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料理を残すのはなぜ悪い?
レストランなどに食事に行った時、出された料理を全部食べないと「行儀が悪い」とか、「育ちが悪い」とか、そういう見方をされますよね?それが理解出来ません。食べたくないものを無理に食べる必要性を感じません。 (尚、小さい子供が好き嫌いのために残すのを親が叱る、というケースは質問の対象に含めないこととします。) もちろん、好き嫌いがあったり、小食だったりするのであれば、なるべく事前に料理を作る人に申し出て、全部食べられる内容・量にしてもらうべきだとは思います。 でも、例えば出されたものがあまりおいしくなかったり、おいしいんだけれども、思ったよりも量が多くて全部は食べたくない場合、無理してでも全部食べる必要があるとは思いません。 残すと、作った人が嫌な思いをするのは分かります。でも、しょうがないですよね?もしおいしくないから残したのであれば、作り手に対するメッセージにもなり、その結果作り手が味を工夫したり、向上させたりすればいいですよね? また、量が多い・好き嫌いがあるから残したのであれば、それは作り手が悲しむ必要は無いですよね。(もちろん全部食べてくれた方がうれしいのはよく分かりますけどね。) 「お百姓さんに失礼」とか、「飢えている人達がいるのに」、と言う人もいます。でも、自分が残そうが残すまいが、お百姓さんや餓えている人達には関係無いですよね?逆に、本当は食べたくないのに無理して食べる、こっちの方がよっぽど失礼な気がします(特に餓えている人達に対して)。 一度食べた料理をわざと吐き、また食べた昔のローマ人。テレビの早食い/大食い競争。それはそれでいいけれども、残す事と比べたらこっちのほうがおかしくありませんか? 「食べたくなければ残してもいい。嫌々食べるのは食に対する冒涜(ぼうとく)ではないか」という気がするのですが、皆様はどうお考えになりますか?
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再度です。前回は自分自身の庶民的な部分で回答しましたが、今回は日本の文化的(高尚?)なところで「お茶」について少し述べさせてください。 私自身は「茶道」の経験は無いのですが、職業柄「お茶のお料理」をする事が有ります。所謂、お茶懐石では料理は残さないのが「お約束」です。その為、お茶のお料理は一口で頂ける物、手を使わずに食べられる物にする事になります。勿論、中には食べられない物も有るでしょう。そんな時はもてなされた者は半紙に包んで持ち帰るのがしきたりです。(以上、書籍やその筋の方から聞きかじった事ですから間違いもあるやも知れません。) 私自身は「食の第一義は生きるために行う行為」だと思っているので、食べ物にあれこれ意味付けをするのはばかばかしいと思っています。でも一方で、「みんなで食べるのは美味しい」「食は交流」とも感じているし、信じています。 生きる為だけに食べるのであれば、必要分だけ自分で作るなり、バイキング形式のように食べられる分だけ取って食べればいいのだと思います。 しかし、楽しみとして考えた場合は、食べ手は色んな方々と交流を楽しむのだと思います。作り手とは料理を通して対話をするし、同席者とは料理を肴に色んな会話を、外食で有れば給仕者も一緒に。 お茶の席では基本的には同じお料理を皆で少しずつ取り分けて戴きます。同じ時に同じ空間で同じ料理を戴く、つまり体験の共有化ですね。もてなす側の主人は、客人をもてなす為に考え得る事を全て準備します。もちろん、客人の苦手な物は事前に調査し、入れないように配慮します。 話があちこち飛んでいる様です。(^-^; つまり、 「食べ物を残すな。」「出された物は黙って食べろ。」は、 『質素な生活を基本とした美徳』で有るのに対し、 「残さずに戴く」は、 『もてなしの心を戴く』と言った相手に対する『心遣い』であるとも言えるのです。 ですから、私は、 「勿体無いから残さず食べる」でなくて、 「心遣いを全て戴く」と言う食生活が良いと思うのです。 *もちろん、その為にはもてなす側の作り手に「心遣い」が有る事が前提ですが。 長々と書きました。私の結論としては、 「食べたくなくても、相手の心遣いを感じたら、多少無理してでも食べる」のが大人だと思います。 そして、そんな「心遣い」のこもった料理をご家庭で旦那さんやお子さんに作れるのが素敵な奥さんだと思うのです。(共稼ぎの場合は男性もね♪(笑)) 如何でしょう?
