきました。中にはいわゆる「北朝鮮(朝鮮民主衆議人民共和国)」のように、マルクス主義を超えた、と自称し、事実マルクス主義の根本からはずれた国もそういうような名乗りをしています。ですから、そう名乗っている国家のあれこれを見ても「人民民主主義」というものを定義する事はできないでしょうし、社会主義と人民民主主義との違いもはっきりしないと思います。 #2さんの答などもとりわけそのなかの北朝鮮のみについては正確に当てはまるわけですが、これとてすべての「人民民主主義」(およびその同類)をなのる国家にあてはまるとは言えないのではないかと思います。 また人民民主主義というのは政治思想ですが、それを唱えるからといってそれが即既存のその種の国家と同様のものを目指すという意味なのか、というのは疑問が残ります。ですから統一的な見解というのは恐らく無いし、それぞれの立場によって違った回答が出てくいるのがこの問題だと思います。 最後に、「プロレタリア独裁」についてですが誤解があると思います。マルクス自身はプロレタリア独裁なるものを「共産党ないし労働者党」の独裁であると考えた事も主張した事もありません。独裁、と訳されていますが、本来ディクタトゥーラ、というのは前後の文脈から全権力を握る、といった意味でしかないのですが、たまたまソ連で結果的に一党独裁政権になってしまい、それが一般的であると唱えられた事により「一党独裁」の別名のように(資本家側からも、ソ連などの側からも)主張されてきたことに問題があるようです。 本来、人民民主主義、というのはつまり人民(peopleの訳。一般に労働者・農民・中間層などを含むとされる)のディクタトゥーラをめざす、ということなんですが。 同じように資本主義国家というのは資本家階級のディクタトゥーラである、というのがマルクス主義の主張です。 つまり過去の歴史において常にどれかの階級(王であったり、貴族であったり、また、資本家階級であったり)が権力を握ってきたが、最後に労働者階級が中心になって権力を握るが、これが最後の権力になる、というう主張です。

lwshoshinnsha
質問者

お礼

多種多様な国家が、自国の政治体制の正当化の為に「人民民主主義」という言葉を使いまくったために、統一的な概念の整理が難しい、ということでしょうか。 プロレタリア独裁の正確な言葉の意味について勉強になりました。ディクタトゥーラの意味がそのようであれば、「ディクタトゥーラ」と「民主」が一緒に用いられる理由も分かります。ありがとうございました。

  • timeup
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回答No.2

「王朝」「独裁政治国家」の別名です。 他国の人を誘拐すると英雄になれる国でも有ります。(^_^;)

lwshoshinnsha
質問者

お礼

「民主」にもいろいろあるんですね。ありがとうございます。

  • angormore
  • ベストアンサー率16% (44/262)
回答No.1

自分の国が、独裁ではなく、ちゃんとした民主国家であって人民の意志が最も尊重され、誰も貧富の差に困ることも無く、適切に運営されている理想的な国家である・・・という「大ボラ」を世界へ喧伝するための、一手法。

lwshoshinnsha
質問者

お礼

非常に一直線な喩えでよくわかりました。ありがとうございました。

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