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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:子育て!!勉強が全て?解っちゃいるけど・・なぜ?)

子育ての勉強についての疑問

このQ&Aのポイント
  • 子育てにおいて勉強は重要な要素であるが、それだけが全てではない理由を探る
  • 勉強が全てではないことを理解していても、勉強ができる方が良いという点について考える
  • 親は勉強を重視するべきであり、勉強ができない人だけが勉強が全てではないと言えるという視点

質問者が選んだベストアンサー

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noname#113465
noname#113465
回答No.3

そういう極端な話じゃないんですかね。勉強が大切じゃないといってる訳ではなく、勉強だけが大切なわけではないと言ってるんだと思います。勉強だけして良い点数取りさえすれば、あとの事は何も考えなくても良いという考えを批判しているんだと思います。 ときどきいるじゃないですか。子供に受験勉強だけさせて、身の回りのことも全てやってる親が。勉強しろとは言うけど、社会のルールを守ることの大切さを教えていない親がいるじゃないですか。そういう親のことを言ってるんだと思います。 私は学校の勉強だけ出来て社会のルールを守る意識の薄い人より、勉強は出来なくても社会人として普通の感覚を持った人のほうが幸せになる確率は高いと思ってます。もちろん、社会人として立派で勉強も出来れば言う事ありませんが。

その他の回答 (6)

  • satochu-
  • ベストアンサー率39% (22/56)
回答No.7

何か早とちりしているようです。 記載内容から判断すると、 勉強ができること、良い点数を取ること、 を否定してはいませんよ。 (勉強しろというのも否定していないと理解できます。) 人間性を磨くことを教えなさい、と言っているだけです。 (勉強できるだけでは、まともな大人にならないので) 勉強ができるに越したことはない、のは、ご質問者様のおっしゃる通りですし、他の回答者様のご回答でもご理解できるかと思います。 ご質問者様の善悪の基準について存じ上げないので、 就職~の件などについてはコメントを差し控えます。

回答No.6

高卒よりも大卒の方が、無視出来ないレベルで就職に有利です。 なのでnik670さんの意見にはほぼ全面的に賛成します。 >だからやはり勉強が出来るにこしたことがないので はないでしょうか? でも、人間ってそんなに器用な人ばかりじゃないんですよね。 ピアノは弾けた方がいい、でもそんな「~した方が」程度のやる気で弾けるようには普通はならないです。 勉強も同じで、明確な目標を持って取り組むからそれなりの学歴になるわけです。 だったら、無理矢理勉強させるより社交性を磨いた方がいいんじゃないかな? という事は言えると思います。

  • nazunazu
  • ベストアンサー率24% (29/120)
回答No.5

良い点数とって、進学の選択肢を広げて(実際には入るのが難しいとされる学校に狭まってしまいますが)、就職先の選択肢を広げることは、優れた人間になるための要素の1つと捉えてください。 本の作者もあなたも間違っていないのです。学校の勉強も必要です。そしてそれ以外にも必要なことが多くあるのです。

