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「無根拠な励まし」の是非
不安を抱いている人への励まし方についておたずねします。 たとえば身長が伸びなくて悩んでいる子供に対して「大丈夫、そのうちきっと伸びるよ」のように励ます人がいます。流産したり試験に落ちた人に対しては「次はきっと大丈夫ですよ」と。 これらは明確な根拠がない、いわば気休めに過ぎないと思います。個人的体験を基に「私は大丈夫だったからあなたも」のように言う人もいますが、サンプルが少なすぎてほとんど根拠になっていません。 私は、このような励まし方は控えるべきだと考えていました。誤った希望を与えると、うまくいかなかった場合に、本人を逆に深く傷つけることになると思うからです。 しかし大きな不安に駆られている人には、気休めでもいいから、希望を持たせたほうがいいのかもしれないと最近考えるようになりました。 皆さんのご意見はどうでしょうか。励ます側、励まされる側として。
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>皆さんのご意見はどうでしょうか。励ます側、励まされる側として。 うーん、はげます?相手の個性によるか、内容によるか・・・・。 ちょっとシリアスな、場面での話ですが、 流産したことが都合、3回あります。 私は、今は、もう、おばちゃんですし、社会人2年目の娘と下に息子がいますが。 8年できませんでした。 で、この流産したときの医療機関での励まし方というか、 なぐさめかたが微妙に違うのです。 コナシでのときに流産したときは、「ココに入院する人は みんなお産だと思うでしょうが、3人に1-2人は流産して その後の処置での入院だから」 暗に、あなただけじゃない。 うまくいってる人のほうが少ないのよ・・・でしょうか、赤信号、 みんなでわたっているんだからね・・・と。 中絶はしない医療機関なので、お産の成功率としては一般的にもそうらしいというだから・・ということです。 2回目は、上の娘が生まれてから3年たって、ですが、 「今では流産させないためのホルモン注射はしないし、 そういう子は無理してもいいことないから、わかるでしょう?」と 暗に、既に生まれている娘は健康だけど、無理してがんばって、 出産に持ち込んでも、いいことばかりとは限らないからねという。 3回目は、さらに3年後。 「既に、お子さんもいることだし、なかなか2番目ができないことも 多いのよ。 無理しなくても・・・」と 一人っ子でもいいじゃない・・・いるだけましという感じでしょうか? 励ましているとも、事実を言って、あきらめさせているとも思える。 ただし、どの話も、婉曲にあきらめてもそんなに不幸なことでもない ですよ、という、さすがにプロだな、「ウソ・無責任に希望を」は言わないという。 【大きな不安に駆られている人には、気休めでもいいから、希望を持たせたほうがいいのかもしれないと】 ダメだとは言わないまでも、明らかにダメなことは 気休めは言わないのが「大人の責任」だと、私は思う。 可能性は可能性として励ますのはいい。 ほんの少しでも可能性があるなら、無駄を承知でがんばるしかないねは ありです。 デモ、 気休めというのは、その時点で「だめ」だということではないですか?
