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ホロコーストとunspeakable

このカテゴリーでいいかどうかわかりませんが、ホロコーストを扱う書物などにunspeakableという形容詞がついているのをよく見かけるように思います。それは単に、言葉で表現できないほどひどいこと、というだけなのか、それとも、誰か有名な人物がホロコーストについて「語りえない」というような言い方をして、そういうアリュージョンとしてみな使っているのか、どっちだろうという疑問があります。どなたかご存知の方ご教示ください。

みんなの回答

回答No.5

 すみません。お役に立てなかったのですが、どうしても、もう一言申し添えたく思いまして。  それは、絶滅収容所に送られたユダヤ人たちが「無意味に引き伸ばされた死の時間を生かされていた」ということです。  そこに送られた時から、彼らは自分の運命を知っていたのです。「いずれ死ぬ」という。  実際、実に些細な理由で彼らは殺されました。床の磨き方がいけない、バスタブに垢が残っている、挨拶のとき目を合わせた…とか。  それだけで、彼らは頭に弾丸を撃ち込まれたのです。  何もできない。何をしても無意味。すでに死んでいる生の時間。その時間の一分一秒のために、彼らは同胞を売りさえした。自分が生きるために。  生まれた瞬間、いずれ死ぬことは決まっている。  それは、私たちも同じことです。でも…彼らのことが理解できるでしょうか。私たちに。  哲学の言葉が、思想の言葉が、彼らの心情を私たちにつないでくれるでしょうか。  私にはわかりません。  すみません。またしても、自信なしです。

回答No.4

 お礼拝見しました。ありがとうございます。  レヴィナスの引用および解説の試みですが、もっと単純に言い換えると「他者からは決して見えない《私》の部分がある。それは他者によっては語りえない」ということです。その部分を決して汲み上げることの出来ない歴史叙述は、《私》にとって暴力に他ならない。そういうことです。  それで、unspeakable。  レヴィナスの影響力は小さくはなかったですよ。リトアニア生まれのユダヤ人としてあの時代を生きた人です。同胞のユダヤ人たちに何が起こっているのか知りながら生き残ってしまった「恥辱」。これがあの人の知的営みの核心で蠢いています。そしてSSの拷問者についてさえ「顔がある」と認め、許し、「汝殺すなかれ」という非戦の思想を説いたのです。大きな人でした。それに見合うだけの影響力もありました。  でも、彼の思想内容そのものが、ホロコースト関係記録者の多くに浸透するほどのものであったかどうかはわかりません。ホロコーストを語る際のunspeakableという語に特別な意味合いを付与し、それがあたかも記録者たちにとっての約束事であるかのように普及させたような人がいたかどうか…こうなると、心当たりはありません。フーコーではなさそうです。  どうも、お役に立てなかったようです。申し訳ありません。

  • mataza
  • ベストアンサー率37% (6/16)
回答No.3

まったく自信はないのですが、ひょっとしたらクロード・ランズマン監督の 映画『ショアー』と関係あるでしょうか。ご存知かもしれませんが、『ショ アー』は非常に特異な映画で、9時間半にわたるフィルムの中には一切資料 映像が使われておらず、撮影時の証言のみから構成されています。それは、 ランズマンが「絶滅の歴史を物語ることの不可能性から出発した」と語って いるように、まさしく「決して語り得ぬ記憶の痕跡」を伝えようとする試み であったといわれています。 #見当違いな回答でしたら、申し訳ありません。