  • mazeran
  • ベストアンサー率42% (221/518)
回答No.4

>作者のように勉強できなくて成功した人だけが・・・ 受ける感じとして多いかも知れません。 でも学校での勉強ができる人って、単に「学力」があるだけです。 学校での学力を基に、学校での「応用」や「発展」と言う「力」があるだけで、なんら「社会」での「力」には100パーセントはリンクしません。 社会へ出て100パーセント役に立つものは、「人間性」だけなんです。 人間には「個性」と言うのがあって、本来はその個性をうまく伸ばしてやるのが本当の教育だと思います。 今の教育は、ただ、上の学校に「入るため」だけの教育となっています。 「英語」を習ったと思いますが、普通、何のために習うかと言われれば、「喋るため、会話ができるようにするため」でしょう。・・・でも、喋れますか?。 篩い分ける手段が構築し易い方法を取っているため、喋ることができないのです。 そんな英語を習ったところで、社会ではまったく何の役にも立ちません。 そんな「学力」は社会では欲していません。 個性を伸ばす教育をすると、偏りが出ると言われる方がいますが、そう言うことを言われる方々は、学力はあるが経験が乏しい、いわゆる「頭でっかち」なんです。 実際はどうかと言うと、もちろん全員がそうではありませんが、個性を伸ばす教育を受けたほとんどの人は、そのことに熱中します。 そうすると必ず「疑問」を抱いたり、「なぜ」そうなるのかを「調べる」行動を自ずから取るようになります。 面白いことに、数学だ国語だと世の中の勉強の科目は分かれていますが、物事をとことん突き詰めていくと、数学だとか国語などの「境界」がなくなって来るんです。 たとえば私は理系で数学が好きなので突き詰めて行こうと思ったら、必ず論文などの文献を見る必要が出てきます。日本語とは限りませんし、人によって書き方に違いがあります。そこで辞書片手に、一生懸命に英語なりドイツ語なりを自分の意思で勉強せざるを得なくなります。 天王星の衛星には、シェークスピアの登場人物の名前を付けることが慣例となっているそうで、天文学者がシェークスピアの勉強をしています。 又、天文関係の人は、物理、哲学、宗教などの分野の知識が必要となります。 まぁ、特殊な例かも知れませんが、どんな分野でも少なからず「系」を超えた学問に、自分の意思で向かうことが必要となります。 そして、情報を得るために、人とのコミュニケーションの技も得なくてはなりませんし、そうすると必然的に「社交」と言うことを意識します。すると人間としての「道徳観」が確立されていくわけです。 個性を伸ばす教育を通じて、人を何かにとことん「熱中」させる教育が、人を「教え」、「育む」ことだと思います。 他人を理解する心、他人を思いやる心、生あるものを慈しむ心など、「心」が人間にとって大切な基準だと思いますし、「心」は決して「学力」とはまったく関係ありません。 「学力」はあるが「心」のない人が医者になったらどうします?。まぁ、自然に淘汰されて来るでしょうが、怖いことです。 でも今の世の中は、このようなことが大変多いんです。 人間の価値を学力や職業で量ろうとする風潮や教育はやめるべきです。 個性を伸ばし熱中させることを教えることで、20歳を過ぎて社会へ出たとき、「人間らしく」生きることができると思います。 「勉強」だとか「学歴」なんて、あまり重要な要素ではありません。 それよりも、「人間」として「成熟」させることが、又はそうさせる過程が、子供の教育で大切だと思います。

  • rh0fs
  • ベストアンサー率33% (1/3)
回答No.2

本の執筆者の方の意図はわかりませんが、 私は勉強が全てではないという考え方には賛成です。 確かに、勉強はできた方がいいに決まってます。 何事もそうですが、できないよりはできるにこしたことがありませんし、 特に勉強は、将来の様々な分野やものの考え方・経験にも 役立てることが可能だからです。 しかし、そうした勉強のみを「最重要」とくくってしまう考え方は 少々危険なのではないかと思います。 勉強ができれば、良い大学に入れますし良い企業にも入れることでしょう。 しかし、人生はそこでゴールではありません。 上司や部下、取引先との関係や、結婚に至るまでもそうですが、 とにかく「人と接すること」が重要となってくるはずです。 そこで一番求められるものは何でしょうか? 少なくとも勉強よりは「人間性」だと思います。 人として未熟…つまり対人的に問題があるとすれば、 上司や部下、取引先との円満な関係は築けるはずもありませんし、 結婚にも人間性は最重要であるはずです。 (結婚には人間性より何より経済力重視な方もおられるかもしれませんが、 「精神面の幸せ」という観点から見てそういう考え方は省きます。) 結局、人としてのレベルは「人間性」で決まるものだと思います。 いくら勉強ができて、頭が良くても、それだけでは人との関係は良くなりません。 また、「成功している人」という定義ですが、 これもまた人にとって様々だと思います。 勉強ができて大企業に努めて経済力もあって家庭も持てて裕福で…。 これも間違いなく人生の成功の一つではあると思います。 しかし、勉強ができなくて、大学も出ずに普通の企業で働き、普通の収入を得ている人でも、 人間的に魅力あふれるが故に多くの人に好かれ、良い家族に恵まれ、 貧乏であってもそれで幸せを感じている人もおられるわけで、 そうした人もまた、人生において成功しているといえるのではないでしょうか。 そうした点から、私は「勉強が全て」ではなく、「人間性を育てること」も 重視すべきだと考えます。 乱文失礼致しました。

  • akiko0828
  • ベストアンサー率18% (341/1862)
回答No.1

たとえ勉強が出来なくても希望はあるということです、確かに今後は学歴よりも特技、何かひとつでも秀でたものがある方が成功すると思います。それもなかったら人格で勝負しかないでしょう^^; 親が勉強しろというのはその方が選択の余地が広がるからです。 中卒と大卒、大卒がコンビニの店員にはなれるけど中卒は外交官にはなれない。

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