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「ニイタカヤマノボレ」の無線発信日について

「ニイタカヤマノボレ」の無線発信日について 一般には12月2日といわれています。ただ、12月3日という資料もあるようです。 つぎの日本経済新聞のサイトでは、12月3日となっています。 http://www.nikkei.co.jp/tento/trend/20051128m48bs000_28.html これは単なる間違いでしょうか。それとも、日付変更線などのその他の理由があるのでしょうか。教えてください。

みんなの回答

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.5

下記のサイトに、連合艦隊司令長官(瀬戸内海の戦艦長門に座乗)から発信された電報の原文の画像が載っています。 GF=連合艦隊です。 http://sidenkai21.cocot.jp/m298.html 画像を見ますと「発令日時 12月2日 1730」となっています。 これはGF参謀が書いた「電文」で、これを通信員が受取って暗号書と乱数表を使って暗号化し、指定された「発令日時 12月2日 1730」に送信したわけです。

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.4

X日計画ヲ中断 艦隊反転セヨ、は「ツクバヤマハレ」といわれています。ただ、この日にニイタカヤマノボレを作成した暗号書が現在残っていないので(アメリカ国立公文書館にあるという未確認情報はありますが)、正確にどんな暗号が打たれたのかは、わかっていません(ニイタカヤマを打電して、すべての暗号書が更新されたので)。 戦艦榛名の昭和16年度航海日誌が、アメリカ国立公文書館で発見され、真珠湾のときはやはり艦隊は無線を使っていない(ただし、赤城が一回だけ潜水艦捜索の無線を出したのは事実です)ことが判明しました。今後の研究をまちたいところです。

  • toro321
  • ベストアンサー率29% (1222/4138)
回答No.3

12月1日の御前会議において開戦が決定されてますから、翌2日の14:40に陸軍が電報を打ち、17:30には海軍の連合艦隊司令長官から「ニイタカヤマノボレ1208」の隠語電報が打たれた。 2日であることは間違いがないようですね。 ちなみに、開戦せずの隠語もあったはずなのですが、今となってはわからないですね。

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.2

2日だと、私も思います。 この文章自体に意味はあまりなく、実は「X日ヲ12月8日ト定ム」という内容だけです。いくつかの放送系、つまり流しっぱなしで返信はしなくてよい電報でした。港に係留してある軍艦では、電話、有線電信で伝わったりしたので、軍艦によって複数回受信した記録がある物もあります。 ちなみに陸軍は、「ヒノデハヤマガタ」でした。 開戦期日を地名に対照し、1日ヒロシマ、2日フクオカ、3日ミヤザキ、4日ヨコハマ、5日コクラ、6日ムロラン、7日ナゴヤ、8日ヤマガタ、9日クルメ、10日トウキョウに割り振られていました。 国家の帰趨をきめる電文ひとつがこのザマですので、押して知るべしです。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.1

日付変更線を考えたら、受信した側は12月1日になってしまいます。 単なるミスでは? サイトの内容はツッコミどころ満載のようですが、無視しておきます。

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