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人類は生存競争から解放されると滅ぶのでしょうか?
人類は生存競争から解放されると滅ぶのでしょうか? もし今人間が行っている生存競争を全て代替してくれるような存在,例えば鉄腕アトムのような存在が開発されて,生存競争から解放されたら,人類はどうなってしまうのでしょうか? 生存競争というのは,勉強とか労働のことです. 今現在,人間は生まれてから死ぬまで,人生の大変な時間をこれに割いているかと思います. もちろん過去にも鉄腕アトムではありませんが,奴隷という存在がいましたよね.でも,もし自分が王様で奴隷を持っていたとしても,それでもお勉強はしないといけないし,重労働や長時間労働から解放されているだけで,労働は0にはなりません.つまり,生存競争は0にはなりません. また,クーデターなんかもあるわけですから,将来的にその楽な生活が続く保証もなく,自分の生命への緊張は常にあり,そういう意味でも生存競争から解放されてはいません. 他にもローマのコロシアムですか??過去には働かずに飲み食いできた時代・場所の人もいたようですが,それでもやはり生存競争から逃れられていないのは上と同じかと思います.(詳しくないので間違ってたらすいません.) 生存競争からの解放が実現すれば,人類として大変大きな転機ですよね. そして今の人類の歩みの最終帰結点として,なんとなく「生存競争を全て代替してくれるような存在の開発」に向かっている気がします. 競争は生物として本分ですし,競争がなくなると学力も身体能力もガクッと下がるでしょう.そうすると,生物としてポンコツになる気がするし,社会も機能しなくなる気がします. 競争をしない生き物ってやってけるのかなぁ. なんか色んな分野の摂理に反していそう... もっと便利になりたい.もっと幸せになりたい.その追求の果ての幸福. 人類はどこに向かうのでしょうか? 人類は生存競争から解放されると滅ぶのでしょうか? 一言でも構いません. 生物の視点からどうぞご意見よろしくお願いします.
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生物学での「生存競争」という言葉は、前の回答にも書いたことを繰り返すと「繁殖成功率の争い」です。ここで"争い"という言葉を使いましたが、これは個体の心理としての闘争心や競争心は関係ありません。 背が高いとか足が長いといった、心理とは無関係のパラメータでも生存競争の要因となり得るわけですから。 例えば世の女性が「競争心の乏しい男」を好むようになると、競争心や名誉欲がない男が生存競争の上では有利になるわけです。これは一見、「生存の上では不利な形質」に見えますが、その方が繁殖成功率が高ければ、自然選択はこちらに軍配を上げるでしょう。 このように一見不利な形質が「メスの好み」によって選択される、という例は自然界にも数多く存在します。 例えばクジャクの巨大な羽など、エサを採るにも外敵から逃げるにも明らかに不利ですが、もっと有利なコンパクトな羽を持つ個体は「メスが好まないため」に淘汰されてしまい、現在のクジャクはあのように派手で巨大な羽を持つに至ったわけです。要するに「長生きできても、たくさんのエサ(人間なら金)を獲れても、子孫を残せなければ生存競争の敗者」というわけです。 ロボットによって生産や社会運営から人間が解放されても、別の「繁殖のパートナーを得る争い」が必ず起きることは前にも述べました。 ですから、「生存競争をなくす」には、人の繁殖を完全にコントロールする他手段がないということになります。 でも、例えば「知能が高い人間を繁殖に供する」というプログラムにすれば、知能で生存競争が起きます。これは当人に争う気がまったくなく、単に与えられたパートナーと淡々と繁殖していても、です。 そうすると、当然の帰結として人類の知能はどんどん高くなっていくでしょう。 「競争心のない人間を繁殖に供する」というプログラムにすれば、競争心がない人が生存競争で勝利することになります。 要するに家畜の育種と同じです。 人為的に選択すると自然ではあり得ない淘汰圧をかけることができるわけです。 牛は40kgの子しか産まないのに、1日に40-60kgの牛乳を出します。エサが足りなければ乳量も当然落ちますが、それでも自分の身体を削ってでも10kgや20kgの乳は出します。 ブルドッグは頭が大きすぎるため、自然分娩がほとんど不可能です。ほとんどが帝王切開をしなければ母子共に死んでしまいます。 鶏だってたった2kgほどの身体で、50gもの卵を毎日産みます。卵って外殻はカルシウムですし、中は高蛋白ですから、人間の女性が毎日1kg、自分の骨と身体を削って卵を作る、と考えれば、どれだけ無茶なことをしているか少しは想像できると思います。 これらは全て「人間がその形質を選択してきた結果」です。その結果、その動物はそういう方向に「進化」してきたわけです。 ですから、人類の繁殖を完全にコントロールしても、何らかのパラメータを適用した瞬間、その方向に激しい生存競争が始まるわけです。 