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- sukebena_s
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水は乾いている所に撒いて初めて喜ばれる。 もし乾いてもない所に水を撒いたら水まく意味は薄れ…場合により水害も起きちゃったりもします(笑) 水を必要としてる場所や与える水の量やその与え方は… “ここだ”と思った所、“これくらい”と思った量、“こういう与え方が”と“与える側の貴方”が思ったものが全部正解になるとでも思ってたりするのでしょうか…^^? 貴方がいいと思ったものはあくまで貴方が勝手にいいと思ったもの。 それだけでは“適したもの”には成りきれないって事…なんじゃないかな^^; 励ます側、励まされる側どちらだったとしても思う事だけど… 自分では根拠があると思って相手に伝えた事でも、相手がそれを理解出来なかったりその真実に目を向ける事が出来なかったりしてそれを根拠に思えなければ…結局それは“無根拠”と同じになってしまう。 もちろんの事…だからと言って“受け取れない相手が悪い”とも…言い切れない。。 根拠がどうかもあるだろうし不安の大小ももちろんあるだろうけど…貴方が知ったようにそこにある真実を受け止める事が出来なくなってしまってる人もいれば、気休めの励ましでも根拠のない励ましでも的ハズレな励ましでも喜び励まされる人はいるって事は間違いない。 どの励ましが正解かという事よりも…その励ましが“適したもの”になるかは唯一“相手が受け取れるもの”を与えられた時のみ。そしてそこにあるのは“良い結果”だけが“適したもの”になるという事実。 忘れてはいけない事は… 励ます側としてはあくまで相手が見せた“励ましの結果”が大事という事で…励まされる側としてはそれがどんなものであれ“励ましてもらえた”というその事実があったという事じゃないかなぁ~と思う。 励ます側としてありがちなのは励ました事をちゃんと受け取ってくれない相手を責めてしまう事だったりしますし、励まされる側としては自分にぴったりじゃない事を言う相手を責めてしまう事だったりするけど、どこかで“こうだ”と決め付けてしまい責めてしまっては結局問題の解決は訪れません。 質問者さんは決して相手を責めているワケでもなく、より良い励ましが出来るようにとこの質問をされているようで…それはとても素晴らしい事ですし、方法論は他の回答に優れたのがあるようでお任せするとして私はただ… 『そこにあるものそのままに目を向けそれをちゃんと受け止めてあげられるかどうか…』或いは『こうだと決め付けそこに無いものに目を向けてしまい、嘆き、相手を責めてしまうか…』といったその違いが“根拠のある無し”以上に、そして“どのようにするかの方法”以前に大事なもののように思えたりします。 励まされる時にも、そして励ます時にも、結局…上手く“受け取れたもの”だけが意味を成し、上手く“受け取れないもの”は意味を成さないんですから…。
お礼
ありがとうございます。 お説が私には難しくてよく理解できていないのですが、要は、どのような励ましが有効であるのかどうかは、励ます側からは不可知だということでしょうか。
- 9min
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励まされる側として。 私もちょうど励ましようのない出来事が身近にありました。 励ましようのない事は何も言わなくていいと思います。 黙っておくのも励まし。 何か無理矢理言っても相手にとって傷つくこともありますよね。 ただ、一番は相手の気持ちを理解するのは難しいにしろ、相手の気持ちを理解しようと努力することだと思うんです。 言葉にならなくても、でも相手を思っているんだということが伝われば、励まされる立場の人も気づきます。
お礼
ありがとうございます。
- KoL418
- ベストアンサー率23% (43/180)
こんにちは。 うーーーん。難しいですね。 去年、手術を受けたのですが、その時に色んな人が励ましてくれました。 病気で、余裕がなかったせいもあるでしょうが、「きっと大丈夫だよ」と言われても、「医者でもないのに何が大丈夫だよ、何の根拠で大丈夫なんだよ」って思ったことが確かにありますね… ただ、母に「手術うまくいくかなあ」と話したら、「わからない」と言われ(そりゃそうなんですけど!)、「嘘でもいいからきっとうまくいくって言ってくれよ!」とも思いましたね。 私だったら、状況や気持ちを理解してくれている、家族や彼氏、親しい友人には、根拠がなくても励ましてほしいかなあと思います。 励ます側としては…目の前に不安に駆られてる人がいたら、根拠がなくてもやっぱり励ましてしまうような気がします。 ネガティブなことを言うより、ポジティブなことを言う方が縁起がいいような。 何か参考になれば幸いです。
お礼
ありがとうございます。
- acvp
- ベストアンサー率46% (14/30)
