幕末期の洋式軍事学伝習が行なわれる前と後の戦い方の変化とは?
西洋音楽の日本での受容について調べているのですが、
このことと開国後の軍事システムが密接に関係していることがわかりました。
西洋音楽が日本に伝わり、その後組織的に発展されるようになったのは、開国後に西洋軍事システムと共に輸入されたことを発端としているようです。
1854年に長崎海軍伝習所においてオランダ人教師から軍事学の一環として行進の際に隊の足並みをそろえるため、集団秩序における合図・号令のために西洋式のラッパや太鼓を使用したのが西洋音楽の始まりだそうなのですがここで質問です。
1.開国以後伝習所において初めてラッパなどで隊を整えるという方法を学んだということはそれ以前はラッパなどがない状態だったという意味だと思うのですが、
ではどうやって隊に所属する大勢の兵たちを統率していたのですか?
それとも、もともと隊で行動するという戦い方が日本にはなかったということですか?
(武士は一対一の戦法をとっていたという話はなんとなく聞いたことがあるのですが・・・)
2.開国以前は海軍は存在しなかったのですか?
(でも、鎖国中の対外政策としてあったとは思うんですが・・・)
よろしくお願いいたします。
お礼
うーん、実はこのサイトを何回か読んだことがあるのですが、どうしても分かりませんでした。反ユダヤ主義がどう言ったものかはかなり分かるのですがこれだと私の疑問について触れている箇所が見つからないのです。 私は講義後先生に張り付いて質問できるような社交的な方ではないので、それをするぐらいならもう分からないままでいいのです。個人的に調べた範囲で納得できればと思ったのですが; とにかくありがとうございました。