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天才と呼ばれた故人達
天才と称される故人は、生前、自身が天才だという自覚はあったんでしょうか? そのようなことを考えなかったのか。 自己に対する認識を考えないわけがない。 自分を天才だと思った時点で天才ではない? 満足を覚えず探究心を維持しただけでは? 表立って謙遜していても、自分は天才だという自覚が有ったと思いますか? 変な日本語ですみません。聞きたいことは伝わったと思いたい。
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こんばんは、 逆説的な言い方になりますが、 貴方自身は、自分の才能や他人との違いを100%ご存知でしょうか、 まったく他人と比べることなくして、自分の才能を自覚できるでしょうか 天才だって、頭のデキは違うかもしれませんが、後は普通の人間です。 たぶん、自分自身の特質、才能をすべて把握している人間はいないでしょう。 コミュニケーション心理学の、「ジョハリの窓」と言って、 人間には気づきの4つの領域があると言われています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%81%AE%E7%AA%93 天才とか凡人とかに関係なく、「ジョハリの窓」は人間の知覚の特性なので、 人間である限りそれから逃れることは出来ません。 どんな天才でも、自分自身が基準で生きています。 そして、天才の天才たるゆえんは、業績や栄誉によるものです。 業績や栄誉を確認したときには、天才にとってその業績は過去のものになっていて 新しい課題にとりかかって、いて過去には興味がない可能性もあります。 ※勿論、業績が評価されたことそれ自体は、大変に嬉しいものかと思われます。 (世界に認められるのですから。) 「天才は、99%汗と1%の才能である」のなら、 > 天才と称される故人は、生前、自身が天才だという自覚はあったんでしょうか? (理由は上記)天才という自覚はなかっただろうと思われます、 自分が天才だと思った瞬間に、自覚は“驕り”へと変わります。 心に“驕り”が入ったとたんに、人間は怠惰になり、 また、その“驕り”を維持するために色々と忙しくなります。 一点に向かっていた力が、分散して行くため、研究などへの力が削がれてしまいます。 この時点で、天才は名誉を気にする凡人に成り下がります。 “名誉”は本物の天才にとってあくまで、過去の業績に対しての評価です。 > 満足を覚えず探究心を維持しただけでは? 私見ですが、現状に満足できずに努力を続けることのできる才能を、 実績の在る無しにかかわらずに“天才”と呼ぶものだと思っています。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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人によると存じます。
お礼
ありがとうございます。ご存知なんですね。 でしたら、krya1998さんが存じ上げている故人を引き合いに出してお教え下さい。
お礼
「ジョハリの窓」 教えてくださってありがとうございました!