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努力できることも才能?
前に先生が「努力できることも才能なんだよ」といっていたのですが本当でしょうか? 自分の中では 才能=生まれつき持っている能力 のように捉えています。 だから先生の言っていることが本当だとしたら、「努力ができるかできないか」ということも生まれつき決まっているということになり、人は生まれた時にできることが決まってしまうような気がします。 皆さんは正しいと思いますか?
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なるほど・・・ ご質問は、あくまでも“「努力できることも才能」は正しいか?”ですね。 才能をどう伸ばすかとか、才能がない場合はどうすべきかとかではなくて。 “正しい”と思います。 努力にも程度がありますね。一生懸命の努力、人並みの努力、至らない努力・・・等。 また、苦にすることなく自然と努力できる人は、まさに才能といえるでしょう。 >「努力ができるかできないか」ということも生まれつき決まっているということになり、人は生まれた時にできることが決まってしまう・・・ そのとおりです。いえ、厳密に言えば生まれる以前から決まっています。 しかし、そんなこと気にすることありません。 努力せずにできることもあるし、「努力できない」と決め付けるのも早計です。 才能がなくても出来ることはたくさんあります。 それとも、「自分が努力できるのは生まれつきの才能なのか?」ってことでしょうか。 それはうらやましい・・・ いずれにせよ、貴方も私もお互いに限界は遥か先にあります。 出来ることは決まっていても、無限の可能性を秘めています。 まだまだ、これからこれから・・・
- yu-taro
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こんばんは。 才能は誰でも持っています。それが生まれつき持っている能力ですが、その能力だけでは大したことはできません。 才能を持っていても、正しい教育を受け、正しい努力しなければ使えるものも伸ばすことができません。 生まれ持った才能があっても、教育をまったく受けず、努力の仕方をしらなければ、才能にもよりますが、使い物にならないと思います。 有るとしたら、早く走るとか力があるとかの肉体的な才能は優れていても、食料となる獲物を取ることはできないですよね。 弓矢や槍を作る知識を教えてもらえれば、割と容易に獣を捕らえることができますが、誰からも教えてもらえなかったら自分が力づくで獣と格闘して捕らえるしかないと思いますが、凶暴なツキノワグマなどだと自分の身が危険になるかもしれません。 つまり、才能を伸ばすもダメにするも正しい教育を受けることと、努力することを学ぶことによって才能を伸ばすことが可能です。 そして、その人に合った努力の仕方を行えば、相当なところまで才能を伸ばす可能性があります。 一流アスリートもより能力を伸ばすためには、ワールドワイドに活躍できるためには、より優秀なコーチやスタッフが付くかどうかで決まります。 ということで、先生の言っていることは認識不足で正しいとは考えにくいです。
>皆さんは正しいと思いますか? はい、そう思います。 努力する才能はあるでしょう。 こつこつ、続けるのが苦にならない、というのは、生まれつき持っている能力のひとつと考えてよいと思います。 生まれたときに出来ることが決まるというか、生まれつきの素養で、おのずと、出来ることが決まってくると思います。
- aho0xff
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「好きこそ物の上手あれ」でしたっけ?アレを使うとうまく説明できるかな?と 好きな物に対しては努力を努力と思わない。それはある意味才能と言えるのかも知れません。 何か質問者様は「努力」を一つしかないものとしてみているようですが、典型的に言えば 容姿には努力を一切払わず、自分の趣味に全力を注ぐオタクみたいな物・・・かも知れません。 普通の人があの手の物を理解するなんていくら努力しても出来ないモンは出来ないと思いますよ??
