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あなたにとっての,「人生におけるテーマ」とは?
ひとりひとりが,みずからの「人生におけるテーマ」をもっていると,わたしは考えています。 あなたにとっての「人生におけるテーマ」とは,どのようなものですか? それは,あなた自身が常日頃から「問題意識」として持っているものかもしれません。 たとえば,わたし自身は「台湾系日本人」という立場から,「マイノリティである“わたし自身”が,いかにして“日本教(山本七平氏の主張するところの日本社会論)”のなかで生を営み,次の世代を活きるマイノリティの人々に,どのような“メッセージ”を伝えることができるのか?」です。
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わたしの生涯のテーマは「すべての人が、お互いを理解し、尊重しあい、差別や格差がなく、次の世代がそれぞれの夢に向かって希望を持って突っ走って行ける世の中を作る事」です。 そりゃあ、まことに古典人類とか誇大妄想とか言われながら、色んな方法論を身に着けて努力してきましたが、そろそろ次の世代に渡す準備を始めてます。少しはできたかな、かえって悪くしたかな、20年後に若い人たちに恨まれないかなと思う事しきりです。 ちなみにこのライフワークにおいて、他国にルーツがある方、二か国以上のアイデンティティを持っている方ってもの凄いアドバンテージを保有していて、「相互理解」例えば「ノルウェーと日本の架け橋」という事において実に素晴らしい貢献をなさるなあと思わせられます。純日本人の私は本当にチンケだと頭が下がります。 ご質問者様は素晴らしい社会を作る方だと拝察します。 わたしの心のよりどころ。 国際連合教育科学文化機関憲章 (ユネスコ憲章) 前文 この憲章の当事国政府は、その国民に代って次のとおり宣言する。 戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。 相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。 ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代わりに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。 文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。 長い引用をして申し訳ありませんが、この手の物は全部、終わりまで、すべての条文を読まないとお話にならない。と、痛感しております。
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- 2080219
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こんにちは。 No.2です。 メッセージをいただき、ありがとうございましたm(__)m 日本人と日系人……。 それが当たり前の人々と、そう在りたいと願う人々とも解釈できますよね。 願いながら努力し、苦楽をかみしめて生きる人々のほうが、 より”器”が大きな人間に育つ場合が多いのではないでしょうか。 私自身、皆と同じでありたいと願い続けて生きてきましたし、 そのような人生の中で、頭ごなしに物事を否定したり、 見極めもせずに拒絶する姿勢を、心から排除してきました。 日本は弱く小さな島国ですから、団結力で今を築いてきたように思われます。 台湾も、中国本土から別れ、日本と同様の立場で 伝統や文化、民族意識といったものを育んでいるように感じられます。 ですので、ある程度の頑なさは必要なのですが、 日本の歴史をひも解くと分かってくる通り、 遠い昔から、外国の難破船の乗員を手厚く迎え入れたりしていますし、 現在も、日本へ旅行に来て、不快感を感じて帰国する方は少ないのではないでしょうか。 一言も日本語を話さずに滞在している方々にも、 私自身を含め、拒絶することなく丁寧に接しているからだと感じます。 日本人の根底には、本来はそのような真心が流れているようです。 今現在の日本は、国際的にとても微妙な立ち位置にありますので、 バブル経済時代のような慢心からは抜け出しているとは感じますが……。 高度成長期やバブル経済期に人格形成が成された方々には、 あるいは、いまだに太平洋戦争時のゆがんだ感情を持ちづつけている、 もしくは引き継いでしまった日本人は、 私から見ても「何様のつもりだ?」という態度で、 周辺諸国の方々を見つめ、排除したいと願っている風潮もあります。 確かに、欧州諸国のように、主に労働力を補うために異民族を受け入れ、 民族的対立を誘発している事例もありますので、 「郷に入っては郷に従え」という論調にも一理あると思います。 これは、海外へ移民した日本人にも云えることですが、 よその地で「~タウン」のようなコロニーを形成しては、 異なるものを排除したいと願う衝動は動物的本能ですので、 やむを得ない側面があります。 そうでない、日系人の方々が避難や排除の対象になる事を、 ”私は”嫌悪しますし、同様の考えの日本人が多数派ではないでしょうか。 長くなりましたが、 それでも、”器”の大きさは人生経験によって決まるものだと考えておりますので、 「どちらが?」と問われれば、日系人の方のほうが、 より大きな器を持っている”場合”が多いと感じます。 ではでは(^_^)