なので、「生存競争をなくす」というのは、定義的には「繁殖機会を完全に平等にプログラムする」ことでしか実現できません。つまり全ての人が確実に1人の子を得る、というプログラムにするわけです。 そうすれば、生殖年齢に達するまで生きることができない遺伝的要因を持った人、それと生殖に直接ダメージがあるような遺伝的要因がある人以外は、平等に子孫を得ることになります。 そういう状態だと「生存競争がない」という状態にはなりますね。 この状況だと個人の競争心とか名誉欲などは無関係です。そんなものがあろうがなかろうが、平等に1人の子を得るわけですから。 そういう状況になるとどうなるか、ですが、人類としての形質のバラツキは大きくなるでしょうね。つまり「平均化」とはまったく逆の事態が起きます。 平均化というのは、「激しい生存競争の結果」です。生存競争が激しく、ある特定の遺伝子を持った個体しか生き残れないという事態になれば、短期間で集団のほとんどの個体が同じ遺伝子を持つことになります。これが「平均化」です。 つまり、「生存競争が激しいほど」もう少し生物学的な言い方をすれば「淘汰圧が高いほど」、集団は遺伝的に短期間で高度に平均化する、というわけです。 なので生存競争が激しくなかったり、あるいは皆無だったりすると(皆無というのは自然状態ではあり得ませんが)、その集団は平均化とは逆にバラツキが大きくなります。 先ほどの「人類家畜化プログラム」だと、背が高かろうが低かろうが、競争心が高かろうが低かろうが、向上心があろうがなかろうが、全ての人の「子孫数」は同じですから、どれか特定の形質が数(集団内での割合)を増やすことがありません。また、その過程でかなり極端な遺伝子が生じても、その個体も同じく子孫を残します。 なので、どんどんバラツキが大きくなっていく、というわけです。 で、そのプログラムが生きている限り、人類は絶滅しないでしょう。増えも減りもせずに一定の人口を保っていると言うことになります。 問題は、突然そのプログラムが解除されて現在と同じ「生存競争が生きる状態」に戻った時にどうなるか、ですね。 普通に考えれば、「バラツキが大きくなっている」ということは多様性は増していると言うことですから、その中の「新しい環境」に適した個体が生存競争に勝ち残り、子孫を増やしていくのではと考えられるでしょう。 牛やブルドッグのように、「ある特定の方向に人為選択されていた場合」はどうでしょう。 例えばブルドッグですが、突然人間が滅亡して取り残されれば、大半のブルドッグは交配しても母子共に死んでしまうわけですから、瞬時に絶滅してしまいそうに思えます。 でも、この状況下ではこれまでの人為選択とは逆に「頭蓋骨が小さい個体」に対する、極めて強い選択圧がかかることになりますから、少しでも頭のサイズが小さくて辛うじて生き残る個体がいれば、短期間で「頭が小さい元ブルドッグ」という種が成立して絶滅を免れる可能性もあると思います。 乳牛も、人間がいなければ泌乳する乳を搾ってくれる人がいなくなるわけで、まずそこで多くの個体が乳房炎になって死ぬでしょう。 それを切り抜けてなんとか分娩に成功する個体がいても、エサも満足にないのに自分の身を削って泌乳して、その結果衰弱して死ぬ個体がたくさんいそうです。また、子牛の方も乳を飲みすぎて下痢を起こして死ぬ個体はたくさんいるでしょう。 ですが、これも「乳量が少ない個体」に、非常に強力な選択圧がかかります。極めて短期間に1日に3~4kgしか泌乳せず、平和に子を育てて暮らす牛になっているような気もします。 こんな具合に、「強い選択圧をかければ、種全体を非常に短期間で進化させることができる」ということは、人類が家畜の育種を通して実践してきたことですから。 もちろん環境に適応できずに絶滅した種も数限りなくあるわけですから、ホルスタインやブルドッグが絶滅してしまう可能性も多々あります。 つまり、簡潔にまとめることを試みるならば、 「生存競争がなくなっただけでは人類が絶滅することはあまり考えられない」 「問題は、その後に環境が変わって生存競争が復活するような状況になった時にどうなるか」 「その時は、なるようになる」 「絶滅するかどうかは、その新しい環境とその時の人類の状況次第」ということですかね。
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- ga111
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たとえ、鉄腕アトム的なロボットができたとしても、競争から開放されることはないと思う。安いロボット製造のための競争がおきるから。これは、自動車の例から明らか。 男女の伴侶獲得や健康維持のために、体をきれいにしたり、きたえたり、あまり太らないようにしたりする競争はなくならない。 それでも、生存競争から解放されたと仮定する。体を鍛えるのも子育てもアトムがやってくれる。そうすると、人口の爆発が加速し、資源があるうちは、人口は増え続ける。
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ご回答ありがとうございます. まずはご返事までです. ありがとうございます.
