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人生のテーマ
人生のテーマとは何ですか? どれだけ辛く厳しいことに耐えられるか?ですか。 それともどれだけのことが為せるか?ですか。 あるいはどれだけ春を謳歌できるか? なにかを知ることですか? また、自分にどれだけの可能性があるか、確かめることですか? 若くしてどれだけ辛く厳しいことに耐えられるか?という概念を持っている人は身近にいましたか?
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貴方の答えは概ね当たっております。しかし >どれだけ辛く厳しいことに耐えられるか は、目的ではなく、手段です。ただし、この世の中には、苦しまずに達成したことで長続きする幸福感を味わえた人はいない、と言うのが、人類の手に入れてきた経験則ですから、貴方も苦しみに耐えて下さい。 また、 >あるいはどれだけ春を謳歌できるか は、少しずれております。人生の中で、青春はあっという間に過ぎて行きます。そしてその後に長い長い赤夏と白秋が待っているのです。貴方が謳歌すべきは、青春ではなく、その後の長い夏と秋です。 若い方は、経験の無さ故に、自分だけが特別なことを考えていると思いがちですが、男性に限って言えば、けっこう皆同じことを考えております。皆が一様に、 20代は、夢を描いています。 30代は、仕事に没頭しています。 40代は、自分の健康を考えています。 50代は、引退後どうしようか考えています。 青春には体力があります。若い貴方が今成すべきことは、その後に来る夏と秋に長続きする幸福感を味わうために、青春を苦しみ抜いて巨大に成長して行くことです。
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(1)より神仏に近い境地に目覚めて行くこと (2)自分の個性を発揮して、より一層自分や他者や社会を輝かせて行くこと という呈示の仕方も一つであるかと思います。 順境でも逆境でも平境でも、 それなりに可能なことはあるかと思います。 (1)はやや内的に、 (2)はやや外的に、 ではありますが、 どちらも幸福感を伴うと思います。 こうした無限に近い幸福感を味わって行くこと自体が、 人生の永遠のテーマそのものだとも思います。
お礼
至極正しい回答を有難うございます。 内的には自分はかなり得意なほうだと思いますが、 外的には、未熟だと思います。 どうも他人に優しすぎる傾向があるみたいで、それは結局自分を貶めていた部分でもあったと思います。 もしかすると深く悩んでいるのでは、と考えすぎてしまうので。 逆境では自分が強く磨かれますね。 順境では調子にのりやすいという罠があります。 平境では、なにをすれば良いのかな? 油断しないのかのんびりするのか、様々な選択肢が多くあるような。 時間を無駄にしないことかな? しかし自分に厳しくというのは難しいテーマですね。 無限に厳しくすることが可能で限度がありません。 確かに無限に幸福を味わうことが、この世の理だと思います。 自分は色々なものに興味をそそられるのでその理を多く味わえる人間だとは思いますが、色々な部分にも気がつき、正しく楽しむには難しい性分かもしれません。
お礼の返事、ありがとうございます。中国の老子は、脳を否定し、無知をすすめています。仏教では自我を否定し、無我をすすめています。そして和風文化は、自我を否定し、心の癒しを追求しています。西洋文化は、自我を自己表現を追求しています。その理由は日本語を話して育った人は、脳の音感の構造が変化して、自然の音、川や風の音、鳥や虫の声に、敏感になり、自然の心や、情緒や癒しを、理解します。外国語は雑音に聞こえます。この事は大学の先生が、日本人の脳、大修館書店に書いています。だから和風文化を、体験すると、脳を休めて、心が癒されるので、今までなかった、新しい好奇心がわいて、人生に活力ができます。座禅、茶道、落語、演歌、文楽、日本画、能、歌舞伎、雅楽、書道、中国の太極拳などです、また脳が思考してる時は、人と大自然の心との交流を、脳が、遮断するのでストレスになります。脳が思考を休んで、脳波がアルファ波になると、人と自然が交流するので、心が癒されます いよいよ2012年からは、西洋の自我の脳の時代が終わり、日本の無我、自然の癒しの時代になります。
現代の人は、脳の思考に頼りすぎます。人を迷い苦しめてるのは、大脳新皮質です。脳が発達していない、動物や赤ちゃんは悩みません。人も脳を休ませて、脳波がアルファ波になると、欲望が消えて、心が癒され、満ち足りた、幸せな気分になれます。日本の伝統文化は、脳を休ませて、心を癒す事を、目的にしてますから、体験されたらと、思います。とにかく脳は悪者です。この世界で神、無我、大自然の心と脳、自我が対立しています。この世は脳と自然が交わったらどうなるか?というシュミレーションの世界です。
お礼
確かに現代の人は特に思考に頼る傾向が強いですね。 もう少し自然に生きていけたらと思います。 一方でやはり考えることも大変重要なことだと思います。 考えることと、思考に頼ることは別物だと思うのですが、一緒くたにしてしまうことで、おかしな社会が生み出されてしまっているのかもしれません。 日本の昔からあるわびさびや、気遣い思いやりは大変良いものだと思います。 回答有難うございました。
