自分は粘い性格をしているので、あきらめるということはしません。
やめても、止まってもまたいつか創めて続けていきます。
形が変わったりもしますが、しつこく続けます。
これしかない!
とは思わず、臨機応変に、さまざまに対処していかなければならないと感じていたので、とりあえず下地を用意していたらチャンスをもらったので、やりたいことふたつを極めてみようと思いました。
文武と両道でゆっくり、激烈にやっていきましたが、壁というものは肥やしでしかなく、苦労は味付けにしかなりません。
本気でやれば、才能に限界はなく、無限のように動き続けることができました。
さまざまな人や物が助けてくれ、出会ったり、運勢も高まっていきました。
さて、ここで才能に限りがなくとも、大人の事情というか、社会の都合がでてきました。
人間には家庭の事情があったり、生物学的な都合があったりします。
そういうのもわかっていたので、ずっとそうしてきましたが、それじゃなんにもできないと思ったので、捨てられるものは捨てて覚悟をきめて、拾えるものはすべて拾って、やっていく算段をしていたのですが、
やはり人には天命というか、完全に自由に本気を出す、場は、ないみたいです。
壁にぶつかっているとき、というのは実は幸せの真っ最中である ということです。
旧知の通り、全ては仕組まれていて、壁を越えられるか越えられないかも、天はわかっていて、いろんな壁を用意してくれます。
越えられないはずの壁も、なぜか不思議と、下地を長く永く懸命に、時に美しく、時に泥にまみれてやっていれば超えられたりもします。
心のコントロールをしっかりとなるべく楽しんで、時に重苦しくネガティブに、時に気軽に頑張っていけば、どんな壁も越えられると思います。
越えられない壁というのは、判断して自制で抑えなければならないという壁が殆どです。
自分はとんでもない壁を通過してしまったらしく、偉いけど危ないという評価でした。
難しいのは自分の姿勢だと思いました。
才能うんぬんよりも、世の中は難しいのを飛び越えて、都合でできてるんですね。
人生は壁を越えるためにあるだけではない、ということらしいです。
どうか世の都合に振り回されることがありませんように。
最後に才能は自分のオリジナルであるべきだと思います。
自分にしかできないことならば、それなら世はなんとか評価してくれます。
難しいのは初代と、存続、続けてやっていくことです。
強くなればなるほど、周りの人の助けにならなければなりません。
弱い段階でも、人を傷つけたり、貶めたりすることのないよう。