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どこまでが英語の基礎で、どこまでが受験英語?

受験英語はTOEICや日常生活では使えないと言われてますが、いったいこの受験英語の定義とはどんなものでしょうか? どこまでがオールラウンドな英語の基礎で、どっからが使えないといわれている受験英語なのか。 皆さんのお考えを教えてください。 できれば、具体例を晒して頂けたら助かります。

みんなの回答

  • P-Tech
  • ベストアンサー率54% (144/262)
回答No.8

TOEICも「受験英語」ですよね(^^ゞ ま,質問者が「大学受験英語」のことを言っているというくらいの推測はつきますが。 語学の習得には,「読む」「書く」「聞く」「話す」の4要素がありますね。これを前提にすると,次のようなことがいえると思います。 (1)[大学]受験英語  →「読む」が中心で,その範囲で「書く」 (2)[TOEIC]受験英語 →「聞く」「読む」が半々 (3)日常生活英語    →「聞く」「話す」が最優先で,できればその次に「書く」「読む」 (1)[大学]受験英語の傾向 その昔(開国以降?),日本において,英語は,学問や知識を吸収するために必要になりましたよね? それ以前は「蘭学」がそうであったように。 ですから,その当時は,どうしても「書物」から吸収することが多かったと思います。それがベースとなって,学校教育としての英語が築かれてきたので,どうしても「読む」ことが中心の教育法になったのでしょう。 そうしたスタンスから言えば,「書く」ことも,「自然な表現で書く」ことより,「間違いなく正確に伝わる英語を書く」ことのほうが重要だったでしょう。 だから,「ネイティブはこんな表現はしない,こんな古くさい言葉は使わない。まるで古典を書いているみたい」などと言われるようになったのでしょう。 (2)[TOEIC]受験英語 これは,現実に使う英語,また仕事上で使えなければならないような英語に重点があるようですが,試験形式の問題から,「書く」「話す」は採点できません。 だから,「TOEICで900点以上取れても実際には十分に話せない」というようなことが言われるのではないでしょうか。 インプットとアウトプットとの間には,確かに壁があるでしょうから。 (3)日常生活英語 これはもう,分析の必要はありませんよね。言葉は生き物ですから,本来の文法上は間違いとなる表現であっても,現実に「使うものは使う」。文法的に正しい表現であっても,「こんな言い方はしない」。そんなことは,日本語でもいくらでもあることです。 しかし,英語ネイティブの人たちも,学校で論文を書いたり,会社で対外的な文書を書いたりするときには,文法的に正しい表現を使わなければならないし,それができないと卒業できない,出世できないという不都合が生じるでしょう。 日本語でも同じですよね。いい大人になってから,「正しい文章の書き方」などを勉強しはじめる人もたくさんいます。 一方,いかに日常的に使われている言葉とはいっても,覚えても価値のない(覚えない方がよい)スラングもたくさんあるでしょう。 そういうわけで,[大学]受験英語は,大変貴重だと思います。 日本でもそうですが,いくら口が上手でも,まともな文章が書けない人は,知性を疑われます。まともな文章を書くには,正しい文法力を前提とした総合的な「国語力」が必要です。受験英語は,英語を必要とする世界において,そうした「その人の最終的な評価」を決めるときに大きな力となるような気がします。

回答No.7

基本的には受験英語も使える英語です。 但し、日常(仕事や海外旅行や外国人との面談)などで使う頻度がすごく低いという意味で、「使えない英語」と言われるのかもしれません。 それよりも日常で使われる英語としては、意思を上手く伝える文章の構成能力などが要求されます。 会話であれば、適切にユーモアなどを加えたり、文章であってもわかりやすいような具体例を入れたりして、読者に意思を伝えることが重要です。 きっとネイティブでも使わないだろうなと思われるような単語や構文を使って話したり書いたりすることが意思を伝えやすい文章だとは思いません。 使える英語とは、「コミュニケーションツールとしての英語」と考えればいいのではないでしょうか?

