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アイデンティティの問題ではなく、自分とは何か
私は私の頭で考え、私の記憶をたどり、私の意志で行動します。それは私の脳の働きによるものです。他人にも同じように同じ仕組みの体や脳があります。 私が以前から疑問に思っているのは、人間はみんな同じ仕組みなのに、なぜ「私」は私であるか、ということなのです。 他人はこの世に大勢います。他人は「他人」が動かしています。 それならば、私も「他人」として生まれてきてもよかったはずです。私の体も脳も同じなら、考え方や感じ方も同じはずですから、この世に何の影響もないでしょう。 しかし、なぜ「私」は私の感覚を受け取れて、「私」が意志を決定できるのでしょう。 私の感覚を受け取っている「私」とは何なのでしょう。 うまく説明できていないかもしれません。伝わらなかったらごめんなさい。 このようなことは研究されたりしているのでしょうか? また関連する文献などはありますか? もしご存知の方がいましたら教えてください。
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- magga
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サンガ出版の「仏法」 スマナサーラ長老の書籍 をオススメします。 生命に対する分析・分別は言葉の限界までなされていると思います。 <<このようなことは研究されたりしているのでしょうか? また関連する文献などはありますか?>> 生命の研究をしたのがゴータマ・シタールタ(ブッダ)師です。 あくまで根拠を大事にし論理的に構築し、実証的に語り「反証も受け付けています。」かなり現代的科学的理性的な研究をなしていると感じます。 大元の仏典であるパーリ語の三蔵にはおおくこのような研究成果が記されています。信仰を元とする宗教(大きな括りの仏教も含めて)とは別のものと考えたほうが善いと思いますよ。 「仏法」の正見の項目を見ればその姿勢が理解できると思います。 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~
- hikaru0705
- ベストアンサー率11% (2/18)
あなたと同じ仕組みの脳や体を持っている人間がたくさんいるのになぜ、あなたはあなた、たらしめることができるのか。それは、あなたがあなた自身だからです。あなたの身も心もあなた自身のものです。機能は同じでも自分の心や体を保持しているのは個人です。その機能(神経など)もあなたの持っている体が感じている事をあなただけに伝え、またあなたの体だけをあなたの思うままに動かすことが出来るような仕組みになっています。あなたが何をいわんとしているかは、大方のニュアンスとしてしか受け取れませんが、あなたがあなた自身たらしめているものは、あなたの身も心も統括しているのがあなた自身だからです。
補足
その「私自身」というのは、別に「ほかの誰か自身」であってもよかったのではないかと、私は思うのです。 私の体が、他人と同じように「ほかの誰か」に動かされるのではなく、わざわざ「私」であるのはなぜなのか、不思議になるのです。 私という人間は、なぜ私という特別な存在なのか、とも言えるかもしれません。 うまく言えませんけれど…
私とは何かという質問からずれるかもしれませんが、私というものを固定された、物体であるかのように考えない方が良いと思います。これはこれとして、もし私というものが理解されているとして、もしそれが本当ならばそれと同時に私でないものも理解されているはずです。その私でないものの影として私が存在しているとするならば、この私というのは文字通り影です。影は物体としてとらえることはできません。また影を生む物体によって形は不定です。形が不定であるにもかかわらず同一のであるはずがありませんから、自分を過去未来の通じて同じということはできないはずです。むしろ影を生む根源は光源と考える方が良いかもしれません。同一の光源でも光が当たる物体によって影は変わります。何となくあなたの疑問に重なるようにも思われます。いずれにしても自分というものを直接とらえようというのはうまくいかないことなのではないでしょうか。それは闇を理解するために電灯をともして調べようということに似ているように思います。このたとえは電灯をつけたのは誰かという別の疑問を生み出しますが・・・案外(自分の)体なのかもしれません。
補足
うーん、その「私」とはどの部分なのですか? 私が質問でくくっている「私」なら、あまり物体のように感じたことはありませんが… でもなんとなくわかる気がします。
お礼
ありがとうございます。読んでみます。