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『論語』に出てくる切磋琢磨について

論語の学而に "子貢曰はく、「詩に云ふ、『切するがごとく磋するがごとく、琢するがごとく磨するがごとし』とは其れ斯れの謂ひか」と。" と出てきますが、一体彼はその前の「貧にして諂ふ~若かざるなり」の流れとこの切磋琢磨の言葉のどこに関連性を見出したのですか。 この文での切磋琢磨は、よりよいものを求めて努力を繰り返すことだと思うのですが、いまいち繋がりがよくわかりません。 回答よろしくお願いします。

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noname#96295
noname#96295
回答No.2

あの手この手を尽くして磨く、磨き続ける、ということですね。 貧しくても修養をおろそかにしないことや、 富があっても礼儀を忘れないことは、 品性や人格をさらに磨き高めて、生き方を律しようという心。 子貢が、頭の引出しの中から、すぐに詩経をひっぱりだしてみせたので、 孔子は、子貢の教養の深さと目から鼻に抜けるような頭の回転の良さ、あうんを心得た対話術に感心したのです。

その他の回答 (1)

  • ojisan-man
  • ベストアンサー率35% (823/2336)
回答No.1

子貢が言った。「貧乏であってもへつらわず、金持ちであってもいばらないというのは、どうでしょうか。」 先生は答えた。「よろしい。だが貧乏でも道義を楽しみ、金持ちであっても礼儀を好むというのには及ばない。」 子貢が言った。「詩経に『切磋琢磨(いやがうえにも立派にすること)』と謳っているのはちょうどこのことですね。」 先生が言った。「それでこそ詩の話が出来るね。前のことを話して聞かせると、後のことまで分かるのだから。」

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