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あなたは すくわれていますか
質問としましては 題名とは少しちがって 次です。 ○ ひとは なぜ すくわれているのに すくわれているとは言わないか? へりくだり・遠慮・はにかみなどの事由は 別としてください。 民主主義の世界が 理論上 出来あがりました。 人びとは 世界宗教のいくつかや世界の哲学思想のあれそれに 造詣を深くして来ています。 それぞれ 人間と社会とについて 一家言を持つに到っています。 これだけ おのおのが 共生のちからの素を培って来ています。 ▲ (コリント前書4:7) ~~~~~~~~~~~~~~~ あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。 もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ でもありますから なぜ 救いを得たと言うのをためらうのでしょうか? この世間に生きるときには 何か そういうふつうの生活の確立を阻み また その確立を明らかに述べることが憚られるといった要素が 亡霊のごとく 飛び交っているのでしょうか? なぜ すなおでないのでしょう?
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補足
easy_allさん ご回答をありがとうございます。 あぁ そうですか。そうなんですか。サルトルのことですが。 実存主義も サルトルも 間接的にハイデガーも 論じようと思って触れたわけではありませんし そこまでの定まった評価を わたしは 持っているわけでもないのです。弱りましたね。 専門の方に 飛び入りでもしていただいて さらに第三者からの判定を加えられれば よいかとも思いますが どうしましょう。 紹介されているサルトル評について できる範囲で 感想を述べておくべきでしょうね。 ▲ 「サルトルの言う自由は、徹底的な価値否定の上に成立つだけに、いかにも無内容であり、責任と表裏だと言われても、何に対する責任なのかが見えにくい」(片山洋之介) ☆ これは 素人目にも おかしいと言ってよいのではないでしょうか。 ▲ サルトルの言う自由は 徹底的な価値否定の上に成立つ ☆ でしたら なおさら 哲学の原点であるように思いますが。たしかに 原点というのは いわば無味乾燥であり ▲ 無内容であり ☆ と言われても 仕方がないところですが それを言って 批判したというのでは 《論評》という文字じたいが 泣きます。 ▲ 責任と表裏だと言われても、何に対する責任なのかが見えにくい ☆ 《見えにくい》ことと 《自由と表裏となった責任がない》こととは 別です。こんな評論を いまどきの学者は しているのですか。これは おどろきです。むろん その後の追跡をわたしがしていなかったことの証明になるのですが それにしても 日本の哲学思想は いったい どこへ行ったのでしょう。 と口をすっぱくして 愚痴りたくなりますね。(間接的に easy_allさんを 批判したことになってしまいましたが)。 ★ この<価値>を、現実世界で体感できないのが、現代の課題だと私は考えています。 ☆ 《体感できないけれども この〈価値〉を問い求めている(――あるいは 〈すくい〉を求めている――)なら そこには すでに すくわれている姿がある》と わたしは 言っています。なぜなら 《問い求めている》のなら 《すでに――言ってみれば 知識や見識としてではなくても いわば魂においては――知っている》と言えるからです。人格の問題としては そこまでの境地を すでに 潜在的にでも 知っていると思われるからです。知っているからこそ そのさとりや すくいを問い求めると言うべきだからです。知らないものについて 《価値》とは言わないでしょう。 もし どうしても求めても得られないということでしたら そのかたちのない希望において 求める者は すくわれている。と言うべきでしょう。そこから 新たな出発ができるでしょうし 新たな局面が開かれるかも知れません。そういうものです。 ☆☆ 社会的なコミットメントを意味するアンガージュマンは 自己に 逃れる余地を もう 作らないわけですから 前向きの姿勢であるように考えます。どうでしょう ☆ 少々 しつこいですが このように 公共の場で 社会にかんする発言をおこなうならば とうぜん 文章責任が生じます。その答責性を果たすべく 努力するのは ふつうの姿です。――という受け取りが ふつうの批評なのではないですか。 振り子が もう一方の極に振り切るかのような批判をするとは 初めっから 何も理解していなかったことの証明ですよ。 けっきょくのところ easy_allさんのご回答にも けちをつけてしまったようですが これは ごくごくふつうの ごくごく率直な反応になるのだと思いますが どうでしょう。