★ 人生のテーマとは何ですか? ☆ 問い求めるときに 知っても知らなくても よいことです。後者で 考えていきます。 ★ どれだけ辛く厳しいことに耐えられるか?ですか。 ☆ このあとの問いについても 同じような答えがつづくことになるのですが 《つらくきびしい》というとき どういうことで そうなのかが 問題です。 ★ それともどれだけのことが為せるか?ですか。 ☆ 同じように 《為せる》ことの中身です。言いかえると どんな職業に就くかではなく どんな仕事をしていても 《何を成すか》の《なに》は 誰もにとって共通の 大事なこととして あると考えられます。 ★ あるいはどれだけ春を謳歌できるか? ☆ 《成すべきこと(成すことができること)》はこれだということを おこなっていれば かたわらで みんなで一緒に 《春を謳歌する》ことができるでしょう。 ★ なにかを知ることですか? ☆ これは 職業のほうの問題です。そういう仕事もあります。したがって その知識や見識を なにに どのように用いるかが 問題です。つまり そちらのほうが 言うとすれば 《人生のテーマ》です。 ★ また、自分にどれだけの可能性があるか、確かめることですか? ☆ これも 《何のために》のほうが 問題です。 ★ 若くしてどれだけ辛く厳しいことに耐えられるか?という概念を持っている人は身近にいましたか? ☆ その目標が それほど高いものでもなかったですが いましたよ。昔は 《苦学》ということがありました。そして 目標は たとえば こう言っていました。《社会を指導していく立ち場に立つことを 仕事とするか もしくは 将来 社会を指導していく人間をつくる仕事(教育)に就くか どちらかだ》と言っている者がいました。
お礼
幼い頃は完璧を好み、線を引いたように自分に出来うる限りきっちり正しくとやっていました。 しかしそれでは、人生や世界における様々なことが経験できないし、理解もできません。 幅を持たし、制限を設けないことで、様々なことに挑戦や、知らないことを知る機会、また己の上限の突破も可能であることが理解でき、またたとえ上限を突破しても、社会や世界にはボーダーがしっかりとあり、それを越えすぎると、他者に迷惑がかかる場合があるということを知りました。 その上で、またやはり制限を自分で設けることも必要であると学びました。 人生のテーマは、知る必要は無いかもしれませんね。 終わった時に知るものかもしれません。
- mmky
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人生のテーマとは何ですか? 一人一人に人生のテーマは与えられています。個別のテーマと共通のテーマの2問は必須課題ですね。 2問のうち個別のテーマはご自身の問題ですからご自身の傾向性を客観的に見て、足らざるところを補えばいいだけですね。例えば、知識が足りなければ勉強すればよいし、短気であれば少し気を長くするように心がけるとか、十人十色、いろいろですね。つまり、いいところは伸ばして、足らざるところを補っていけばいいだけですね。個別のテーマは努力の程度で結果が出るだけの話ですから、やれるときにやっておくということから、「若くしてどれだけ辛く厳しいことに耐えられるか」といってるのでしょうね。知識なんかは若い時の努力のほうが成果が上がりやすいからですね。とはいっても一生の努力の結果ですから普通に長く続けたほうが一層効果的ですね。これが継続は力という意味ですね。 さて、もう一つの共通の課題が問題のテーマですね。これでほとんどの人が落第点とってますからね。答えは子供でもわかるものですがどういうわけか80年も生きるとわからなくなってしまうというもんなんですね。おぎゃと叫んで生まれ、いろいろ経験して死に至るという単純な繰り返しのなかで努力が大切と教えているし、理解もしてるのに死んだら何もなくなるとかを信じてしまう人が多いからですね。 個々の努力はつまりあなたの何を鍛えてるのか? と問うているのが共通のテーマということですね。 ということで誰しもテーマは簡単ですから迷わずに生きましょうね。
お礼
運命というか、それぞれに与えられたテーマがあると思います。 有難うございました。
- magga
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感覚から思考に移る過程で、「好き嫌いや自分勝手な妄想のトッピング」の情報の捏造が行なわれていると思います(パパンチャ)。 そこから無知・瞋恚・貪欲(三毒)を多く生み出す自我意識が生まれ、悩み苦しみが多く量産され無駄に苦しむのだと。 その捏造(パパンチャ)を破り、事実を知ること。「悟り」に達すれば、捏造・自我意識・三毒が絶たれると言います。 悩み苦しみを根本から抜き去ること。 これが幸福にいたる人生の目的と言って良いでしょう。 道徳たる十善をなし、八正道で智慧を育み、智慧と道徳を持って三毒を絶ち、事実を観る。 悩み苦しみの原因を絶ち幸福平安安穏にいたること。 もっと簡単に言うと。 心を調御すること。 と言っても良いかもしれません。 参考になれば幸いです。 では幸福であれノシ
お礼
安定した心を持つことがテーマといえる人もおられるのでしょうね。 ありがとうございました。
具体的には人それぞれなんですよね。 抽象的ですが、満足(自己満足)でしょうか。 どれだけ辛く厳しいことに耐えられるか。忍耐というのは、何かを目標にしてするもので、忍耐自体が目的ではありません。 ですので、おすすめしません。 何かを成す、何かを知る、可能性を確かめるは個人的な満足につながるものだと思います。
お礼
最後に満足できる人生なら、人生のテーマは乗り越えたということ なんでしょうね。
以前は自分とは何かを考えることかと思っていましたが、この頃は生きてみるというのがテーマではないかと思います。しかし生きているということそのものはわからないことでもあるようです。
お礼
いつまでたっても生きてみるというのはテーマですね。 良い答えだと思います。 有難うございました。
- Butz
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こんばんわ★ >人生のテーマとは何ですか? 私の場合はどれだけ人として人生を考え、感じ、生きれるかです。
お礼
その中で言うと、感じるというのが自分にとって今必要なテーマだと気付くことが出来ました。
お礼
赤夏と白秋 勉強させていただきました。 確かに20代は夢を描いていました。 大変ありがたいお答えどうも有難うございます。 とても参考になりました。