• 締切済み

日本では西暦と元号の2つが必要か。元号は不必要。 

日本では西暦と元号が並存しているが、元号は本当に必要なのか。むしろ混乱の元凶と思われる。元号の準拠法も天皇の崩御後急いで立法化したのでは一層無用と思う。

みんなの回答

回答No.7

何故不必要なんでしょうか? 混乱してるのは一部の馬鹿だけで、普通の人は両方を使いこなしてると思います。 元号法が出来たのはつい最近ですが、元号そのものが出来たのは1000年以上も前のことです。 もはや伝統文化と言っても過言ではなく、それを何故簡単に無くせと言えるのか疑問です。 「時間」の流れを感じるには西暦が手っ取り早いでしょうが、「時代」の流れは元号の方が感じ取れるでしょう。 私は両方必要だと思います。 一部の左派によって「元号は天皇制を押し付けるから西暦に統一しろ」と言ってる人達がいて笑います。 西暦がどのようにして出来たのか忘れてしまっているようです。

  • BOBBY1846
  • ベストアンサー率48% (23/47)
回答No.6

誰かが言っていました。 歴史を書物に例えると、 西暦は「頁」であり、元号は「章」である。 私たち日本人は、四季の遷り変りを通して 心に彩りを感じます。 歴史の変遷も、これと似たようなものなのではないでしょうか。

回答No.5

 ご質問者と同じことば(思い)ではないが、曽って私も元号って不便だな、いらないのじゃないかな、と思っていました。  土地と時の内、時を命名する契機。これが天皇もご崩御とご即位。  ただそれだけのことではないと存じます。  そして不便とか、不合理とか、そういうことば表現で、どういう事情を観念するかのことですが、ここにも多様な、そして多様な関係が繋がります。  私は今は、不要かどうかをいいません。合理や能率、或いは不便っていう観点からでは無くすことはするべきではないと思います。  No.3のご回答は不要ろんですが、その他の方々の論と同じ思いです。

回答No.4

必要だと思います。なぜなら、元号は既に日本の伝統であり文化として定着しているからです。 確かに元号は不便です。年齢計算・日数計算などは非常にやりにくいです。しかしながら、何でもかんでも合理化することが果たしてよい事なのでしょうか?平等院鳳凰堂は現代の経済社会の合理性のみの観点でいえば不要です。姫路城も皇居も要りません。しかし、それらを無くしてしまってもよいのでしょうか?何を残すべきか、何を守るべきかは慎重に考えたほうがよろしいのではないでしょうか。 既に定着している伝統・文化を壊してまでも、西暦に統一する必要性は薄いと私は考えます。 それがたとえ、現行の元号法が昭和54年に成立したものであったとしても。

  • kyo-yoko
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.3

個人的に元号は不要と思います。 どうしても元号を残したいなら、役所も西暦を使用して、元号は陰でひっそりと残して欲しいものです。 元号が変わるたびにシステム改修するのはバカらしいですし、税金の無駄使いです。

  • waosamu
  • ベストアンサー率39% (110/281)
回答No.2

その国の文化、伝統の一つとして元号はあっても良いと思いますよ。 逆になぜ不要なのでしょう? 日本人なら、元号で考える習慣があってもよいのではないでしょうか?  逆に西暦の方が無くても良いと考えてもよいと思います。  西暦なんて表記しますが、これだってキリスト教支配の産物ですよ。 紀元前ってビフォークリスト(スペル忘れた)っていうぐらいですから そもそも西暦とはキリスト教的西欧支配、宗教色強いものですよね。  これが、一応世界で通用してるのはキリスト教支配をそれなりに世界は是認してるからです。日本はキリスト教圏でないので西暦なくたっていいんですよ。  これとは逆にイスラム教圏ではイスラム暦併用ってとこもあるでしょ。  これと同様に日本だって元号併用したっていいんでない?

回答No.1

ご質問は「元号は本当に必要なのか」ということと解釈します。 必要であるから法制化したと考えるべきではないでしょうか? ちなみに、元号の準拠法である元号法は崩御後急いで立法化したわけではなく、昭和54年に制定されています。 また、制定時の審議において、「元号の使用を国民に義務付けるものではない」との政府答弁があり、関係省庁からも義務付けないようにとの通達が出ているはずです。 今後は西暦が主体になって行くと思いますが、「大化」以来1300年余り続いてきた元号はそう簡単に無くならないと思います。

関連するQ&A