noname#97866
noname#97866
回答No.6

どなたも気付いていませんが、一番大きいのはスタンスの問題です。 受験英語は間違いを非常に恐れますが、英語を使う上で重要なのは間違いを恐れない「図太さ」です。 確かに、使えない受験英語もありますが、これは割愛させて頂きます。

  • KappNets
  • ベストアンサー率27% (1557/5688)
回答No.5

受験英語、TOEIC、日常会話などとあまり分けて考えない方がよいと思います。いずれもが本当に必要な英語(=オールラウンドな英語)の「ごくごく一部」です。 受験英語は reading, writing, 文法が主体で、最近はようやく hearing も加わりました。テスト内容は結構オールラウンドだと思います。 TOEIC は主に hearing ですね(speaking は厳密にはテストされません)。ビジネス会話などの常識が加味されています。受験英語ほどの reading, writing 力は要求されていないと感じると思いますが、しかし TOEIC に挑むには実際には読書力も表現力も要るように思います。 厳密に言えば受験英語も TOEIC も日常会話はあまりカバーできてはいない気がします。若者会話やスラングがほとんど抜け落ちているという意味で。 日本人の場合、将来英語が必要になるのはビジネスマンやエンジニアなど仕事面が強いので、その意味では必要なのは「受験英語+TOEIC」ということになろうかと思います。受験英語の基礎の上に TOEIC に挑むということです。 私は高校生までは受験英語主体で十分と思います。受験というプレッシャが働くので必死に暗記します。よい刺激だと思うのです。その受験英語にも幅があって、外語大のレベルと名もない私立のレベルでは随分と異なるわけでしょう。是非外語大のレベルに近づいて欲しいものです。低いレベルの人が受験英語と TOEIC がどちらがよいかなどと比較してみても意味のない話です。