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- NIWAKA_0
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私は、「別に残してもいいんじゃないか。」と思う派です。 >「お百姓さんに失礼」とか、「飢えている人達がいるのに」、と言う人もいます。でも、自分が残そうが残すまいが、お百姓さんや餓えている人達には関係無いですよね? たまにニュースなどで「豊作になりすぎちゃった為、収穫せずに腐るがままにしてある作物」などを観ます。 彼らは「自分で自分を冒涜」してるのでしょうか? そんなことは無いと思うのですが。 「もったいない」と思う心は確かに美徳だと思いますが、 それで嫌なものを嫌々食べて、せっかくの食事を嫌な思いで塗り込めてしまうのは それこそ「もったいない」じゃないかと思います。 出す方は「食べきることが当然」と思わず、 食べる方は「残すことが当然」とは考えない、 ってくらいが丁度いいんじゃないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに、食べる方も、出す方も、バランスが大切ですね。
- Largo_sp
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食べられないもので、もてなされたとき、残してもよいか... ということですよね...アレルギーの場合は命にもかかわってくるので 仕方ないですし、食べられない味を、食べられる味に、料理しなおすのも 非常に失礼だからやめろと言われました。 それならどうすればいいのか?ということになると 残すという方法しかないですよね... やはり、それをどう残すか...だと思います。 食べ物を残して、命を粗末にするということは、食べる方だけでなく、 調理するほうにも責任はあるとおもいます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 本当に食べられないものなのであればそれはしょうがないですよね。私が言っているのは「食べられるけど、食べたくないもの」という意味です。 残すのであれば残し方に気を使うべきであるというご意見、もっともだと思います。
#8の回答者です。 まず最初に誤解なさっているようなので書かせていただきます。 #8は 「料理を残すのはなぜ悪い?」に対しての私の意見です。 「料理を食べることは悪い?」に対しての回答ではありません。 「料理を残すこと」と「料理を食べること」はまったく話が違いますよ。 人間だけでなくどんな生きものもほかの命をつなげて生きています。 そうでなければ生きていけませんから。 「料理を残すこと」は命を粗末にしていることになるから悪いことだと私は思っています。 私がもし「料理を食べることは悪い」と書いたなら偽善でしょうね。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 nanako33さんのおっしゃっている事が分かりました。 補足頂きすいません。またよろしくお願いします。
- ginga3104
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基本的には、貧しい時代の名残だと思います。その時代は、本当に食べ物が少なく、お米も今のように簡単には作れなかったそうです。更に炊くにも、薪割やらから考えれば大変な労力が必要だったようです。そう言った時代に美味しくないからと、残されては、買った人(父達)、作った人(母達)にとってはやりきれない筈です。 しかしながら、今は飽食の時代です。要らないと言っているのに出されてもいい迷惑です。 私は飲食業をやっていますが、殆ど予約だけなので、お客様に対しては予約時に「どんな感じにしますか?」と、聞いてなるべく食べきれる量で作ります。ですから、「見た目を豪勢にして量も沢山にして!」と言われると戸惑いますし、結果として残っていると悲しいですね。 家の子供達には、食べる前に食べきれないと思ったら、残ったらゴミになるだけだから、最初に申告するように言っています。ただ、味覚は小さい時から食べていない育たないので、見た目だけで食べたくない者でも一口は食べてみる事。栄養面で、野菜類は嫌いでも食べたくなくても一通り口にする事。を、その都度言います。 ですから、私は「作り手が食べ手の腹加減を考えて努力するべき」と言う貴方の意見に賛成いたします。 ただ、ご馳走になる時、そんな時はなるべく残さないように頑張って食べますねー。(親父なので(^-^; 要は、もてなす側は沢山出さないと失礼に当たるし、もてなされる側は全部食べないと失礼に当たるといった庶民文化の美徳の遺物だと思います。その心意気は残したいのですがねー。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね、昔は本当に大変だったでしょうね。 私も時々山登りに行きますが、その時にほんのちょっとだけ昔の苦労を体験する事が出来ます。 お子様への接し方の部分も大変参考になりました。 ありがとうございました。
質問対象でないかもしれないので、アドバイスです。 食品アレルギーの方もいますので、おいしそうな料理であっても、わざと残すことがあります。単に好き嫌いの人は、だいたい食事をしている時だけ気分を害するだけですが、アレルギーの人は、食事後1~2時間くらいすると、体調を崩したり、気分が悪くなります。 私はエビアレルギーでした。学校の給食に、2~3日に一度小エビの料理があったため、私はいつも体調が悪かった。当時エビアレルギーと言っても、教師は単なる好き嫌いの言い訳としか解釈されず、悲しい思いをしました。 食べる食べないは、自己管理が原則であるべきと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 アレルギーの場合はやむを得ないですよね。 でも、ご回答を読んでいてふと思ったんですけど、好き嫌いも一種のアレルギーなのかもしれないですね。食べると不快感を感じるというのは、体調を崩しているわけではないけど、一種のアレルギーのような気がしました。
食べる前に「いただきます」と言うのは、命をいただくことに感謝しての行為だと思います。 穀物や野菜や牛や豚など、私たちが食べているものすべてには命があって食べる為に殺されているのです。 屠殺される動物達は恐怖や痛みを感じています。 そのありがたい命をいただいているのですから、私は感謝しています。 捨てられるために命を失っている生きもののことを考えると、私は食べ物を残すことはどうしてもできません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 おっしゃっている事は分かります。 でも、ちょっと偽善的にも聞こえます。 動物・植物にしてみれば、nanako33さんが残さずに食べてくれるよりも、そもそも注文しないでくれる方がよっぽどうれしいのではないでしょうか。そうすれば殺されずにすむし。 nanako33さん一人のために、何百、何千の動植物がこれから命を落とします。だから、もし本当にそれらの動植物の事を思うのであれば、ご自身が命を捨てるしかないのではないでしょうか。 決して自殺をお薦めしている訳ではありませんが、本当に動植物のことを考えるとそういう結論になりませんか?
