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血道を上げるとは?
「血道を上げる」の使い方について教えてください。先日、ある新聞社の記事に、「一生懸命がんばる」の意味で、この「血道」が使われていました。本来の意味は、分別なくのぼせあがるといった 意味ですが、その新聞社の方が言うには「言葉は時代とともに意味が変わるのが通常。血道を上げるについても、今では、一生懸命に取り組んでいる様子を表すようになっている。新聞社は時代の先端を行くので、あえてそちらの意味で使用している」とのことでした。広辞苑には書かれていないのでお尋ねした旨を伝えると、「それは広辞苑のほうが間違っている」と一蹴されました。その説明者は「気のおけない」も同じである、と仰っていました。言葉の意味が時代と共に変化していくことは、当然でありますが、「気のおけない」については、本来とは逆の意味で使われることの多い言い回しとしてよく挙げられており、新聞記事のような公の場で、そのような意味で使うのが「時代の先端を行く」とは個人的には思いません。そこでお尋ねします。「血道を上げる」を、良い意味で一生懸命がんばることを表現するのに使われることが、そんなに広く浸透しているのでしょうか?その場合、新聞記事でそのような使い方をしても問題ないのでしょうか?
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>血道を上げるとは? 広辞苑には書かれていませんが、新明解国語辞典には書かれています。 ちみち〔血道〕血の通う道。血脈。「-を上げる〔=A異性・道楽などに熱中する。B異常な熱意をもってその事に当たる。Bは、やや皮肉った表現〕」 1994年発行なので少し古い版になりますが、「異常な熱意をもってその事に当たる。」という「一生懸命がんばる」と同じ様な意味は2番目の意味となっています。普通は良く使われる順に書かれますから、「分別なくのぼせあがる」という意味の方が広く使われているものと思われます。その上、「異常な熱意をもってその事に当たる。」という意味には、「やや皮肉った表現」とされていて揶揄するようなニュアンスを持って使われるようです。個人的にも「血道を上げる」に「一生懸命」の意味が広く敷衍しているとは思いません。 新聞は社会の公器です。多くの人間が読者ですから、表現は時代の先端を行くものを求められるのではなく、多くの読者に理解される表現を選ぶのが本来ではないでしょうか。何も「一生懸命がんばる」の意味に少数派と考えられる「血道を上げる」を使わなくても、普通に「一生懸命がんばる」と使えば良いのだと思います。「奇を衒う」表現としか思えません。 個人的な意見ですが、参考までに。
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- Ishiwara
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一所懸命にやっている人に対して「冷ややかに」見た言葉です。 「Aが、異性のBに<血道を上げて>いる」とは、発言者がBの価値を認めていない(なんでBなんかがいいのだろうね)、ということです。
お礼
ご回答、ありがとうございました。発言者のBに対して、どのように価値を判断しているかが分かるのですね。納得しました。とても勉強になりました!
- bee1015
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新聞で使われているような使い方は、知りませんでした。 ですので、質問者さんとNo.1の回答者さんの意見に同意します。 「多少は流布している、従来とは違ったことば遣いを無批判に使用する」ことを「時代の先端」とはいいません。 新聞が使うことで、ちがう意味(本来は間違い)の広がりに拍車がかかるのです。 「広辞苑のほうがまちがっている」! たしかにことばは変化するし、流行から定着した新語などが辞書に記載されるには時間がかかりますが、思い上がりもはなはだしい言い草です。
お礼
お礼が遅くなりすみません!先にご回答頂いた方と同じ日に投稿したつもりだったのですが、今見ましたら投稿されていませんでした。bee1015様の「新聞が使うことで、ちがう意味の広がりに拍車がかかる」とのご意見と同じ考えです。あの記事を書かれた方は、こういった世間の声を知る機会がないのかしらと残念に思います。
お礼
お礼が遅くなり申し訳ありません。大変、ご丁寧に回答いただいて、有難うございます。大変、勉強になりました。「時代の先端を行く表現ではなく、多くの読者に理解される表現を選ぶ」とのご意見には、なんだか気持ちがすっきりとしました!ひとつひとつの文章を、深くうなづきながら拝読しました。「一般人の参考意見」とありますが、言葉をとても大事にされているとの印象を受けました。本当に有難うございます。