• ベストアンサー

これはどういう意味でしょうか?(読解力のない私・・・)

こんばんは。 私は読解力がないので、今読んでいる本にどうしても理解できない部分が出てきてしまいました。 (外国語を日本語に翻訳した本なので、言葉がわかりずらいのかもしれないです・・・) それは、 「ただし、あまりに中ぐらいになろうとしないでください。あまり幸福を感じすぎる結果を生みかねませんから。狩が終わった後で、ライオンはやっとお腹一杯肉を食べることができるものです。」 という文章です。 とくにわからないのは、 「あまり幸福を感じすぎる結果を生みかねませんから。」 がよくわかりませんでした。 中ぐらいになろうとしすぎると、とっても幸福になれてしまう、という意味でしょうか? ちなみに、この文章の前には、 「中ぐらいであれば、人は幸せになれる。完璧主義をやめるべきだ!」ということが書いてありました。 回答よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.5

>中ぐらいになろうとしすぎると、とっても幸福になれてしまう、という意味でしょうか? :そのとおりです。 「幸福を感じすぎる結果を生みかねませんから。」 の「~しかねません」という表現は、【懸念】を現しています。 「幸福を感じすぎる結果を生んでしまう危険性がありますから」 という意味と同義です。 #3さんが指摘されているように、 「あまり幸福を感じすぎる結果を生みかねませんから」 という表現はおかしいですね。 ここは「あまりに」でなくては不自然でしょう。 その前の、 「あまりに中ぐらいになろうとしないでください」 という表現も不自然ですね。 ここは逆に「あまり」とすべき箇所です。 「ものすごく大きい(小さい)」という表現はあっても、「ものすごく中ぐらい」という表現がないのと同じです。 「中ぐらい」で十分程度は示していますから、「あまりに」という言葉で「中ぐらい」の程度をさらに強調する必要はありません。 「あまり」とした場合、これは「中ぐらい」ではなく「なららいでください」という箇所に掛かっていくので自然になるのです。 穏やかな平凡が幸せということは事実だが、あまり平凡ばかりを目指していると(精神的)生活にメリハリが無くなって、本当の意味での幸せを忘れてしまうよ。 というお話なのでしょう。  

その他の回答 (4)

noname#200115
noname#200115
回答No.4

下手な翻訳なので全体に反応する気が起こりません。 細部のほとんど誤訳に近い点だけを示しますと、 「あまり幸福を感じすぎる結果を生みかねませんから。」 副詞「あまり」は不適切な使い方ですからこの文全体の意味がはっきりしません。 「あまりにも」にすれば否定的な後半を予想させる働きが生じますので読んですんなりわかります。。

  • P-Tech
  • ベストアンサー率54% (144/262)
回答No.3

質問者の読解力の問題ではありませんね、これは。 日本の翻訳者は、今でもやはりこの調子なのですね…。 ま、それは置いておくとして、私の理解したところを私の言葉で表現すると、次のようになります(「ちなみに~」以下を含む)。 人間は、最高の結果が得られなくても、そこそこの結果を手にすることができれば、十分幸せを勝ちとることができる。「キリのない上」を求めすぎてはいけない(そのことでかえって幸せを逃すことにもなりかねない)。 ただし、「そこそこの結果しか求めないから、そこそこの努力しかしない」という態度はよくない。それでは、「ぬるま湯に浸かったような生活」になってしまう。そうした「生ぬるい幸せ」は、長く続くものではないし、早晩、そうした生活をあなた自身が「幸せ」だとは感じなくなるだろう。 私たちが目にする百獣の王・ライオンは、時として、暑いサバンナでだらけた姿をさらしているように見えるが、そのライオンでさえ、腹一杯の肉を食うためには、激しい闘いを伴う狩りをしているのだから。 ──と、こんなところでしょうか? なお、茶々を入れるわけではありませんが(笑)、オスライオンは、若くて身軽なうちは自分で狩りをするけれども、成長して体格がよくなると、メスライオンの獲ってきた食事を横取りしながら食べているらしいですね(^_^;) ま、ライオンにはライオンの世界があるわけで、何も「オスライオンに生まれればよかった」なんて気はさらさらありませんが(^^ゞ

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3622)
回答No.2

こんばんは。 完璧主義の方は、求められるものに対して考えられる最良のハードルを設定してしまい、周りからすれば満足の得られる結果であったとしても、本人が納得できずストレスを感じてしまうことが多いのだと思います。 だから、何事も程ほどくらい(中くらい)で満足出来れば、ストレスもなくなり幸せに暮らせるということになると思います。 しかし 「あまり幸福を感じすぎる結果を生みかねませんから」 と言っていますよね。(生みかねる=生まない) 何事も程ほどくらいで満足すれば、常に幸福を感じて「幸福を感じすぎる」状態になるのでしょうか。 いやいや、やはり人は努力をすることで「がんばった自分に満足できる」のですから、努力は必要でしょう。 目指すハードルは「中くらい」よりもちょっと高め。だけど、結果が(例え目指したハードルよりも低くても)「中くらい」までいけたならば、それで満足しませんか。そう感じることが出来れば、それが一番幸せを感じられるのではないでしょうか。 と、私はこんな感じに受け取りました。 少しでも考えのヒントになれば幸いです。

  • HiYoKoNoK
  • ベストアンサー率30% (119/395)
回答No.1

中くらいでいいや、と、妥協していると、本来の報酬が手に入った時に、「なんという幸運だ!!」と感度が強くなってしまうので、「中間を目指す」「中くらいが一番いい!」と必死になってはいけませんよ。 ライオンだって狩という大変な行為を一生懸命行って、大変な思いをしてからようやく幸せにありつくし、それが当然のものとして受けることができるんですからね。 と、言う意味かと思いました。ライオンの例がよくわからないですけど。。。 完璧主義をやめてある程度の妥協のもと生活をしたほうがいいが、目指す先が中くらい、で何でも中間になろうとするのではなく、それなりに一生懸命やることは必要で、その結果に対して完璧を求めないというものの考え方がちょうどいいんだよ、という内容の本なのかな、と思いました。

関連するQ&A