『西洋』の植民地を、「専ら何が目的となったか」によって考えて見ると、文字通りの「植民」(例:イギリス占領前の南アフリカ)、原材料の供給地(例:コンゴ等の西アフリカ諸国の一部)、他の重要な植民地へのルートを確保する為の植民地(サハラ諸国)、等々色々あり、現地人に対する本国or植民者の態度も、「植民」を目的とした場合は、現地人からの土地の収奪が起きて、現地の社会構造に破壊的に働くが、原材料の供給地の場合は、社会構造はそのまま残して労働力としてのみ使おうとする傾向があります。
更に同じ植民地でも時代によってその性格が少しづつ変わったりするので、一般論で語るのは無理じゃないでしょうか?
一方、日本の場合は、明らかに「同化」を要求する度合いは高かったように思われます。
元々日本の植民地が何を目的としていたのか、ロシアに対する緩衝地帯なのか、原材料あるいは労働力供給地なのか、ここらへんをどう考えるかによっても違うのかも知れませんが、日本の植民地経営は、始まったのがヨーロッパ諸国よりも遅く、第一次大戦に代表されるような「総力戦」の時代だったので、植民地の被支配者側を同化させよう、という意識が強く働いたんじゃないか、と思っています。その表れが「日本語の強制」でもあり「自国民への統合」でもあったと思います。
尚、日本支配下の朝鮮では、神社参拝を拒否したキリスト教徒が投獄され、激しい拷問を受けても拒否し続けた人の一部は獄死しています。なにせ、日本国内でも自国民に対して、大本教等、国家神道の秩序に従わない宗派を激しく弾圧し、一部は獄死させた国ですから…。
だから、欧米帝国主義は「宗教(特にキリスト教)を強制する」、日本の帝国主義は「宗教については異教徒であることを理由に殺すことはなかった。」とステレオタイプな区別をする事は無理でしょう。欧米だって、重要拠点へのルート確保のための植民地だと、要すれば軍が駐留できればいいだけで、宣教師はキリスト教布教に努力したかもしれませんが、植民地政府はほとんど興味を持たなかったし、さして改宗が進まないところも結構あったようです。
やはり、日本の方が「同化」を強く求めた、と思ったほうが良いと思いますが…。
お礼
すごく詳しく教えていただきありがとうございました。