お礼
すぐに対応してくださり,ありがとうございます。 「活きるための術」を見出すために,さまざまな「経験」されたことは,あなた自身にとっても,プラスになったと,わたしは思います。ほかの人々と「団結」できるようにすることのみならず,みずからのアイデンティティをまもることは,大変なことですが,とても意義のあることだと,わたしは思います。 さて,台湾社会におけるアイデンティティの形成においては,いわゆる228事件以降のホワイトテラー(いわゆる,GMDに反抗する,GMDのやり方に反対する人間は,その次の日以降,人々の前から姿を消す,というもの。),さらには,民進党政権の成立,台湾経済成長と共に,急速にすすんだ,経済的な面における中国大陸進出など,さまざまな「事情」がからんでいます。それは,容易に理解できるものではありません。そういった「事情」を乗りこえて形成されたのが,現代台湾社会におけるアイデンティティの形成につながりました。 あなた自身は,日本人のもつ「他者にたいする,やさしさをともなったまなざし」について触れました。わたし自身,いわゆる「ガイジンの子供」であったことから,学校の先生たちからは「あつかいにくい子供」というレッテルを貼られました。(先生の持っている,いわゆるブラックリストのようなものがあり,そこにはわたしの名前のほかに,片親の子供の名前も載っていた。片親だけで,「腫れ物」あつかいすることに,何かしらの「フマン」を感じました。)しかしながら,そういった事情があったものの,ひとりの先生だけは,わたしのみならず,わたしの「ガイジンの親」にたいしても,尊敬の念をもって接してくださった人物がいました。ですから,わたしは日本人にたいしては,そのほんとうの「心の内」とは,いわゆる「ジャムおじさん」的なものであると理解しています。 あなた自身は,いまの国際社会における日本の立ち位置に,何かしらの問題意識をもっているとのこと,確かに,バブル経済崩壊後は,いわゆる「ジャパン・マネー」が外交的,あるいは,政治的戦略としての「強さ」に「かげり」がみられるようになったと,わたしは考えます。それと同時に,排外主義の高まりがみられるなど,「一刻を争う事態」になってしまったと,わたしは考えます。 さて,あなたは移住者のコミュニティについても言及されましたが,日系人のコミュニティにおいては,高等教育を受けた人々が,どのコミュニティにもいたと理解してください。これは,日系人コミュニティにとっては,ほんとうに「フォーチュネイト」なことでした。旧制高校を卒業した経歴をもつ一世や,UCやスタンフォードを卒業した二世や三世など,彼ら彼女らの「リーダーシップ」があったことにより,メインストリームの社会との「つながり」を構築できたのみならず,みずからのコミュニティの「発展」にも,良い意味の影響をもたらしました。 いわゆる,ニューカマーとよばれる人々が排他的なコミュニティをつくることの原因のひとつに,メインストリームの社会との「つながり」がないことが挙げられます。日系人コミュニティにおいては,メインストリームの社会との「パイプ」があったことから,みずからの日系人としてのアイデンティティを守りながらも,それと同時に,アメリカ社会に適応できるようになったと,そのように考えるべきです。現在,日系人のみならず,アジア大洋州系のコミュニティが,メインストリーム社会に受けいれられつつも,みずからのアイデンティティをまもる傾向にあります。 日本社会においても,そのような「傾向」によって,いわゆる民族差別の問題などが解決の方向に向かうと,わたしは考えます。しかしながら,その実践にあたっては,いわゆる「単一民族」との「決別」がひとつの条件となります。はたして,それは可能なのでしょうか?
- raski
- ベストアンサー率34% (140/403)
お礼ありがとうございます。 あなたはとてもご立派です。 あなたのような方がいれば安心です。 あなたの行動は、いずれ祖国台湾の為にもなると信じます。
お礼
すぐに対応してくださり,ありがとうございます。 わたしなりの「バックグラウンド」を活用して,とても大きいことではありますが,人間同士の「対話」をすすめること,それを円滑にするための,いわゆる「潤滑油」的な存在になりたいと,わたしは考えていますし,そのための努力も,少しずつですが,やっています。 エールを送ってくださり,ありがとうございます。
気はながく 心はまるく 腹たてず 不平不満や愚痴いわず 人と比べず 人を羨まず なにごともひかえめで 質素に徹し 妻をいたわり 思いやり 妻に感謝 家族は仲よく 互いに助けて 信じ合い 親に感謝 子どもに感謝 笑顔に感謝 今日の私は多くの人たちのたまもの 支え見守ってくれた 親族に感謝 恩人に感謝 そして友人に感謝 健康第一 節度を守り 油断は大敵 今日も元気で 頑張れることに感謝
お礼
回答ありがとうございます。 すごく「日本的」なものだという感想をもちました。 良いことだとおもいます。
- 2080219
- ベストアンサー率32% (627/1954)
