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誰が出雲阿国?(阿国歌舞伎草子■踊念仏の段)
阿国歌舞伎草子(奈良市大和文華館蔵)の「踊念仏」の段に描かれている人物のうち、出雲阿国にあたるのはどこに描かれている人なんでしょうか。 男装しているということからすると、右端の首飾りをした黒い服の人のような気がします。 しかし、阿国を描いている絵であることから考えると、舞台中央手前に立っている、長髪で赤・茶の服を着た人のような気もします。 参考となるURLや文献があれば、それも教えていただけると幸いです。 よろしくお願いします。 http://www.kintetsu.jp/kouhou/yamato/tomo/pdf/99/1992_99_2_2p.pdf http://blog-imgs-1.fc2.com/y/u/g/yugyofromhere/img028.jpg
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服部幸雄著『江戸歌舞伎文化論』 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4582260241.html 「舞台で踊っているお国に呼びかける名古屋山三の亡霊(右端)。名古屋山三は異国風の服装の歌舞伎者風俗で、観客席の中から登場している。」 と、説明されています。
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初期歌舞伎でもっとも重要な演目だった「茶屋遊び」で男装をして、 それが評判を呼んだのであって、 <阿国イコール男装>なわけでもないでしょう。 この推定に基づくと、 犯人は、いや、阿国は、 赤いべべを着た人物ではないじゃろか?
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ありがとうございます。 阿国は、常に男役だったわけではないんですね! 長髪で赤・茶の服を着た人は、阿国本人であるということですね。 もし可能でしたら、参照できる文献等をご教授いただければ幸いです。
- goo-par1732
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#2です。 私は、絵巻や絵に興味があるのでこのご質問に飛びつきましたが、歌舞伎も出雲阿国についてもよく知りません。 前記の『江戸歌舞伎文化論』の一部を読んで、ご質問に関する回答となるように、内容を抜書きした私の結論です。 名古屋山三(かぶき者の代表者として虚構化が加わり伝説の人となったときは親しみをこめて「名古屋山三」と呼ばれた)の亡霊が見物の間から出てきて舞台のお国と話をするというストーリーは、史実の名古屋山三郎が美作・院庄で斬死した慶長8年(1603)以後、かなりの時期を経て創作されたものだろう。 このストーリーをこのまま「お国」が演じていたかどうかは、まったく分からない。 この絵が表しているのは、厳密に考えると、創作されたストーリーを演目とした「女歌舞伎」の舞台の可能性が高いです。 すると舞台の女役者は、後世「出雲阿国」と呼ばれる女性を演じていることになります。 >阿国が男装していないのは、珍しいことではないのでしょうか…。 お国の踊った念仏踊は「念仏踊に歌をまじへ、ぬり笠にくれないのこしみのをまとひ、ふしょうを首にかけて、笛・つづみに拍子を合せ」て踊るものだった、そうです。 しかし、年代や演出で変わっていったことでしょう。
お礼
ありがとうございます。 なるほど、この絵に描かれている女装した役者は、出雲阿国自身ではなく、阿国役を演じている別の女性ということなのですね。 奥が深いです。
- oska
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>舞台中央手前に立っている、長髪で赤・茶の服を着た人のような気もします。 歌舞伎の原型が、出雲阿国の芸だと言われていますね。 ご存知のように、当時の歌舞伎は「女性が主役」でした。 舞踏・芝居だけでなく、春も売っていたようです。 「風紀を乱すのはけしからん!」という幕府の命令で、役者を全て男児児童に代えて興行しました。 が、男色趣味の横行が始まり再度幕府からの命令が・・・。 「男児の興行はけしからん!」 そこで、今の「おっさんが歌舞伎を演じる」事が決まりました。 この歌舞伎の歴史からすると、舞台中央手前の女性が阿国でしよう。
お礼
ありがとうございます。 阿国歌舞伎は、男装した阿国が女装した男優と戯れる舞踊劇だと一般に言われていますが、 この絵は例外的に男装していないということなのでしょうか…。
お礼
ありがとうございます。 阿国が男装していないのは、珍しいことではないのでしょうか…。