いろいろな考え方があると思いますが、人間はいわゆる自然環境の中でほかの生物のような形で生きていけない生物です。つまり自然そのままで生きていけないように作られています。生物学的にはほtン度同じといえるようなゴリラやチンパンジーはほかの生物と変わらない生き方をしています。もちろん彼らでも個体の保存や種の保存をめぐって何らかの競争はあると思いますが、そこにある法則は彼らが彼らの都合で作ったものではありません。むしろ自然環境の条件から決定されているものだと思います。一方人間は自然環境の条件を思い通り変えることによって生き延びる道を選びました。このことは人間が環境を支配しているとも言えることですが、その支配を継続するためには多大のエネルギー(おもに精神的なもの、頭脳労働)が要求されるということになったと思います。また自然環境は常に大きく変動しますからその変動に対応するためにはやはり常に新しい対策が必要になります。簡単に言えば人間は肉体労働はいざ知らず精神労働から解放されることはあり得ないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます. まずはご返事までです. ありがとうございます.
- Us-Timoo
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生存競争と勉強・労働とは全く別物です。 生存競争しなくても、人間は生きていけますが、 生き物が生きていく為には学習・労働が大なり小なり必要であり、それなしで生きていける生き物がなどこの世にはいません。 従って、ご質問者の理論の前提自体がおかしいので成り立ちません。
お礼
ご回答ありがとうございます. まずはご返事までです. ありがとうございます.
- webuser
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生存競争から解放されるという事は、 何もしなくても衣食住、そして繁殖のパートナーを供給してもらえるという事ですね。 パートナーを選ぶ事はできません。 選ぶ行為はすなわち競争ですから。 完全なランダム、あるいは人為的でない何かの法則で強制的に決定しないといけません。 そうすると、、、 現在は一定の容姿、一定の能力、一定の健康を確保した人以外は繁殖の機会が激減し、子孫を残せない可能性が高い訳ですが、そうでなくなります。 淘汰される要因は生殖能力があるかどうかだけに関わってきます。 そうすると、だんだん全人類が平均化して行くでしょう。 学校や会社にいると、一定の能力、一定の健康を確保した人以外には会う機会が無いので、平均のイメージが高い位置にあるかもしれませんが、社会に出ている人の能力の平均ではなく、そうでない人も含めた平均になっていくので、体感的にはかなりレベルダウンすると思います。 生存競争を激しく行うと、種から亜種が派生し、それが別の種になったりします。 人類も人種というものがありますが、それもなくなり、だんだん全人類が平均化して行くでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます. >生存競争を激しく行うと、種から亜種が派生し、それが別の種になったりします。> 専門でなかったとしても少なくとも生物をやったことのある方のようですね.実は私はロボット関係の専門の学生なんですが,種とか亜種という言葉は分かりますが,使うことはできないです,といった感じです. さて,webuser様のご回答によると,まず少なくとも滅びることはなさそうですね.安心しました. ただ,言葉足らずで申し訳ありませんが,私が考えた予想では,パートナーの供給までは考えていませんでした.私の考えた発想は俗にいう鉄腕アトムやドラえもんのいる世界に近いかと思います.過去にも奴隷という,社会的システムはありました.しかし,その支配する側の人間も,働かないといけないし,生涯の生命の保証もない.だから支配者側も生存競争の原則からは逃れられない.けれど私が想像した世界では,いうなれば ・反抗しない奴隷 です.まあやっぱりロボットでしょうね.で,生存競争というのもやはり, ・労働 ということに,今現在の私の至っている考えの範囲では,落ち着くのではないかと思います.ということで,私の考えた世界観は, ・労働を代替してくれる反抗しない奴隷=今よりずっと賢い未来のロボット がいる世界ということになります.過去の例と比べて言うと,過去の王様たちの立場がさらによくなった状態かと思います.すなわち ・労働が楽な立場 だったのがプラス, ・全く働かなくていいし, ・生涯の生命も保障される立場.すなわち治安的な意味はまでは含みませんが,少なくとも働かなくとも衣食住の保証された立場. です.ですから,パートナーの供給までは考えていませんでした.言葉足らずですいませんでした. まだまだ閃いたばかりの段階で,理屈の始点から終点までの展開が自分でもちょっと地に足がついてない感じです.ただ, ・この予想が成り立つような予感がすごくしたことと,また, ・今の段階ではこれ以上言葉にできなかったことから 未完成ながらも質問させていただきました. また考えに進展があれば,また今度質問させていただこうかと思います. そのときもしよろしければまた遊んでください. 長文失礼しました.ありがとうございました.