- moominx2
- ベストアンサー率49% (200/401)
料理が思ったより多かった場合や、自分の味に合わなかった場合などは、お帰りのときに「ごめんなさい。思ったより多くて残しちゃいました」や「私には合わなかったみたいです」など一言いただくとお互いに嫌な思いをしなくて良いのではないでしょうか? 黙ったままお皿に残したまま帰られると、やはり考えちゃいますね^^; 日本人は残した料理を持ち帰るのに抵抗があるようですが、欧米ではドギーパック(持ち帰り用のパック。「犬に持って帰るんだ」と言う言い訳のために命名されたようです)に詰めて帰るのはむしろ歓迎されます。 わざと食べきれないほどの量で提供して、店のロゴの入った袋に入れて持ち帰らせ、宣伝効果を狙っている店もあるほどです。 また、中華料理は少し残すことが礼儀なんだそうです。(食べきれないほどの料理でもてなしてくれたと言う意味だそうです。) 日本でもある地方では、料理が残されていないと「もてなしが足りない」と食べきれないほどの料理を出すところがあるとか・・・ ちょっと余談になりますが・・・ 海外での日本料理が美味しくない理由は「日本人が文句を言わないから」だと言う説があります。 他の国の旅行者は、自国の料理が美味しくないと烈火のごとく抗議するそうです。 特に中華、イタリアンはその傾向が強いと聞いたことがあります。(中華に関しては華僑の影響力が強いらしいですけどね)
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね、一言言うとずいぶん違いますよね、きっと。なかなかその一言が言いにくかったりするのですが・・・。 残してしまった時のフォローだけでなく、おいしかった時も、その気持ちを「おいしかった」という言葉で伝えたら喜んでもらえるでしょうね。これからそうしてみようかな・・・。 あと、Doggy Bagは非常にいい制度ですよね。日本ではあまりありませんが。宣伝効果を狙う店もあるんですか。おもしろいですね。
韓国では人の家のよばれてご馳走になった時、残すのが礼儀だそうです。 食べ切ってしまうと足りなかったのか、と思われてしまうからだそうです。 つまり、残すほどに美味しかった、という事になるそうです。 そう言われてみれば、それも納得! お国が変われば考え方も違い、それも一理あります。 でも、主婦の私としては、みんなが美味しく、満腹、満足したした顔をしていれば、残しても、全部食べきっても、OKです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 へえ、韓国ではそうなんですか。勉強になりました。 すぐ隣りの国なのに、日本には無い風習・考え方があるのはおもしろいですね。
- sukesan2
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中国では、出されたものを全部食べると相手が喜ばないということがあるそうです。(失礼にあたると聞きました) 自分の出した料理が足らなかったのか、ということになるそうです。 もっともそういう場合は、食べきれないほど出すんでしょうが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 中国の料理攻め、一度経験してみたいです(笑)。
作った人を目の前にして食べるときは別だってことはお分かりのようなので、回答の対象外とします。 で、これは程度の問題じゃないでしょうか。 現代人には信じられない話ですが、昔の日本というのは「食べられるときに食べておかないと死んでしまう」という状況が本当にあったのです。「つげ義春」の漫画なんかを見ると、割と実感できたりしますよ。 日本は割りとそういう時代が長く続いた国で、昔は食べ物を残すというのはバチ辺りな行為以外の何物でもなかったわけです。 で、美味しくないものを残そうとする人に対し、今でもそういうふうに注意する習慣が残っているわけです。 ただ、ちょっとでも残したらすぐ怒る人って、それほど多くない気がします。(まあ、俺の友達にも、パセリを残すと怒る奴とかいますが(^_^;) 「見苦しい残し方」をした場合に怒る人は結構いると思いますけどね。野菜炒めの中の肉だけ食べて、野菜は全部残したりとか。
お礼
ご回答いただきありがとうございます。 >野菜炒めの中の肉だけ食べて、野菜は全部残したりとか。 確かにそういうのは問題ですよね。 やむを得ず残す場合は、残し方に気を付けることにします。
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お礼
はい、そう思います。 >(共稼ぎの場合は男性もね♪(笑)) ハイ、かしこまりました・・・。 ご回答ありがとうございます。