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延暦寺の千日回峰行

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E6%9A%A6%E5%AF%BA#.E5.8D.83.E6.97.A5.E5.9B.9E.E5.B3.B0.E8.A1.8C ↑ 上記によれば、 ●行者は途中で行を続けられなくなったときは自害する決まり で、そのために首をつるための紐と短刀を常時携行する。 ●真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と二百六十箇所で礼拝しながら、約30キロを平均6時間で巡拝する。 ●足かけ九日間(丸七日半ほど)にわたる断食・断水・断眠・断臥(「臥」とは、横たわること)の行に入る。 ●出堂すると、行者は生身の不動明王ともいわれる大阿闍梨となる。 ●この行を終えた行者は延暦寺の記録では47人である。 ●通常、京都御所内は土足厳禁であるが、千日回峰行を終えた者のみ、御所へ土足のまま参内できる。 とあります。 (1)実際に行が続けられなくなって自害した人はいるのでしょうか。 またこのようなことを強いるのは違法ではないのでしょうか。 (2)千日回峰行によって死亡したり、健康を害した人はいないのでしょうか。 (3)どういった目的でこのような修行が行われているのでしょうか。 (4)「御所へ土足のまま参内できる」という権利を得ることは ありがたいことなのでしょうか。 (5)そのほか、千日回峰行についてご存知のことがあれば教えて下さい。

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noname#88701
noname#88701
回答No.3

ご参考になると思われる本 酒井雄哉 二千日回峰行-大阿闍梨・酒井雄哉の世界  〃   生き仏になった落ちこぼれ 葉上照澄 回峰行のこころ~わが道心 光永澄道 ただの人になれ >全ての生き物に深い慈愛を注ぐ心 この心は言葉ではちょっと表現しにくいのですが 私が感得した範囲でお伝えします。 回峰行などの仏道修行に限らず、自然を常に相手にしていると 植物や動物がまったく自分と同じだと感じる時があります。 自分と全く同じ生き物、等しい生命という感覚です。 これは理屈ではありません。 直接に見たり、触れたり、動かしたり、いじったりしていて感じるものです。 向こうから、す~とこちらに入って来て感じとれるものです。 生命の言葉とでもいうのでしょうか 感覚という以外表現のしようがありません。 そして、こういう感覚をたびたび繰り返し体験していると いつのまにか、この生命を大切にしたい、育みたいという気持ちにもなってくるのです。 大自然を相手にした回峰行者さんの場合はもっと比べ物ならないくらいスケールが大きいかもしれません。 でも一般の人でも決して体験できない事ではないようにも思えます きれいな言葉で言えば 以心伝心の生命の心とか、同じ生命への愛情とかです。 小さな生き物などは全て自分の子供のようにも思える心です。 また不思議なのは、このような心が自分から発していることが自然で、自分も共に同時に満たされるものを感じられることです。 いずれにしても体験の世界ですので 実際に体験してみなければ、どんなに言葉を尽くしても説明しきれるものでは無いと思います。

noname#82952
質問者

お礼

何度もありがとうございます。 本の紹介ありがとうございます。 週末に図書館で借りて、早速読みたいです♪ また、私の質問に対して丁寧な回答を下さりありがとうございます。 ナットクいたしました。 自分もまた自然の一部であるということを 実感することによって、他の生命に対しても 慈愛が注げるようになるのですね♪

その他の回答 (2)

  • yuyuyunn
  • ベストアンサー率41% (20359/48650)
回答No.2

こんばんは (3)だけですが 自分を見つめて極めるためだとおもいます 堂入すると何日目かで感覚がなくなってくるらしいですよ そうなると仏と自分と言うのが向き合ってくるらしいです 導かれると言うのか一体になるのかわかりませんけど 自分の命を掛けて行をしているわけですから 千日回峰行の途中で体調を崩した方が居たようです http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E7%94%9F%E7%94%9F%E6%B6%AF%E5%B0%8F%E5%83%A7%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E2%80%95%E5%A4%A7%E5%B3%AF%E5%8D%83%E6%97%A5%E5%9B%9E%E5%B3%B0%E8%A1%8C%E8%80%85%E3%81%8C%E8%B6%85%E4%BA%BA%E7%9A%84%E4%BF%AE%E8%A1%8C%E3%81%AE%E6%9C%AB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%A0%E4%B8%96%E7%95%8C-%E5%A1%A9%E6%B2%BC-%E4%BA%AE%E6%BD%A4/dp/4884748034 私はこの方の本は読んでいませんが 酒井大阿闍梨様の本は読みました http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E9%9B%84%E5%93%89 通常、御所は土足厳禁なんですね それと御所から見て鬼門の方向にあるため 封印する目的で延暦寺が作られたとも言われています 国歌安泰を祈るためにいかれるようです http://wadaphoto.jp/japan/ei1.htm

noname#82952
質問者

お礼

ありがとうございます。 >堂入すると何日目かで感覚がなくなってくるらしいですよ 通常我々は9日間も飲まず食わず眠らずという経験をすることはありません。 したがって、感覚がなくなる、というようなこともありえるでしょうね。 マラソンする人はランナーズハイになるとかいいますが 似たようなものなのかもしれないですね。 (マラソンはしないのでランナーズハイの経験はないですが) 本の紹介をありがとうございます。 No.1さんがおっしゃってるのはきっとご紹介いただいた本のことなのでしょう。 ぜひ読んでみたいです。 土足参内は、千日回峰行の始祖・相応和尚が9世紀半ば、草鞋履きのまま御所に入り、皇后の病気平癒を祈願したことにちなむものだったのですね。 相応和尚について調べると、いろいろな疑問が解けるかもしれませんね。 とても参考になりました。

noname#88701
noname#88701
回答No.1

千日回峰行は天台宗の密教の荒行として良く知られています。 行満した阿闍梨さんが書かれた本がありますので、そちらをお読みになった方がよろしいと思います。 昔TVで酒井さんがおっしゃっていた事が印象に残っています。 言葉は正確ではないかもしれませんが以下のような内容でした。 いつかは自分が雨の一滴となって 地面に沁みこみ、沢山の生き物を潤したい もう、仏様の言葉のようです。 こんな心には、普通の人はなれるものではないですね。 自然と一体になり、全ての生き物に対して深い慈愛を注ぐ心です。 千日回峰行は身も心も清められ純化される行なのでしょう。

noname#82952
質問者

お礼

ありがとうございます。 >行満した阿闍梨さんが書かれた本がありますので、そちらをお読みになった方がよろしいと思います。 本のタイトルなど教えていただけるとありがたいです。 >自然と一体になり、全ての生き物に対して深い慈愛を注ぐ心です。 修行することが、なぜ自分以外のものに対して 慈愛を注ぐことになるのでしょうか。 そこのところがわかりません。

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