こんにちは。 私は純粋な日本人ですが、 精神的にといいますか、性格的に、 いつの時代もマイノリティでした。 ”大多数”と意見を共有できない性格なのです。 現在の、冷徹な社会情勢も気に入りませんし、 KY等と言って、他人の顔色ばかり気にする風潮も大嫌いです。 あなたも、日本国籍なのでしたら立派な日本人ですので、 そのことで悩んだり、引け目を感じることは全くありませんよ。 日本は単一民族国家ですので、 かえって多民族の方には友好的だと、私は感じます。 生まれ持っての偏見が少ないからでしょうね。 多民族国家では、宗教、つまり価値観の根幹が異なりますので、 最終的な部分での折り合いがつけづらいのですが、 あなたは日本でお生まれですから、日本人と変わらない思想をお持ちの筈では? 朝鮮学校に通ったりすると、異なる思想を持つこととなり、 あなたや私のような日本人とは、相容れない思想を持ってしまいますが……。 ☆ この教えは、神社庁がポスターにして貼り出しているものです。 神社は、ご存じの通り日本の成り立ちそのものです。 驚くべきことだとお感じになるはずですよ、 ”神を敬え”とは一言も云っていません。 http://blogs.yahoo.co.jp/qazxswedcvfr2004jp/57102280.html 是非、ご参考になさってくださいませ。 ではでは(^_^)
お礼
回答ありがとうございます。 あなたのような人々がいることによって,さまざまな意味において,さまざまなアスペクトにおいて,「健全な社会」がまもられていると,わたしは考えます。 それでは,わたし自身の今までの経験をもとに,わたしなりの日本社会にたいする「考え」を少しだけ書きます。いわゆる「単一民族の社会」ほど,「異質性」にはとても敏感になります。それは,「良い方向」であっても,「悪い方向」であっても,両方です。わたし自身,アンフォーチュネイトなのだったのかもしれませんが,みずからの「多様性」が悪く評価されたことが多々あったことから,みずからの「ミックス」としてのアイデンティティに,なにかしらの「負い目」を感じていました。現在も,たまに,そのように考えるときがあります。 わたし自身はいわゆる民族学校に通ったことはありません。しかしながら,エスニック・スタディーズを専攻していたこともあり,多くの日本人が考える以上に,いわゆる「民族学校のような影響」をうけています。だからといって,日本人と分かりあえないとか,仲良くなれない,そういうことではありません。わたしなりの,「日本理解」があって,それにもとづいて,わたしは日本人,いわゆる純日本人とよばれる人々と「コミュニケーション」をとっています。 「エスニシティの違い」ほど,当事者でないと,あるいは,当事者と近い間柄にいないと「理解」できないものは,ないのかもしれません。しかしながら,マイノリティではあっても,わたしは日本や,いわゆる「ジャパニーズ・エスニシティ」を,誰よりも愛しています。そして,それを真心をこめて教えてくださったのが,じつは,日系人であったことについて,いわゆる純日本人は「真摯な態度」で考えてほしいのです。本来ならば,わたし「も」日本人です。しかしながら,わたしは過去に,いわゆる純日本人によって,それを「否定」されました。しかしながら,日系人はわたしに,そのような態度を一切とりませんでした。 日本人と日系人,どちらが,「器の大きな人間」なのでしょうか?
- alterd1953
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昔、ある人が言った「クリエイトこそ我が信条」という言葉に感銘を受けました。 ですので、常に何らかのクリエイティヴなことに関わって生きていたいと思ってます。 なので、20才までは漫画家志望でしたし それ以降はジャズ・ミュージシャンを目指しています。
お礼
回答ありがとうございます。 わたし自身も,クラシック音楽を勉強していたこともあり,時間はとても限られているものの,ピアノに触れるようにしています。 他者のために音楽をパフォーマンスすることは,容易なことではありません。しかしながら,その意義はとても大きいものです。さまざまなものに触れて,感じとって,それらを「糧」にして,聞いている人々の「心」に響くような音楽をつくってください!
お礼
回答ありがとうございます。 わたし自身は,台湾系日本人でありながら,日本人と日系アメリカ人のあいだの「まじわり」に,積極的にかかわっています。いわゆる「半分だけ日本人」ではありますが,いわゆる純日本人以上に,日本,日系人,日本の文化や価値観にたいしては,「特別な思い入れ」をもっています。 本来ならば,台湾系日本人なのだから,日台間の「まじわり」にかかわってほしい,そう考える人々もいるかもしれません。しかしながら,わたし自身,台湾との「関係」は特別なものではありますが,それ以上に,みずからの「ジャパニーズ」の部分に「特別な愛情」をもっています。「父の国ニッポン」は,わたしにとっては,かけがえのないものだからです。(もちろん,「母の国台湾」も大切ですよ!) 日本人と日系アメリカ人,日本人が「戦争」を起こしたから,日本企業が日系社会を「軽視」したから,さまざまな「事情」があって,いまだに日本人と日系アメリカ人の「関係」は,多くの人々が考えるほど,「良い」ものではありません。どちらかというと,いとも簡単に「摩擦の関係」になってしまうと,わたしは考えます。なぜならば,日本人,いわゆる純日本人が,日系人を「理解」しない,できないからです。 わたし自身,日系人コミュニティのために,何かをすることを,人生のテーマのひとつにしていますが,それと同時に,日本人にも日系人の歴史を理解するための「チャンス」をつくることにも,積極的にとりくんでいます。