- vonori
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努力を重ねた人が、振り返ってみてそう思うのでしょう。 何かを一心不乱に取り組まなければ、何も見えてこないと思います。ある意味、悟りの境地かも。 これと同じですね。 「天才とは1%のインスピレーションと99%の汗」Byエジソン 常人から見れば、彼は稀代の天才。 けれど、自己分析はこの言葉に集約されています。
- kitttokuru
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>だから先生の言っていることが本当だとしたら、「努力ができるかできないか」ということも生まれつき決まっているということになり それは誤っています。 生まれつき持っている「才能」ですべてが決まってしまうなら、人間はさまざまな経験をつむことも、経験をつんで才能を伸ばすことも、知識を増やしたり、情熱を燃やしたりすることもなにも必要ないことになります。 金メダリストの両親がアスリートならその子も運動選手になる「素質」は持っているかもしれません。 でももし両親が遠征の際に飛行機事故で亡くなって。親しかったピアニストと画家の夫婦に引き取られて育てられたら芸術的な「才能」が開花する可能性のほうが大きいのではないでしょうか。 いずれにしても、人に言われたことをそのまま信じないで自分で考えてみるというのはあなたの才能です。 今回の場合は「生まれつき」と「才能」を同じものだと結び付けてしまったために間違った方向へ行きそうになりましたが、それでもその考えを再度検証してみようとしました。 人から言われたことを疑いもせず信じてしまうのでもなく、自分だけの考えではじめからそれを否定してしまうのでもなく、ひとつのことをもうちょっと良く考えてみようというのは、あなたのたいへん良い「素質」だと思います。
- winngu11
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微妙な言葉ですけど、考えようによると逆ではないでしょうか? 生まれつき、誰でもその人なりの才能があるのです。 運動が得意。絵が上手。勉強ができる。 そんな目に見えることだけでなく、才能とはいろんなところに隠れています。 家事が得意。人の気持ちがわかる。犬が大好きで可愛がれる。 どれもよく見ないとわからないけれど、どれもすばらしい才能です。 そして努力。 いろんな見方ができます。 先生がおっしゃるのは自分の実益に繋がることが努力でしょうが、世の中にはいろんな努力があります。 才能があるからこそ、知りたいと思ってできる努力。 世の中のルールにうまく乗ろうとして覚えるのも努力。 そして夢をかなえるため一生懸命になるのも努力。 嫌いなものを食べれるようにすることも努力。 人間生まれてきたからには、どこかでいつも目に見えない努力をしているはずです。 ずば抜けて評価されることを出来ることだけが努力と呼ばれる練習ではないのです。 だから、努力する心も、才能も、個人個人違えど持って生まれてきてるはずです。 私が思うのは、努力しないですべてに甘えると、せっかくの素晴らしい才能を埋もれさせることもあるよ、とは言えると思います。 言葉とは凄い力ですね。人に考える力をくれます。
- gohannannisiyo
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質問者さんのお書きの通り、才能は生れつき持っている能力ですが、努力しなければ才能も開花しません。 才能だけではどうしようもないのです。 そういう意味で、「努力も才能のうち」と言うんでしょうね。 それに、努力できるかどうかは性格的なことにも関わっていますから、どこまで努力できるかは、生れつきある程度決まっているだろうと思います。 才能はあるのに努力できなくてその才能をいかせない人。 その逆に、努力はできるのに、才能がなくて伸びない人。 そんな人たちはたくさんいます。 でも、それはそれでいいんじゃないでしょうか? 努力して才能を開花させることだけが幸せではありません。 努力することが楽しい人もいますし、 努力はしないけど、たま~にちらっと見せる開花しなかった才能が魅力的な人もいます。
- dulatour
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確かに、「才能」とは生まれつき持っている能力かも知れません。 でも、能力を持っていても、その能力が活かされなければ、才能は眠ったままになります。 才能とは、自然に開花するものではなく、何かのきっかけやそれに対する興味が湧き、努力することによって、始めて能力が発揮できるものだと思います。 例えば、サッカーの才能が非常にある人でも、サッカーと出会わなければ、一生その才能は眠ったままとなりますよね。 「努力すること」についていえば、生まれつき、努力する才能のない人もいるかもしれませんが、多くの場合は、努力することに目覚めず、持っているものを活かし切っていない人が多いのではないでしょうか。
お礼
アドバイスありがとうございます。 努力とは才能を生かすためのキッカケだということでしょうか。 努力することに目覚めるかどうかも才能・・・とか考えてしまうと何もできなくなってしまうのでなるべく考えないようにします。 いったいどこからどこまでが才能なんだろう?
私は「努力で勝ち取った能力は才能に勝ることもある」っていう感じに思います。 才能はおっしゃる通り、「生まれつき持ってる能力」ですからね。 本当に才能のある人って、思い付きが早いっていうか吸収力がすざまじかったりします。 「バカの壁」っていう本にも書いてますが、脳の一部が欠けていることで、人よりも思い付きが早いんだろうって。まぁこれは仮説ですがね。 私自身、才能があるって思った人は身近に1人しかいません。でも、その才能のある人と同じくらいの能力を持つ人も知ってます。彼は必死に努力するタイプです。 それが才能って言えば才能なのかもしれませんが、見ていて私は別物と思うし、どっちがすごいとも言い切れないものだと思いますねー。
お礼
アドバイスありがとうございます。 真実がどうであれ別物であると思いたいです。
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お礼
たくさんのご意見ありがとうございました。 やはり「努力できることも才能」というのが正しいという人も多いようですね。 自分も正直のところ「人は生まれつきできることが決まっている」と思ってしまいます。 しかし中島敦の山月記にもあるように人としてこのことを肯定してしまうと人でなくなってしまう気がします。 だから自分は真実がどうであれ、このことは正しくないと結論付けることにします。 繰り返しになりますが、多くのご意見ありがとうございました。
補足
ポイントの件についてですが、今回は優越を決めがたいということで該当者なしとさせていただきます。 ご理解よろしくお願いします