補足
以下は気が向いたらさらっと読んでください.うまく質問できなかったので,ちょっと詳しく補足しました. 質問を整理すると, 1. 生存競争がなくなる方向にある. 2. 突然ぱったりではないが,1年とか10年といった過渡期があってその後競争がなくなる. 3. 生物的・社会的に人が維持できなくなる 4. 人が滅ぶ(=じゃあ発展の果てに滅ぶのか?) これを順に説明していこうかと思います. 1の「競争がなくなる方向にある」というのはロボットです. それには,その説明の前の段階として,ロボットが人間の代替をできるほど能力を持てるかという前ふりが必要なんですが,それは実現すると踏んでいます.遠い未来ですが. すると未来のロボットができれば,そのロボットに働かせようということになるのです.奴隷と同じです.よって,1の「生存競争がなくなる方向にある」という予想ができるわけです. 2の「突然ぱったりではないが,1年とか10年といった過渡期があってその後競争がなくなる.」というのは,その未来のロボットが実現して,それが労働を代替するシステムが成立するまでの過渡期です. 3の「生物的・社会的に人が維持できなくなる」は,労働というのは,人が生物的・社会的に成り立つために重要な役割を果たしている気がする,ということです. まず生物的にですが,古今東西生きていくためには皆膨大な時間働いていますよね?労働というのは競争という意味もありますから,確かにパートナーを選ぶ競争というのは残りますが,日々の競争はなくなると思います.つまり,競争が大きく損なわれるということです. ところどころ話があやふやですいませんが,とにかくここまでで競争が大部分が失われるとします. すると,生物的に支障をきたす気がするのです. 競争は生き物の本分の一つかと思います. より楽に生きたいけど,それはイコールより競争しなくなっていくことだけど,だけど競争しないと自分自身を保てない気がするのです. それが正しいとすれば,今までにそこまで守られた環境というのはなかったと私が考えていることは再三書いたとおりですが,それが実現する可能性がなくもなさそうだ.じゃあ実現したらどうなるか?? すると,生物的に支障をきたす気がするのです. 次に社会的に人が維持できなくなるということですが,ここでも私は労働が社会を順調に動かすことに大きく影響していると考えます. 社会そのものが労働を前提に作られている気がするのです. だって学校に行くのは将来働くためですよね.だけど働かなくてよくなった.じゃあ学校はいらないとなりますよね. 他にも会社で働くという現在の状況があるからのつきあいってあると思いませんか?もし労働が無くなったとしたらなくなるだろうってつきあいとか. 「持ちつ持たれつ」とか「困った時はお互い様」ということも必要なくなると思います.だって何もしなくたって生きていけるわけですから. そう考えると一生懸命生きているからの人と人との結びつきってかなりあるのではないでしょうか?社会そのものが労働を前提に作られているのではないでしょうか? それが労働の必要がなくなって,ごっそりなくなる. 人と人との結びつきが本当に希薄になる. ですから,労働がなくなると社会的に支障をきたすのではないかと考えました. では,次に,生物的・社会的に支障をきたした人間はどうなるか.もう今いるような学力・体力のあるような人間もなく,もちろん勉強が好きな人は勉強するなどしているでしょうが,,,,文明として危ういのではないでしょうか?? 技術じたいはずっと高度に進んでいるけど,それを管理できるような賢さの人間というのはほとんどいない.けど,社会のシステムとしてはロボットが代替しているため,潤沢に機能しているという状況になるのではないでしょうか?? ずーっと高度な文明で,社会として機能はしているけど,なんか違う,本質的には壊れている文明になりそうではないでしょうか?? それは,もう人類としては少しずつ綻びて,滅んでしまうということなのではないでしょうか? 質問の大事なところとしては,競争が人間の生物的・社会的な部分にどのように影響しているかということかと思います. 結局SFな話なってしまいましたね.でも,ところどころ私のカンもありますが,将来的に人間と同等の知能と能力を持つロボットというのはできそうな気がするのです.そうすると,それと引き換えに人間は生物的・社会的にだめになっていく,すなわち滅びるような気がしました. 人類は生存競争から解放されると滅ぶのでしょうか?
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お礼
ご回答ありがとうございます. >人類家畜化プログラム なんか話の流れから,エヴァンゲリオンの「人類補完計画」を思い出しました.最近また見ましたけど面白いですよね,エヴァって.最後の方よくわかんないですけど(笑) >「生存競争がなくなっただけでは人類が絶滅することはあまり >考えられない」 >「問題は、その後に環境が変わって生存競争が復活するような >状況になった時にどうなるか」 >「その時は、なるようになる」 >「絶滅するかどうかは、その新しい環境とその時の人類の状況次第」 わかりました. 後,経サイエンスの2009年4月号「進化する進化論」を研究室で見つけて,ちょっと読んでみました.確かにあれで1400円は高いですよね(笑) 大変参考になりました.ありがとうございました.