  • go_urn
  • ベストアンサー率57% (938/1643)
回答No.4

こんにちは!  受験英語は、大学入試を目的にしています。そして大学入試は、主に、専門課程に入ったとき、英語の資料が使えるようであってほしいというところを中心に考えますので、いわゆる難関校では、かなり高度の読解力が問われます。  読解ができるためには基礎の文法ができ、かつ語彙力もかなりなければなりません。文法は有害だという俗耳受けしやすい議論がありますが、それに誑かされてしまうと非常に困難な状況に追い込まれてしまいます。受験英語は、英語圏のインテリの書く比較的易しい文章を読むことを主眼に置いてきます。また文法と語彙の力を聞くために、和文英訳や自由英作文のような出題もなされることはご存知でしょう。  では受験英語があればすべてめでたしかというとそうは問屋が卸しません。聞けない、話せないという大弊害を生んでしまいます。国際的な場所に出てもこれではどうにもなりません。そこで、一昔前からコミュニケーション能力ということが重要視されるようになり、TOEIC というような各種検定試験の利用が勧奨されるようになったのです。  検定試験によっても違いますが、TOEIC の場合は、日常とビジネスシーンが半々くらいに配分されているような印象を持ちます。会話を聴き取る能力と、実用的な文書を読めるかに最大の比重が置かれています。そしてもう一つ問われる大きな要素はスピードです。じっくり味読するというような余裕は与えてくれませんし、ゆっくり話してもくれません。もう一度聞くなどということも許されません。こうした特徴が受験英語とは大きく違う点になっています。  mammal(ほ乳類)は難関校受験には必要でしょうが、TOEICにはまず出ないでしょう。また構文にしても、たとえばNo sooner ... than ~という構文は、TOEICでは出る確率は低く、どちらかと言うと受験英語専用でしょう。逆に、NHK でやってましたが a real pain in the neck(不快な奴)などという口語表現は受験英語には出ませんが、TOEICなら出てもおかしくありません。  このように機能分化していますので、受験英語で TOEICに完全に対応することは無理です。しかし受験英語がまったく無駄であるかというのは大きな誤解です。TOEIC が満点でも、知的な書籍が読めないことは十分にあるでしょう。TOEICが聞くのは、非知的な領域なのですから。  受験英語にも TOEIC にも、大きな共通部分があります。それは、1)基礎文法、と、2)基礎的語彙です。SVOCの文型の理解はどちらにも不可欠です。suit という動詞もどちらにも出る可能性があります。重なる部分はけっして少なくありません。ですので、まるで水と油のように考えるのも大きな誤りです。  そしてさらに重要な点は、受験英語も TOEIC も触れない部分が膨大にあるという事実です。どちらも受験生によって有利不利が生じないように配慮された試験ですので、政治、時事、宗教、また学問諸領域の専門的用語は問われません。一言で言うと、あたりさわりのないことしか聞けない運命を背負わされた試験なのです。tatalitarianism というよく使われる語彙はどちらにもけっして出されないでしょう。abortion しかり、conscientious objection しかりです。  しかし実際の生活で使われている英語はどうでしょう。当たり障りのあることしか面白くないのです。新聞や雑誌の面白い記事はすべて当たり障りのある部分に触れたものです。つまりオールラウンドな英語力というのは非常に大きな領域をカバーしているものであって(語彙でいっても5万以上)、われわれ外人は、ある特化した部分にのみとっかかっているのだという picture を持つことが大事だと思います。言語ですので、あるところが分かっても、それに数百倍する未踏の領域が残されているということです。  言語学習の功徳の1つは人を謙虚にするということかもしれません。若いうちは天狗になりがちだし(この馬鹿な私ですらそうでした)、また天狗になることは drive を与えますのでいい面もあります。しかしいずれ、結局あまり分からんナ~、という境地に収斂していくのではないでしょうか。  長くなってしまいました。  私の受験英語の定義です: 英語のあらゆる部分に通用する基礎的な文法力と語彙力で、一般的な話題についての英文の論述を理解し、ごく簡単なことについて英語で表現できるための知識・能力を養うもの。それに特化しているため、日常の口語表現、および、ジャーナリズムや個別学問領域が扱うような specific な英語は除外される。ユーモア、皮肉等の文学的な味わいもほぼ取り入れられない。  以上、受験英語のよい部分と限界の両方をお分かり頂ければ幸いです!

  • trgovec
  • ベストアンサー率52% (2538/4879)
回答No.3

指導する側の人、教材により受験英語というものが作られます。 入試問題を作る側が選抜しやすい問題を作る、学校や塾は生徒の要望に応えないといけないから‘受験対策’なるものを行い、その中で「頻出○○」「××の法則」「△△解法」などを作り出しなるべく効率的に‘得点’を上げようとする。こういうことをしていればTOEICや日常生活どころか読み書きの力さえ養成されません。 もちろん自主的に勉強できるなら、受験英語の中に身を置いてもそれを実用的な力にする人もいるでしょうし、受験指導をしながら実用的な力を付けられる指導者もいるかもしれません。 少なくとも今までは実用的な英語力で志望者を選別するのは時間や明確な線引きという点で現実的ではなかったからですが、今後入試を取り巻く環境が変わっていけばどうなっていくのでしょう。

noname#125540
noname#125540
回答No.2

>受験英語はTOEICや日常生活では使えない 使えないのでなくて、それだけでは足りない、ということなのではないでしょうか。 受験英語が基礎なのでは・・・・ 『英語学習7つの誤解』という新書がありますが、 12人+1人の達人の勉強方法で、受験勉強が役立ったという経験談がありましたよ。

  • masaqq
  • ベストアンサー率32% (10/31)
回答No.1

受験英語の定義、あるんですかねえ。 使えないという人もいるようですが、結局受験英語が基礎になっているんではないでしょうか。 野球がうまくなりたいという人でも、ランニングや筋トレもするでしょう。受験英語だけでは不十分というだけで、「使えない」というものではないのではないでしょうか。受験英語をベースにして、会話表現などを上乗せしていくものだろうととらえています。