参考URL:
http://www.mmjp.or.jp/BOX/database/shoah.html
回答No.2

 「その文脈見たいな」という思いがありますが。(^^;  とりあえず、レヴィナスの『全体性と無限』の一節を。(訳:港道隆氏) (引用)  運命、それは、死者たちの作品を解釈し、つまり使用する歴史編纂者たちの歴史、生き延びた者たちの物語である。この歴史編纂を、この暴力を、この隷属化を可能にする歴史的隔たりは、意志が自らの作品を完全に喪失するために必要な時間によって測られる。歴史編纂は、生き延びた者たちが、死せる意志たちを我有化する仕方を物語る。それは、勝利者たちが、つまり生き延びた者たちが成就する簒奪に基づく。   (中略)  歴史の裁きは見えるもののなかで言表される。歴史的な事件は優れて見えるものであり、その真理は明証のうちで生起する。見えるものは、ある全体を形成し、あるいは全体性へと向かう。それは弁明を排除する。弁明は、あらゆる瞬間に、その主体性の、乗り越ええない、包括しえない現在を全体のなかへと挿入することによって、全体性を解体するのだ。 (おわり)  「出来事」が語りえなくなることについて関連する箇所はまだまだありますが、きりがないのでやめておきましょう。  前の方は、歴史を記述することの暴力性を指摘した部分です。「私」という一個の実存の物語は、「私」が死に、その物語を閉じると同時に他者のものになります。「私が他者に所有される」のです。生き残った者たちは、その物語を連続性(レヴィナスの語では「全体性」)の中につなげていきます。が、しかし、そこで記述される連続性=歴史は、もはや「私」という実存を切り捨ててしまっているのです。「私の実存」という物語は、もう「私にとってそうであったような形」では掬い取られず、不連続の闇の中に消し去られてしまいます。この暴力性です。この暴力性のゆえに、「語りえなく」なっている。  もし、このような意味合いでunspeakableという語が使われていたとしたら、それは、そのホロコースト関連書著者の「あの時、あの場所で死んでいった彼らの《私》には、決して触れることができない」という慨嘆が込められている可能性があると思います。  後の引用文に見える「見える歴史的事件」も、生き残った者による歴史編集を指しています。生き残りは「見える出来事」を連続的な歴史の物語へと全体化します。が、前述したように、そこでは《私という実存》は掬い取られていません。この《私という実存》に、まことにはかなくもささやかに残された接触の余地が「弁明」という言葉で表されています。しかし、これは「見えないもの」なのです。不連続なものなのです。これが持ち込まれれば、連続性は解体されます。歴史叙述は不可能になります。  この点を考慮しますと、unspeakableには「自分がこうしてホロコーストの歴史を記述していることは、自分の意図・願いに反して《弁明》を葬り去る営みに他ならないのかもしれない」という自責の念、哀惜の念が込められているかもしれません。  いずれにしても、元の文脈を拝見していませんので、上記のような解釈を述べましたことは私にとって少々冒険的なことです。よって、「自信なし」とさせていただきます。  でも、興味を抱きました。何かご返事がいただけたら幸いです。 jp

tacobe
質問者

お礼

詳しいご説明をありがとうございました。私にはちょっと難しいのですが、いずれにしても文脈といわれると、本当はちょっと困るので、というのは、具体的な内容というよりは、書物の題のリストのようなもので、何となく多くの人が同じ表現を使っているような気がしたのです。ということは、別の言い方をすれば、小さな文脈とは無関係に、ホロコーストであれば「語り得ない」という言い方が定番であるような、圧倒的に影響力のあった発言とか、あるいは知的歴史的伝統の概念のようなものがないのだろうか、という疑問です。そういう大もとがもしあれば、あとは、レヴィナスであれ誰であれ、個々の文脈や事情や主旨に応じて、その表現を使うのではないか、と思うわけです。

回答No.1

 たいていは「筆舌に尽くしがたい」とか「口にするもおぞましい」とかいった辞書的な意味合いで用いられている可能性が高いと思います。しかし、エマニュエル・レヴィナス(ユダヤ系フランス人哲学者)やミシェル・フーコーの影響を受けた著作であれば、「消し去られ、不連続の闇の彼方に葬られた、語りえない出来事」という意味合いが込められている可能性もあると思います。  そのような気配がありますでしょうか? あれば、この場で何事か語れるものがあると思います。 ne.

tacobe
質問者

補足

はっきりはわかりませんが、単に辞書的な意味というよりは、明らかに何か大きな文脈に属する表現のような使い方であるように感じています。レヴィナスやフーコーにはそうした考え方があるのでしょうか。

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