カムチャツカ半島にソ連海軍の基地はありました。
ペトロパブロフスクです。ここは太平洋に直接面しているソ連潜水艦隊の重要な基地であり、ソ連太平洋艦隊三大重要港の一つです。潜水艦の修理の為のフレンツァ潜水艦修理施設や、大型艦を建造できるレーニン造船所などの施設もありました。
ソ連潜水艦隊はここも拠点にして太平洋での活動を行いました。
オホーツク沿岸にも基地はありました。マガダン港は潜水艦の基地です。
また内陸のコムソモリスクはアムール川によってオホーツク海と繋がっていますが、ここには大規模なコムソモリスク造船所があり、原子力弾道ミサイル潜水艦や原子力攻撃型潜水艦や通常型潜水艦や水上戦闘艦艇が建造されました。
そのコムソモリスクの上流にあるハバロフスクやブラゴベシチェンスクにも造船施設があり、主に小型艦艇などが建造されていました。
また、ソ連は他国にも基地を確保しています。ベトナムにはソ連の海軍航空隊や戦闘機部隊が駐留し、水上戦闘艦艇や潜水艦も利用していました。
インド洋方面では南イエメンのアデン空港をソ連海軍航空隊が利用しアデン港とソコトラ島をソ連海軍艦艇が利用しました。
エチオピアのダフラク諸島の基地もソ連海軍は利用しており、ここには浮きドッグや燃料補給所があった他、潜水艦にディーゼル燃料、食料、魚雷等の補給を専門に行う潜水艦支援艦が1隻、常に配備されていました。
こうしたベトナム、南イエメン、エチオピアの基地を利用し活動していたのはソ連太平洋艦隊所属の艦船がメインでした。
なおソ連海軍には前述の潜水艦支援艦が18隻あり、洋上での潜水艦への補給が可能でした。
三海峡封鎖の効果については当時から色々と言われていました。以下のような事です。
(海峡封鎖を疑問視する意見)
1.ソ連海軍にしてみれば、戦争の危機が高まった時点で潜水艦を出撃させます。この時点では、危機は高まっても未だ戦争状態ではない為、まだアメリカや日本は機雷で海峡を封鎖する大義名分がありません。海峡が封鎖される前に潜水艦が出撃してしまえば、機雷での海峡封鎖の効果は限定的になります。潜水艦が出撃した後に開戦する事になるだろうから効果は薄いだろうという考えです。
2.前述したようにソ連海軍はペトロパブロフスクや海外の基地、あるいは潜水艦支援艦を利用して戦う事ができ、機雷封鎖の効果は限定的だろうという考えです。
3.ソ連海軍にとり海峡を機雷で封鎖されても、海峡の制空権を確保できれば機雷の掃海は容易であるから効果は薄いだろうという考えです。
実際、ソ連海軍は多数の掃海艇を持っていますし、掃海ヘリもあります。またソ連空軍やソ連海軍航空隊の戦力は侮れません。ソ連領土に近い宗谷海峡の制空権なら確保も容易であり、そうなれば宗谷海峡の封鎖は難しいだろうというものです。
(海峡封鎖が効果的だという意見)
ソ連の潜水艦の全艦が即時出撃できる状況にない以上、三海峡をスムーズに封鎖できれば、潜水艦の活動を抑制できます。
ペトロパブロフスクやベトナムの港周辺にも機雷を潜水艦、または航空機により撒けば、ソ連の潜水艦の活動はかなり抑えられます。
また、海峡封鎖前から洋上にいる潜水艦や、封鎖前に出撃した潜水艦にしても搭載している魚雷やミサイルにも限りがある事から補給は必要であり、必ず寄港するので、そうした寄港する潜水艦に対処するにも海峡を封鎖しておけば効果的だろうという考えです。
また太平洋やインド洋に展開するソ連海軍の戦力は限定的なものである為、その海外の基地を叩き補給基地としての機能を止めるのは容易だろうという考えもありました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 当然ソ連は外海に面したところに基地を作っていたわけですね。 戦争が始まるころにはもぬけの殻になっているであろう封鎖作戦が、そこまでまじめに考えられていらことに驚きです。