励ます側の経験として, 残酷な現実を客観的に伝えた方が良いケースと, 空虚であっても綺麗事を言った方が良いケースがありました。 これは相手が何を考えているかによります。 私事で恐縮ですが,友人から「相談したい」とか 「アドバイスが欲しい」と言われて呼び出され, 話を聞いたことがありました。その際に,本当に 助言をすることよりも,話を聞いて,相づちを打って, 適度に綺麗事を言うことの方が必要なことがあると 経験的に理解しました。 一方で,客観的な助言が必要なケースもありました。 質問のテーマである空虚な励ましに関しては, ・発言者の演技力 ・相手の洞察力 この2つに問題が収束すると思います。 例えば,頭が切れる相手を前に稚拙な美辞麗句を並べても, それは効果がないと思います。逆も然り。 相手のことがよく分からない場合には, その言動を観察して人間性や状態を見極めて どのような対応が理想的か判断する時間が必要です。 人と接する機会を増やしてサンプル数を増やすことにより この時間は短縮でき,判断の正確性は増します。 言葉選びが上手くなり,演技力も向上するはずです。 私はまだ対応方法を一般化するに至っておりません。 残念ながら今後もそれが為されることはないと思います。 これからも,時として自分の言動に後悔しながらも, 人と関わって生きていくつもりです。
お礼
ありがとうございます。
- ye11ow
- ベストアンサー率40% (230/564)
悩んでいる人とは、「マイナスの状態にある人」なので、 励まさずそのままにしておいては、ほぼマイナスのままです。 なので、励ますことで少しでも前向きな期待感を回復してもらい、 マイナスを減らしてもらおうとすることは良いことだと思います。 期待感にかなう現実の結果がもし得られなかったとしても、 人は必ずしも深く傷つくとは限りません。 現実によって人は傷つくのではなく、 起きたことに対する否定的な解釈によって、傷つくのです。 悩みを乗り越え、希望を回復した人が、 「破れて悔いなし」というくらい頑張り健闘した挙句、 最後、思い通りの結果が得られなかったとしても、 頑張った自分のことを褒めることができるかもしれません。 希望を持ち、前進し続けることができたら、 それは、良い人生を送ったということです。 結果が伴わなくとも、そのことで成長を果たせば、 また次のことでは結果を出せるかもしれません。 ただし、励ましが効果的かどうかは、内容によりけりです。 また、鬱状態の人などで、励ましが禁忌という場合もありますね。
お礼
ありがとうございます。
- hikaru0705
- ベストアンサー率11% (2/18)
そうですね。そのような励ましは無根拠だと思います。 でも、相手の方の心情はかなりまいっていると思いますので、つきおとすよりは話を聞いてあげるのがいいと思います。そして「それは大変だったねー。」と気遣ってあげて、相手の反応を見て励ましの言葉をかけてあげればいいのではないでしょうか。相手の態度が前向きなら励ましの言葉をかけてもその通りに受け止めてくれると思います。しかしネガティブな反応なら、そっとしておいてあげるのも一つの方法だと思います。すこし酷なようですが無根拠な励ましをかけるよりは自分自身で立ち直るのを待つのです。わたしはいつもその様にしています。
お礼
ありがとうございます。
- john888
- ベストアンサー率27% (31/113)
受験の時に「励まされる側」として「大丈夫」と言われたのは一体何が根拠なのかと不満に感じました。スポーツはかなり努力しましたが、勉強は全くしていませんでしたので、逆に「無理だ」と言われた方が「やってやる」と頑張るのにって思ってました。質問者さんと同じように根拠のない励ましには軽蔑する気持ちがありました。しかし、逆に何でも人を否定する人を見ても「この人は人を延ばすことができない。ただ、ナーバスにさせるだけだ。やる気をなくさせる人だ。」とも思います。 友人が空手の道場経営し、姉は英語塾を経営してどちらも生徒を延ばしていますが、基本的によくほめて自信をつけさせています。ただ、褒めるにしても具体的なアドバイスや説得力は必要だと思います。
お礼
ありがとうございます。
- バグース(@bagus3)
- ベストアンサー率29% (1973/6719)
相手を本当に思いやる気持ちがあって、それが 伝わることが肝心で、言葉や言い方は二の次ではないでしょうか。 たとえば心が料理で、それを乗せる言葉が器です。 器が本物の陶器か、陶器に似せたプラスティックかより 料理の出来が大切です。 根拠のあることを言っても、気持ちが入ってなく うわべだけの言葉ではしょうがないです。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。 おつらい経験を思い起こさせてしまいましたが、そのぶん、実感があるご意見を頂けたと思います。 なお私は「気休め」という言葉を「可能性がまったく皆無」という意味で使ったのではありません。しかし、用語にもう少し注意すべきでした。